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「親の責任」とは

2016.09.20 塾長ブログ

 あっけにとられて、いまだに理解不能なのがリオ五輪の閉会式に登場した「安倍マリオ」。

なんですか、あれは!? あんなものに何千万の公費を使うなんて。政治利用以外なにものでもなく、五輪憲章の理念に背いた行為なのです。これに真っ向批判するメディアはほとんどなく、国民もなぜかだんまり。前都知事の“湯河原通い”よりも、オリンピックの政治利用という点でよっぽど悪質だと思うのですが……。

ここ1,2か月でいわゆるリベラルと呼ばれる大御所が亡くなりました。永六輔に大橋巨泉、そして新聞記者の鏡でありジャーナリストの神様、むのたけじのお三方。むのさん、享年101歳。私の大好きなおじいちゃんです。男惚れするほど格好いい。春先まで車椅子にひかれながらも、マイク片手に「アベ政治はいらない!戦争法案反対!憲法9条を守れ!」と国会周辺や講演会で熱弁をふるっていました。

1945年8月敗戦の前日、「新聞が戦争に加担してきた責任は免れない」とけじめをつけ、自分の意思で新聞社を去りました。当時、ここまで潔く自らに戦争責任を課した人物はめずらしい。当時の政治指導者初め、社会的に地位の高い人ほど自分を正当化することに終始し、自責の念どころか手のひらを返したような行動を取りました。

新聞社を去って2年後、生まれ故郷の秋田で週刊新聞「たいまつ」を創刊します。政府やGHQの横暴に消し去られることのない徹底的に民衆の側に立った新聞。自ら活字を拾い、妻と5人の子どもが配り歩いたそうです。従軍記者として戦争の残虐性をいやというほど見てきました。それゆえ口癖にもなっている次の言葉は実に重い。「ぶざまな戦争をやって残ったのが憲法9条。憲法9条こそが人類に希望をもたらす・・・」。

むのさんには夢がありました。「ひとつ夢がある。死ぬ時にはこの世には平和がやってきたんだなーと微笑みながら死ぬこと」。安倍政権によって日本は戦争のできる国になってしまいました。北朝鮮の核も恐怖だし、憲法9条を改悪しようとてぐすねひく政治家が多数を占めている。悲しいかな、むのさんの夢と逆行しているのが現在の日本です。天国でも、安らかに眠ることができないでいるのではないでしょうか。

どうしても避けて通ることのできない事件をひとつ取り上げます。8月25日、青森市で中学2年生の女子生徒が列車に飛び込み、自死しました。スマホには遺書として1300文字が綴られていました。

「・・・ストレスでもう生きていけそうにないです。・・・もう耐えられません。・・・いじめてきたやつら、自分でわかっていると思います。もう、二度といじめたりしないでください。・・・悲しむ人も居ないかもしれないくらい生きる価値本当にない・・・13年間ありがとうございました・・・」

昨年からラインで悪口を言われ、根拠のないうわさを流されました。本人も父親も複数回にわたり担任に相談を持ち掛けましたが、いじめはやまず、逆に、ラインだけでなく学校生活の中でも無視されたり、ウザイと言われたりするようになりました。

ラインが流行りだしてから時をおかず、「ラインいじめ」や「ライン外し」ということが報告されるようになりました。ラインの怖さは、第1に、いじめがあっても親は気づきにくい点です。いじめにあっても親に相談しない子が少なくない。その理由としては、①親に心配をかけたくない ②親に知られると面倒なことになる。③自尊心が傷つくので「いじめを受けている自分」を認めたくない、等。

普段からの親子のコミュニケーションの質が問われてきますね。キー・ワードとして“弱音の吐ける関係性”を挙げておきます。事と次第によっては、「がんばれ!」ではなくて、「今すぐ休め!」という積極的な逃避策が求められてきます。

ラインの怖さの2つ目は、対面ではなく文字のみの、それも短文調でのやり取りになるので、言葉が暴走する危険性があります。受け手の精神的ダメージは推して知るべしです。生徒にはよく言います。「言いたいことがあれば、相手と二人きりになり、相手の目を見て冷静に話しなさい!いないところでこそこそ、うだうだ言うな。人間が卑屈になってしまうから。」と。ぜひ、度胸と勇気ある子になってもらいたい。

ラインの怖さの3つ目は、いじめが1日24時間365日続けられることです。ラインを見るたび、違った人から誹謗中傷を受けたら誰だって参ってしまいます。思春期渦中にある女子生徒であればなおさら、すべてをリセットして楽になりたいとの衝動に駆られてもおかしくはありません。

女子生徒の父親は、「初めは転校で娘は助かると思ったが、同学年の生徒たちは近隣の他校生を含め、広くネットでつながっていて、ラインやツイッターがある限り、逃げ場はないと感じた」と述べています。何度も家族会議を続けましたが、結論は「今の学校で頑張る」「自分だけ助かるなら転校はしたくない」と言っていたそうです。

『いじめの現実はそうたやすくは変わらない』というのが私の認識です。いじめが発生している土壌やいじめる側の変容には相当の時間と粘り強い教育的配慮が求められてくるからです。教師や親の一時的な介入や指導、説教などでは、特に女の子の陰湿ないじめはなくなりません。

スマホに関するいじめ以外の負の報告を2点ほど取り挙げておきます。1つは、東北大学と仙台市との共同プロジェクトで、小・中・高生7万人を7年間にわたって調査した結果、次の結論が得られました。①スマホなどの通信アプリの使用時間が長くなればなるほど、成績に与える悪影響が強くなっていく。②スマホについては使用をやめることで成績が上がる。③ラインの音がするだけで勉強への集中力が途切れる。他、自己肯定感と成績の関係、親子のコミュニケーションと言語能力や精神的な安定度等々、興味深いデータが報告されています(横田晋務『2時間の学習効果が消える! やってはいけない脳の習慣』青春新書 2016年)。

これまで何度も書いてきました。『小・中学生にスマホはいらない!』と。総合的な観点から得た私の結論です。まだ買い与えていない保護者の皆様、中学卒業までわが子と戦い、踏みとどまってください。応援しています。買い与えた方については、ルールの徹底を図っておきましょう。直接・間接に関わらずラインいじめや外しに関わったり、あるいは成績が下降した時には、取り上げるか解約をしましょう。

スマホに関する負の報告の2つ目は、『スマホ依存の親が子どもを壊す』(諸富祥彦 宝島社 2016年)という視点です。赤ちゃんを抱っこしながら、子どもをあやしながらスマホに夢中になっているヤンママを見かけることがあります。この継続的な行為を「スマホ・ネグレクト」「プチ虐待」と呼び、子どもに愛着障害が起こると警笛を鳴らしています。例えば、かんしゃくが止まらない、感情のコントロールができない、先生や友達を攻撃する、学力が低下する、等です。幼児だけの問題ではなく、赤ちゃんの泣き方が金属的で、泣き始めるとパニックになっておさまらない、こうした小児科医からの報告も聞かれるようになりました。スマホが直接の原因かについては、さらなるエビデンスを待たなければなりませんが、お母さんの温もりたっぷりの“ギュー”とやさしい“まなざし”が、子どもの心と体の最大最高の栄養剤であることは間違いありません。

最後に、あの芸能人ネタ(子どもの犯罪と親の責任)について私なりの切り口でお話してみたいと思います。“日本的な親子関係の「功と罪」”、こんな視点から見ていきます。

まずは大女優である母親の言葉から。「自分なりに精一杯やったつもりでした。私の子育てがいけなかったんだと思います。」「ともに贖罪すべきだと思っている。成人したら自分とは関係ないということは絶対に言えない」「私はどんなことがあってもお母さんだから」。

みのもんたの息子が窃盗を働いて捕まった時、「30歳を過ぎて独立した人間に対し、親が責任を取るのはどうか」と漏らした途端、大バッシングが起こりました。そう、日本人の大多数は成人した子の犯罪に対し、親にも責任がある、ととらえています。

私は「親にも責任があるか」という問題の立て方そのものに意味を見いだせません。百歩譲って、親に責任があったとしたら、この母親はどんな形の責任を取らなければならないというのでしょうか?女優をやめろ、一生ボランティアにいそしめ、国民の前で土下座しろ、とでもいうのでしょうか。責任を問うたところで何も生まれるものはありません。子育て世代にいらぬプレッシャーを与えるだけです。プレッシャーを与えたからと言って、良い子育てができるなど考えられません。

母親は忙しいながらも、懸命に子育てをしてきました。他人から批判を受けるような子育てをしたわけでもありません。息子をこよなく愛していました。何がいけなかったなど誰にもわかりません。非行や犯罪はしつけや家庭環境がきちんと整っていれば起こらない、そんなことはありません。親のしつけを越えたところ、例えば性格上のゆがみ、発達上の諸問題、子どもの私的環境(友達関係、非行行為、性的な動画などへの傾倒)等に大きく影響を受けます。

欧米の親はどうかと言えば、人前で謝罪会見をしたり、自らも責任の一端があるなどとは口が裂けても言わないでしょう。みのもんた同様、親には責任は一切発生しないという明確な立場を取ります。おそらく理由の1つは、欧米文化において自らの直接的な過ち以外は謝罪することがないからです。アメリカのとある空港の売店でのこと。レジが故障し私の後方には長蛇の列。後ろにいた2,3人がレジまで来て怒りをぶつけています。その時のレジ係、二十歳前後でしたか、彼女の言い分が“実にアメリカ”でおもしろかった。「私には何の責任もない!このレジがいけないんだ!」こう言ってお客に謝るでもなく、奥に引っ込んでしまいました。自分側にはっきりとした落ち度がない限り、ゴメンナサイと言葉に出すことはまずありません。

もうひとつの理由は、成人した子どもに対する考え方の違いがあります。日本の親は、子どもが何歳になっても情緒的なつながりを大切にします。この母親の「ともに贖罪すべき」だとか「どんなことがあってもお母さんだから」との言葉に如実に表されているように、“一生続く親子一体論”とでも表現したらよいのか、親と子の関係が大人同士、対等な人間同士の関係にまで発展しない傾向があります。結果、いつまでたっても大人になれないオトナが大量生産されます。

一方、欧米では親は子どもが生まれた時点で、“自立”という観点から子育てをしますから、子育て後の成人した我が子の行動に対して、何ら責任を取るなどは考えもしません。成人したわが子の犯罪に対して、法的にも、道義的にも親の責任はないと判断します。

“可愛い子には旅をさせよ”と言います。名言ですね。親の七光りで俳優デビューさせる前に、しっかりした人の下で修業でもさせたらよかった。今後はこの母と子、離れて暮らしたらいいですね。“いつまでも親がそばにいるから、子どもが成長できない”、私の迷言です。子どもを“育てる”とは、愛情をかけながら子どもを“鍛える”こと、こうした陶冶的(人間形成的)な観点が日本の親子間に必要とされているのかもしれません。

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