この時期になると中3生と高3生は、最後の大会に敗れて1人2人と引退の報告に来ます。
引退時期が遅いのは、高3生の野球部です(夏の甲子園の地区予選は、7月の第2週から始まります)。甲子園大会がTV放映されるようになると生徒達に語るのは、「夏の甲子園批判」です。正確には高野連のオエラ様批判です。
あの猛暑の中でスポーツをさせるなど、どう見ても尋常ではありません。
高等教育の一環としての部活動とは認めがたい。発達途上にある高校生の身体をいたずらに酷使させる真夏の甲子園は、スポーツとは呼べません。
球数制限、タイブレーク、クーリングタイム、朝・夕の2部制など高野連も手を打っていますが、不十分ですね。時期をずらすか、ドーム球場を利用する以外方法はありません。
反論は予想できます。 「真夏の甲子園は伝統だから」 「夏の風物詩だから」
本物の伝統とは、革新的で時代に即した形に変容するものとわたしは考えています。
前例を踏襲するだけの伝統など、評価に値しません。「土俵は女人禁制」、これなどもまさしく、伝統の意味を問うこともしない思考を停止したオジサン達のありようを示すものですね。
困ったことに、甲子園主義はいたるところにはびこります。
教え子、 K学院のA君: 「一番きつかった、苦しかったのは夏合宿の食事。どんぶり5杯食べないと食事を終わらせてもらえません」
K館のY君: 「毎日寝るのが夜中の12時、1時。先輩たちのユニフォームの洗濯です。高1の時は奴隷でした。」
M高校のS君: 「3年間、部員が多すぎて練習試合にも出してもらえず、グランド整備ばかりでした」
これが悪しき甲子園主義の一端です。理不尽そのものですね。
これに監督や上級生からのハラスメントや暴言・暴力が加わったら…。
未来ある子ども達のためにも、根性と伝統主義のオジサン監督には退場してもらいましょう。
スポーツ科学やスポーツ心理学、最新のコーチング理論、これからの部活の監督やコーチには必須の学習・研究分野です。
いまあらゆるスポーツ界に求められているのは、“自立型選手”の育成を図るコーチングだそうです。コーチングには以下に示す定義があります。
「コーチングとは、対話を重ねることを通して、クライアントが目標達成に必要なスキルや知識、考え方を備え、行動することを支援するプロセスである」
注目すべきは、対話を重ねて、支援するという内容です。
親子関係にも通じる定義ですね。つまり、双方向のコミュニケーションが最重要視され、コーチや親からの一方的な「強制」や「教え込み」は全否定・排除されることになります。
上からの強制や誘導からは、「自立的な選手や子どもは育たない」ということです。
根性主義で暴君的な監督・コーチには耳の痛い理論と言えます。
一時TVでよく見かけた脳科学者・茂木健一郎氏は、学習法のヒット本『脳を活かす勉強法~奇跡の「強化学習」~』 (PHP)で親向けにこんな助言をしています。
「親の役割とは子どもに安全基地、何かがあった時に逃げ込める場所を与えること。安全基地は人間が成長する上で、なくてはならない。注意しなければいけないのは、過保護や過干渉とはまったく違うこと。安全基地の役割とは、子どもがあくまでも自主的に挑戦しようとすることを、後からそっと支えてあげることです。見守ることです。心に掛けていますよ。君がどうやって仕事をしてるか、いつも心の片隅にありますよ、というメッセージを送り続けること……」(174頁~)
安全基地をより堅固で豊かなものにして、自主的に挑戦ができるよう促してまいりましょう。
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