特集『子ども達の学力向上のために』―いま、親に出来る事はー

<第三章> 学力と親の関わり

本章では、子どもの学力の向上に、「親としていかに関わっていったらよいのか」について考えていきます。12のポイントにしぼってお話します。
①親の生涯学習の見直しと再出発
とりわけ小学時代は、何事にも親をモデルとして「模倣」する傾向が強い時期です。この模倣をよい意味で活用 しましょう。具体的には、親自らの生涯学習を設定するということです。例えば、年間30冊の小説を読む、子どもと一緒に漢検を受ける、趣味の技術を向上させる、新たな対象にチャレンジする、等。そして、そうした姿や好奇心を我が子に“見せつける”のです。子どもは感じます。「お母さんは毎日あんなに忙しいのに、それでもヘルパーになるための試験勉強をコツコツ続けている」と。こんなすばらしい動機づけはありません。我が子に「勉強しなさい!」といった小言は無用です。親の生き様が、子どもにとっての最大の勉強への動機づけ装置になるのです。
②親が生き生きと物事に働きかける姿を見せつける
例えばテレビのニュースを見ていて、お母さんが我が子に質問したり、意見・感想を述べるのです。「なぜアメリカ兵は、武器を持たないイラクの民間人を殺害したのかねー?」「殺害された楓ちゃん。お母さんが楓ちゃんのママだったら、おそらく気がふれてしまったと思う。親にとって我が子を失うことは、すべてを失うと同じことなのよ」「関東にも大地震の危険性があるんだって。そうだ。インターネットで地震のことや関東大震災のこと、ちょっと調べてみようか」等。 お父さん、お母さんの頭・心・体の「生き生き度」は、そのまま我が子の「生き生き度」につながります。お忙しい中にも、ちょっとした工夫次第で、我が子の「見えない学力」のアップに協力できます。
③親の「勉強観」とその危険性
W子ちゃんとお母さんの会話から。

 

  W:日本の歴史がチンプンカンプン。全然面白くないし、頭に入っていかないの。今度テストがあるんだよねー。
  母:社会なんて、覚えちゃえばいいのよ。教科書読んで、まとめて、ただ暗記するだけじゃない。

 

今の親世代はいわゆる「受験競争世代」です。「理解」よりも「暗記中心主義」の学習スタイルで、成績や順位を競ってきました。これがしみついていますと、我が子にも「覚えればいい式」のアブナイアドバイスをしてしまうことになります。これではいつになっても、勉強のおもしろさを伝えることができません。私がお母さんでしたら、次のような助言をします。

 

私:今度のテストは気にしないでいいよ。そのかわり、お母さんといっしょに図書館(大書店)へ行ってみない。歴史に強くなるヒミツのものがあるのよ。それはお母さんも利用した「歴史マンガ」。テスト範囲は江戸時代ね。タヌキオヤジのところね。

 

W:誰、それ?

 

私:家康のこと。まあいいから。図書館で歴史マンガを借りてきましょ。それも、違う出版社のものを2、3冊。だまされたと思って読んでみて。読んだらお母さんにも貸して。ひさしぶりにお母さんも「歴史家」気分にひたりたいから。

 

小学時代は、おもしろさと興味を大切にした学習スタイルを重要視しなければなりません。「暗記」の前に、「理解すること」「わかること」「楽しむこと」、こうした作業がほしいのです。
④学力は「食事・睡眠・体力づくり」から
百マス計算で一躍脚光を浴びた名物校長、陰山先生は、新任小学校に来て、「体力づくりが最初の課題だった」と述懐しています。まったく同感です。勉強は二の次。まずは体力ありきなのです。体の弱い子は、何事にも不利です。勉強するにも一定の体力が必要です。汗をたくさんかくことによって大脳も発達します。体を鍛えることと健康的な生活習慣が、まず整っていなければなりません。夜ふかしする子は朝が苦手。朝が苦手な子は、集中力が続かず、授業中もうわの空。さらに,体力のない子は、学校、塾の欠席率が高い。欠席すれば、勉強が遅れがちになる。学力向上どころの話ではなくなってしまいます。食事については、肥満に気をつけてあげる。ふとる体質の子は、お母さんが食べ物、おかずの勉強をして、体重のコントロールをしてあげること。
小学校時代の習い事。できたら、スポーツ・武道系をお勧めしたい。中学校時代の部活も文化部より運動系に。まずは体力の向上ありきです。これは思春期に向かう子ども達の精神衛生面からも、ぜひ強調しておきたいと思います。
⑤家庭内の「静環境」の整備
TV、TVゲーム、インターネット、ケータイにふれておきましょう。こうした映像・IT文化に接する時間と成績との相関関係については、様々な調査があります。詳細に立ち入ることなく、3点のみ指摘しておきます。 1つは、「時間設定」のルールづくりです。特にゲームに関しては、厳密に時間設定をしておきましょう。1日30分以内が理想です。2時間以上平気でやらせてしまう親は、「虐待」しているに等しい、というのが私の口ぐせです。ゲームに代わる「打ち込めるもの」をいっしょに考え、探してあげましょう。テレビも番組を決めて、「ダラダラ見」を避けたいところです。 2つは、ケータイ、インターネットについてですが、出会い系サイトや佐世保の小6女児殺害事件に象徴されるように、親の監督責任という問題が出てきました。各家庭で危険性について話し合い、厳格なルールづくり(罰則を含めた)をしておきましょう。
3つ目として、こんな事例を挙げておきます。子どもも思春期になりますと、友達関係をはじめ、さまざまな悩みを抱え込むようになります。中1のある女子生徒は、お母さんに悩みを打ち明けようとしましたが、そのタイミングがうまくとれないとこぼしてきました。外で働き、夜も夕飯の準備で忙しそう。夕食後から寝る間際まで、テレビがつけっぱなし状態。相談にふさわしい落ち着いた「静環境」がなかったのです。やはり家庭の音環境には、「ONとOFF」のめりはりが必要です。
⑥やはり、親子の会話が学力向上の重要因子!
古代ギリシャの哲人、ソクラテスにご登場願いましょう。ソクラテスと言えば「無知の知」「汝、自らを知れ」という哲学的命題で知られていますが、その目標にいたる方法論として、対話を挙げています。ソクラテスが問いを発します。若者が答えます。ソクラテスは若者の答えの矛盾点や欠点を指摘します。若者はさらなる発展的な答えを考え抜き、ソクラテスに再解答します。このようにしてソクラテスは「対話術」により、相手に矛盾点を悟らせ、無知であることを自覚させ、より高い「知」(人間)に至ろうとする奮起をうながし、自発的な魂の尊さを教え歩いたと伝えられています。こうした対話による人間成長のあり方を「弁証法」と呼びました。英語のDialoge(対話)の語源が、この弁証法(Dialectic)とされています。
会話こそ、知識の、思考力の、学力の宝庫となりうるといっても言い過ぎではありません。我が子との会話のあり方について再考してみてはいかがでしょうか。 ⑦親が教えると学力が低下する!?
〈1〉「わかる」と「できる」
クラスで割り算の文章題のテストをやりました。A子ちゃんもB子ちゃんも90点でした。A子ちゃんのお母さんはひと安心です。勉強が得意なB子ちゃんと同じ得点だったからです。しかし,ここに落とし穴がひそんでいます。同じ高得点だから、同程度の算数力をもっているとは限らないからです。B子ちゃんは割り算の意味(「1あたりの数」「いくつ分」)を理解したうえでの90点でした。A子ちゃんは、割り算の意味にはおかまいなしに、単純に〈大きな数÷小さな数〉と機械的に立式し、答えを出しました。これが「わかる」と「できる」の違いです。
昔、韓国からキム少年という「大天才」が来日しました。小学生で大学入試の数学、微分積分の問題をスラスラ解いてしまうのです。当時の数学界の重鎮、矢野健太郎氏がキム少年にインタビューしました。そこで明らかになったことは、キム少年は機械的に計算をしているだけで、微分積分の意味や概念がまったく理解されていなかったということです。
日本の教育産業にもありますね。小学4年生が中3範囲のルート計算ができる!と。まったく意味のないことです。「√4=2、√9=3、√16=4…。√内は同じ数どうしのかけ算(積)で、その数が答えになる。つまり√○×○=○をやればよい」と。こんな計算ができたところで学力の向上には何のプラスにはなりませんね。
そこで皆さんにお願いがあります。子どもの勉強を見てあげるとき、「できる」ことをあまりにも強調しないで下さい。「わかる」、つまり物事の原理や概念の習得に力を貸してあげて下さい。
私のように長年教師をやっていますと、「わかる」を授業に中心に置きながらも、ある学習項目については「わからなくても、できればよい」、あるいは「今は50%わかって、50%できればよい」といった、いわば禁じ手を利用することがあります。これは、その後の学習過程(カリキュラムや指導プロセス)を把握しているがゆえになせる指導案です。お母さん方は、なにしろ「わかる」を意図した関わりを心がけて下さい。
〈2〉「教えすぎ」
プロ教師は、10の内容を教えるところ、7程度に抑えて指導します。7教えるプロセスの中で、残り3を類推させ、生徒自らが3の知識を獲得できるようしむけるのです。こうした教師が一流です。10を教えつくして満足している教師は、まだまだ修行が足りません。
授業は大別して、「教え、理解させる授業」と「引き出す授業」に分けられます。生徒側にとっては、「教わる授業」と「発見・気づきの授業」と言い換えることができます。小学部の『GT』教材は、まさに後者(引き出す授業)ということになります。算数教材『算数トレーニング』は教え理解させることが中心です。子ども達の学力の向上にとって、両者のバランスがとても大事になってきます。
親が子どもの勉強を見てあげる時、子どもかわいさから、どうしても「教えすぎ」の傾向が強くなりがちです。力づくで教え込むというスタイルにかたよります。これが繰り返されることの危険性を認識して下さい。つまり、子ども側から見ると、「勉強=教えてもらうもの」といったマイナスの思考回路が形成され、積極的な学習スタイルがいつまでたっても身につかなくなってしまうのです。勉強とは「自分の頭で強く深く考えぬく」作業と理解して下さい。「勉強=教えてもらう」という発想を子どもに身につけさせてはなりません。
前にもふれましたが、私の教師としての優越性は、4つのステージにまたがっていることです。小学生の勉強は、中学へあがって伸びるためのもの、中学生の勉強は、高校へ行って伸びるためのもの…なのです。先へ行って伸びる子とは、「自分の頭で強く深く考えぬく」という発想・習慣を早期(小学校段階)より身につけた子です。 逆に、早期より家庭教師をつけて「手取り足取り」の指導を受けつづけた子や、親から「教えすぎ」の学習を強いられた子は、学習内容が高度化する中学、高校で必ずつまずきます。勉強から逃避します。学力の低下が「保障」されてしまうのです。
お父さん、お母さん、「教えすぎ」に注意して下さい。まず、「いっしょに考えていく」というプロセスを必ずふんで下さい。そして「ヒント」を小出しにしながら、子ども本人に考えさせて下さい。解答に至るまで(至らなくても結構)じっくりつきあってあげて下さい。答えは親が導いてはいけません。つまずいたら教科書にもどって、子どもに音読させるというような「遠回りな指導」に慣れさせて下さい。子どもが「できた!」と声に出せるようなプロセスを演出して下さい。これは、学習場面のみならず、日常会話にも生かすことができます。例えば、子どもが、「なぜ、1年は春とか夏とか秋とか冬とかにわかれているの?」と聞いてきたら、「すごくいい疑問だね。どうしてそんなすごい質問が頭に浮かんだの?」とほめてあげて下さい。さらに「あなたはなぜだと思う?」と。「たぶん、太陽が…」ときたら、「いっしょに太陽のこととか、四季のうつり変わりについて調べてみようか。お母さんも知りたいから」と。子どもの疑問には心から時間をかけて対応してあげて下さい。覚えておいて下さい。子どもの素朴な疑問から、子どもの「見える学力」の形成が始まるということを。そして、そのためには親側の愛情=「手間と暇」が絶対・必須条件になることを。お金で「学力を買う」などは、不可能だということです。「幼児英才教育」など、私から見ると、まったくのナンセンスです。長期的に見て、その教育的効果を科学的に立証した人(or教育産業)はいますか?実はいないのです。
〈3〉我が子の性格と勉強法
親子にも相性があります。相性のギャップによって、子どもが勉強嫌いになることもしばしばです。最悪のパターンは、セッカチお母さんVSスローな子ども。あるいは、完ぺき主義お父さんVSおっとりな子ども。別パターンとして、高学歴な親VS成績下位の子。私から見ると、どれもこれもすべて親の利己主義から「対立」「葛藤」が始まってきます。『今ある我が子を全面的に受け入れる・引き受ける』といった、謙虚で暖かみのある人間観が、親側に欠けています。親自身の考え方や経験を唯一の尺度にして、我が子を見ています。そして、勝手にハードルの高さを設定し、我が子を叱責する。勉強嫌いになって当然なことをしていることに、親は気づいていません。
今一度、子どもの目線にもどりましょう。そして「子どもの勉強を見てあげる目的」を再確認しましょう。その目的とは、子どもと関わる中で、「少しでもやる気を出させる・勉強のおもしろさを伝える」ということにつきます。「わからない所をわからせる」などと考えないで下さい。子どもから、「お母さんといっしょに勉強すると、なんか楽しい」といった評価がもらえるように努力して下さい。
もう1点。スローな子はスローのままでいい。音読の苦手な子は、苦手のままでいい。ケアレスミスを繰り返す子は、そのままでいい。字のきたない子はきたないままでいい…。“あるがまま”で結構です。決して治そうなどとは考えないで下さい。親が注意して治る“しろもの”ではないのです。逆に、注意することによって、様々な反動(逆効果)が出てしまうと理解して下さい。「治療」は、親にも先生にもできません。『経験』や『実体験』が唯一の治療者です。スローな子は、時間配分が必要になってくるテストを何回か受けるうち、自ら工夫し、軌道修正が自然にできるようになってきます。音読が苦手な子は、人とのコミュニケーションを重ね、人前で意見を述べる経験を積むうちに治ります。自分に自信力、自尊心の芽がでると音読もスムーズになります。ケアレスミスも、「痛い経験」を繰り返し、競争心という思春期の芽が出てくると少なくなってきます。字のきたない子(私です!)は、ラブレター(これは「死語」ですね)を書くような時期がくれば、うまくなくてもていねいな字を書くようになります。高校入試までには治癒しています(都立入試には、国語で作文もあり、願書の1つに自ら記入しなくてはならない用紙もあります)。

 

  繰り返しておきます。

 

  “あるがまま”でいいんです。
  “あるがままの我が子”を暖かく、受け入れることが最も大切なことなのです。
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