特集『子ども達の学力向上のために』―いま、親に出来る事はー

<第三章> 学力と親の関わり 続き

⑧「苦手教科」をどうとらえ、どう進めていくか
 この問題を考えていく上での前提は以下の通りです。

 

  ・人には長所と短所があるのと同様に、得手不得手が必ずある。
  ・不得手な対象から逃避するのが人の常。得手で人生に勝負をかければよい。
  ・子どもの能力には個人差、幅がある。他人と比較するという論理は成り立たない。

 

中学時代になると、苦手教科がはっきりしてきます。「嫌い」という意識が、「苦手」という意識をより強化させてしまいます。高校生くらいになりますと、「嫌い」じゃないのだけれど、得点に結びつかない、といった言い方をする生徒が多くでてきます。
なぜ苦手教科があるのか、という問いに対する解答には、何十頁にも及ぶ紙幅が必要なので割愛します。ここでは、「苦手教科があっても当然」という前提のもと、最も恐れるべき「学習性の無力感」(心理学用語の1つ)についてお話します。 この用語は、イヌの実験がはじまりでした。イヌに電気ショックを与えます。しかし、イヌは逃げられないようにいすに縛られています。かわいそうなのですが、何度も何度も電気ショックを与え続けていきます。次に、このイヌを逃げることが可能ないすに移します。電気ショックを与えます。逃げればいいものを、このイヌは逃げません。いや逃げることができなくなってしまっていたのです。うずくまったままでした。はじめの段階で、イヌは「電気ショック=逃避不可能=自分の行動は無力である」ということを学習してしまったのです。
これを教育の領域に適用したのが、ドゥエックやアブラムソンという学者でした。簡単に言えば、「わからない・できない・点数が悪い」という経験が積み重なると、「やる気」を失うということです。さらに、こうした状況がつづくと、自分で解決・解答できる場面に出くわしても、解決のための行動さえ、まったくとらなくなってしまうというのです。これを「学習性の無力感」といいます。この「病い」におかされてしまった子の悲劇はまだ続きます。例えば、テストの悪い結果を見て(たとえ、自分は算数が苦手だからしょうがない、との「悟り」を得ていたとしても)、「オレはやっぱり頭が悪い。人間としてダメなんだ」と、テスト結果と自分の能力、人間性など、内的な要因と結びつけてとらえてしまいます(これを「個人的無力感」と呼びます)。加え、「オレは一生このままなんだ」と永続的、普遍的なものとして自己規定してしまうのです(これを「普遍的無力感」と呼びます)。私が「最も恐れるべき」と形容したのは、まさにこのことなのです。心理学では、小学生の終わりから中学生にかけて、これら両方の無力感の形成が見られると指摘されています。
※本稿では脳の機質的障害とされるLD(学習障害)についてはふれません。ただし、「学習性無力感」が、ひょっとしたらLDを原因とするものかもしれない、といった知識は、頭のすみに置いておきたい。文科省の調査によりますと、小学校の普通学級児童の6.3%が発達障害の可能性があるとのことです。発達障害とは、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、LD、自閉症、アスペルガー症候群などが代表的です。いずれも脳の障害で、親のしつけや家庭環境の不備が原因ではありません。

 

 さて、「苦手教科」の進め方についてふれたいと思います。基本理念は以下の3点です。

 

  ・「苦手もその子の個性」─ 個性は大切に扱うもの!
  ・「急がば回れ」─ 得意に目を向けよ!
  ・「ともに学びのプロセスをじっくりふんでいく」─ ハードルを低く!

 

我が子に対して、「なんでこんな問題ができないんだ!」これは最悪ですね。まして、苦手教科であればあるほど。「苦手」は本人の努力不足ではありません。これまでの家庭内教育の未熟さととらえて下さい。親の「手間と暇」が少しばかり足りなかったとお考え下さい。「人間らしさ」そのものです。「苦手」をもたぬ人間など存在しませんね。本人に責任はありません。「苦手」はその子の大切な個性です。「苦手」があるからこそ、他の面での得手、長所が存在するのです。短所があるおかげで、長所もあるのです。お願いしたいことは、「学習性無力感」からも明らかのように、勉強ごときで子どもにいらぬ劣等感を抱かせないでほしいということです。「こんな問題もできないのか!」という親の憤り(叱咤激励?)は、子どもの心には「なんてお前はダメな人間なんだ、無能なんだ」というメッセージに変換されて、鋭利なナイフのごとく突き刺さってしまうのです。子どもの個性を尊重しましょう。たかが勉強のことぐらいで、我が子の心を傷つけるようなことは避けて下さい。親子の絆や愛情の尊さに比べたら、「勉強ごとき」「たかが勉強」なんです。勉強、成績、受験といった“学校的なるもの”“教育制度的なもの”が主原因で、子が親を嫌う、信頼関係を損ねる、家庭内暴力に走る…、こうした事例をたくさん見てきました。はっきり言います。子どもではなく親が幼稚すぎるのです。人間観が未熟すぎます。学校的なものに振り回されてどうするのですか!もっともっと大切にしなければならない愛しいものがあるでしょう!と。

 

 ひと息入れましょう。私の好きな一句です。

 

  ②ばかりの通知表
  「家鴨(あひる)が並んで 可愛いよ」
  母よ、あなたの心を忘れない。

 

─『日本一短い「母」への手紙・一筆啓上』(大巧社)より─

 

つづいて、2つ目の理念「急がば回れ」です。簡単に言うと、嫌いな教科、できない教科に強制的に力を入れさせると、ますます劣等感が強くなるということです。足りないところを性急に補うよりも、得意なものを伸ばす、といった考え方が「急がば回れ」です。親子間で明るく、楽しく苦手教科の克服に取り組んでくれればよいのですが、実際は感情どうしのぶつかり合いに終わってしまうことが多いですね。これなら、初めからやらないほうがよい。
お母さんから、「算数が苦手なので、ウチでやらせる算数の問題集を推薦して下さい」と頼まれることがありますが、私はこれまでに一度もお薦めしたことがありません。理由については、これまでの文脈からご理解願えるかと思います。

 

 しかし、どうしても苦手教科を子どもとともに取り組みたいというのであれば、以下のルールを守って下さい。

 

  〈1〉明るく、楽しく!
  〈2〉「できる」ことより「わかる」喜びを。
  〈3〉じっくり、じっくり!(Slowly! More Slowly!)
  〈4〉目標設定(ハードルの高さ)は低ければ低いほどよい。
  〈5〉1日30分以内をめやすに。
  〈6〉ほめることを忘れずに。
  〈7〉自分で考える、自分で学ぶという鉄則からはずれない。
  〈8〉その他(⑦親が教えると学力が低下する!?を参照)
⑨「勉強嫌い」にはいろいろな原因がある
 勉強嫌いにきっかけがあるとすれば…。いくつか列挙してみましょう。

 

  〈1〉能力が追いつかない。知的発達上の晩熟型。
  〈2〉トラウマ。ある問題ができなくて、皆にバカにされた、恥をかいた、叱責された等。
  〈3〉学習能力や知的発達に遅れはないが、学校的なもの(雰囲気、一斉授業、競争等)になじめない。
     すぐれた能力、才能をもつ不登校児は、ごまんといる。
  〈4〉教師と馬が合わない。
  〈5〉親が勉強や成績関連のことにうるさすぎる・厳しすぎる・几帳面すぎる。
  〈6〉家庭内の知的・文化的環境が乏しい。

 

こう見ていくと、〈1〉の学習能力上の到達度の問題は別にしますと、学校の勉強がわかるとか成績がよいというのは、必ずしも知的能力や成育史と対応しているとは言えませんね。換言すれば、ある一定の知的能力をもって、学校的なもの、現在の教育環境全般にうまく適応できている子が、「優秀な子」「イー子」なのです。「青白きインテリ」が評価されるわけです。

 

しかし、と言いたい。理想を申し上げれば、こうした適応主義の人間観、教育観は、ダイナミック性と個人の主体性、そして個性が欠落しているがゆえ、まったくもっておもしろさがありませんね。生きていく醍醐味やエネルギーが感じられません。

 

高校部の保護者会(「高校生を取り巻く社会環境と大学受験~就職、フリーター、ニート」)において次のような発言をしました。
「新潟中越地震後、数%の期待を心ひそかに抱いていました。うちの高校生で、なりふり構わずボランティアに出かけていく生徒はいないかなー、と。学校は休めば言い、塾なんか来なくていい。親から交通費をせしめて、バーンと飛び出して行ってほしかった。実は、こうした活動的な人間を企業は求めているのです。“まじめにコツコツ勉強してきました”こんな学生に企業は見向きもしません。不採用確実です。できるなら、こうしたチャンスを活かしたいのです。例えば、“これ、お母さんのヘソクリ。これをもって新潟に行ってらっしゃい。あなたにもできることがあるはずよ。学校の先生にはお母さんから話しておくから”」一人の高校生も行動がとれず、結局、私の片腕以上の働きをしてくれている細川先生が、ボランティアに出かけていきました(おつかれさん!)。
さて、話を「勉強嫌い」にもどします。〈1〉から〈6〉を読み直してみましょう。勉強嫌いというのは、単なる逃避ではなく、本人にしてみれば『悩み』に他ならない、ということを確認して下さい。誰もが勉強がわかるようになりたいのです。テストで良い点数を取りたいのです。しかし、努力の方法もわからないし、努力する行動エネルギーも蓄えられていない。「努力しない」のではなく、「努力できない」のです。そこで、お願いがあります。機会をはかって、子どもの勉強嫌いの理由をとことん聞いてあげて下さい。ひょっとしたら「ドキッ!」とするような話が出てくるかもしれません。そこが、勉強嫌いのスタート地点です。
一方、勉強のできる子、まじめに取り組んでいる子、余力のある子についてもふれておきます。こういう子は、あまり学校や塾の勉強、成績、順位に執着させないことが大切です。そうした作業をやりながらも、もっと広い視野で「勉強」、いや学問させるのです。学力を幅広い枠組みでとらえ、学習=遊び活動に向かわせます。
星を勉強したら、プラネタリウムにへ連れて行きます。星の図鑑を探しに図書館へ出向きます。歴史であれば、テレビの大河ドラマをいっしょに見ます。理科事典や社会事典を買い与えます。生涯学習センターでやっていたような科学教室に積極的に参加させます。小学生新聞をとります。地域活動や団体行動にふれさせ、コミュニケーション能力を鍛えます…。他、美術館、博物館、コンサート、公園、山、川等、あらゆる生きた学習資源をできるだけ活用しましょう。「活動性のある学び」がキー・ワードです。
以上述べた事柄は、余力のある子のみならず、「勉強嫌い」の克服にもつながってきます。いや、勉強の苦手な子ほど、こうした活動的な学びを取り入れてあげたいものです。
⑩夢。「なぜ勉強するのか」をいっしょに考える
「なぜ勉強するのか」─私の引き出しには様々な「解答」が用意され、クラスによって、状況によって、話し分けます。抽象的な解答もあり、具体的な解答もあります。「これだ」と言う定式的な答えを準備する必要はありません。そこで本稿では、「頭で考える」のではなく、「体験や情報を通して考える」1つの手だてを御紹介することにします。
一言では、「職業を知る」ということになります。いわば「キャリア教育」の小学生版です。ここから、「なぜ勉強するのか・せざるを得ないのか」を導き出させていくのです。具体的には、

 

  ・『13歳のハローワーク』(村上龍、幻冬社)に代表される職業案内の情報に接する。
  ・職場、工場、店の見学や体験をする。
  ・多くの大人(職業人)の話を聞く。

 

仕事内容やおもしろさ、大変さ、やりがい、必要な知識や学歴、失敗談、スキルアップのための勉強法、等々。子ども達はいやが上でも、勉強の必要性、人生は一生勉強つづきであること等、痛感するに違いありません。 一方、文化人と呼ばれている人たちとの出会いもほしいですね。音楽、美術、文学、科学など、文化を楽しみ、探求していく姿勢にもふれさせてあげたいです。
⑪「学習意欲」、いわゆる「やる気」について
心理学では、「やる気」のことを「達成動機」という言葉をもって概念化しています。これまで多くの文献にあたってきましたが、結論は、「やる気を高める処方箋は存在しない」ということです。がっくりですね。最新の論文から結論部分のみを引用してみましょう。

 

「学習意欲とは元来、個人の内側から自然にわき上がってくる心理状態なのであり、外部からの働きかけによって簡単に高めたり、育てたりできるものではない。」(鹿毛雅治「『学習意欲』について理解を深めるために」2004年)

 

我が子のやる気のなさをいくら嘆いても無駄なんですね。親も教師も無力であることを認めてしまいましょう。学習意欲が高まることを期待するのもやめてしまいましょう。ましてや、現在のように勉強への動機づけ装置を失った時代では、なおさらです。意欲喪失者が「標準」なのかもしれません。
私の主張として、夢中になれるものが1つあればよし!なのです。教科の勉強という一元的な価値で測らずに、スポーツや芸術、趣味といった別のスケールで価値を受け入れてほしい!ということです。
前にもふれましたが、学校的なものに毒されてはなりません。我が子が意欲的に取り組んでいる姿を大いに心から評価してあげましょう。対象が何であれ、意欲的になることの人間的意義は極めて大きい。それは、自己の存在感の確認であり、生きる喜びの実感に他ならないからです。私が最近特に強調している「自信力」「自尊感情」「自己肯定感」そのものなのです。学習以外での本人のやる気というものが、やがては、いつとはなく、学習へと向かうことも大いにありうるのです。
⑫「自己を肯定できる子は、自ら学びへと向かう」という大命題
図式に書いてみます。

 

  ・成功体験 → 自信 → 自己肯定感・自尊心→ 新たなものへの挑戦 → 人格の形成→ 自立的人間

 

何らかの体験や経験を通して、自分に自信をもてた子は、とても活動的になります。勉強であれ、他の対象であれ、困難や苦痛にあってもあきらめず、粘り強く立ち向かっていきます。このエネルギーこそが自信力、自尊感情です。逆に、不幸にも自分に自信をもてない子は、自己卑下とエネルギー不足ゆえ、努力できず、はじめからあきらめてしまいます。学習意欲を高めたければ、勉強外での意欲的な活動を評価し、我が子の心に自信力と自尊感情を育てていくしかありません。
極論と不適切な言葉遣いを許していただくならば、

 

『親の「偏差値」(「親力」)は、我が子の心に存在するエネルギー量に比例する』

 

と言ってよいでしょう。
エネルギー量とはまさしく、子どもの自信力、自尊感情、自己肯定感を指します。学力云々の前に、「我が子の自信力の向上のために」というテーマでお父さん、お母さん合作の作文(反省と今後の方針)を書いてみて下さい。子どもを責めたてたり、不服・不満をぶつける前に、まず、親自身の「偏差値」アップに意識を注入すべきだと私は考えます。

 

以上で、 <第三章>学力と親の関わり、を終えます。
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