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「親子一体論」の危険性

2015.07.02 塾長ブログ

おかげさまで尿酸値が下がり、“痛風発作の恐怖”から解放されました。痛風の次は何だと思います?そう、血圧です。個人的にもお付き合いのあるドクターなので、親切心からなのか、次々と病気を運んできてくれます。「平野さん、今日は上が175もあるよ。倒れたら私が困りますので、とりあえず最も軽い降圧剤をしばらく飲んで下さい。」

 私の探究心に一瞬で火が付きます。1ヶ月で、高血圧や降圧剤に関する本を6冊と数本の論文に目を通しました。ものを知るって楽しいですよね。わくわくします。詳細は省きましょう。ド素人の私の出した結論は、「降圧剤は飲むな!」です。

 1987年の高血圧の基準値は、信じられないかもしれませんが、上180/下100以上となっています。現在は130/85以上と上の血圧(収縮期血圧)が50も下げられているのです。胡散臭いですよね。28年前の高血圧症の患者数は、230万人、2011年はその24倍にあたる5500万人。成人の約28%が降圧剤を飲んでいることになります。科学性を重んじるドクターは言いきります。「基準値を下げるエビデンス(科学的根拠)は何ひとつない」と。つまり、何の根拠もなしに、高血圧の基準値を下げてきた、ということです。

 もうおわかりですね。学会(日本高血圧学会)と製薬会社の持ちつ持たれつという癒着構造が、高血圧という「病人」を作為的に、それも大量に作り出して来たのです。もちろん、すべてはお金のため。

 私に出された降圧剤はノバルティスファーマのバルサルタン(40mg)。数年前、大問題になった薬です。ノバルティスファーマ社の社員が、研究チームに紛れ込んで、データを操作し、バルサルタンに有利な結果をデッチ上げたというとんでもない「歴史」を持ついわく付きの薬です。もちろん薬事法違反で告発されましたが。あるベテランの臨床医の弁です。「バルサルタンをめぐる一連の事件は、『不正』という生やさしいものではない。約800万人の高血圧患者など、その家族をだまし、金を巻き上げた立派な『犯罪』である。」(松本光正『高血圧はほっとくのが一番』講談社+α新書 2014年)

 単刀直入に言えば、製薬会社がお金で医者を丸め込み、根拠のないデータで何千万人もの高血圧症の人たちを脅かし、莫大な利益をあげている、という図式なのです。これが製薬会社の実態です。

 一方、降圧剤そのものの危険性や副作用にも驚かせられます。この場でご紹介できないのが残念ですが、死亡率が高まること、脳梗塞の発症率が2倍に跳ね上がること、ガン化の可能性が高いこと等々、枚挙にいとまがありません。保護者皆様はもちろん、祖父母を含め、降圧剤を飲んでいる方はとりあえず、前掲の松本先生の本を一読してみて下さい。70歳前後の方で持病がなければ、上が180でも全く問題はないそうです。私が心酔している「がんもどき理論」(特別な場合を除いて、ガンは放置しなさい、抗がん剤には手を出すな)の提唱者、近藤誠先生なども、上の血圧は「110プラス年齢」位でちょうど良い、と勧めています。

 さて、私自身はと言えば、素直に2週間ほど降圧剤を服用しました。その平均値(自宅血圧)は上が130。かなり下がるものだなーと感心しつつ、短期にこんなに下がっていいものかという疑問を持ちました。いたずら好きの私は行動を起こします。気が引けたのですが、主治医に内緒で、私の判断で服用をストップしてしまいました。なんと、止めてから最近2週間の平均値をとってみますと、125になっているではありませんか。薬を止めて上がるどころか、5も下がっているのです。もちろん、「研究の成果」(ジョギング、ウォーキング、減塩、腹八分目等)もあるのでしょうが、「降圧剤をやめても、8割の人は長期的に見て上がることはない。」というデータを信じて良かった、とひと安心です。

 一般のドクターは標準診療というか、全国共通のガイドラインに従って診察し、薬を出してきます。血圧が一定の数値を越せば、すぐに降圧剤を出して、飲み続けるように、と一本調子なのです。だからこそ、愛する人のために自分で調べ、勉強をしなければならないのです。「医者任せは無責任で、愛に背く行為」との強い表現を許して下さい。基本的に薬は『毒』ですから、しっかり勉強し、減薬から始めて、徐々に止める段階までもっていきたいものです。医者や政治家、大学教授などの専門家の話(と特に塾の先生の話)は、鵜呑みにしてはいけませんぞ!?

 血圧ついでに、「心の病」についてふれておきたいと思います。

 仕事のストレスなどでうつを患って、労働災害と認められた人が過去最大となってしまいました。このうち、自殺や自殺未遂に走ってしまった人も前年よりも6割も増え、最多を更新しました。自殺に関しては、30~40歳代が6割を占めています。背景にあるもの、それはパワハラ、モラハラ、いじめなどもあるでしょうが、何と言っても『長時間労働』です。

 アベノミクスで景気が回復したとか、株価が上がったとかごくごく一部のお金持ち連中がはしゃいでいますが、一方で人員不足を放置したまま、過重労働を押し付け、労働者を牛馬のように酷使し、うつや自殺へと追い込むこの国の企業体質。そして、現政権しかり。今国会に長時間労働をこれまで以上に助長する「残業代ゼロ」法案なるものを提出し、ますます酷使の度合いを強めることとなりました。私のネイミングは、労働者の心身の健康を無視した“過労死推進法案”です。

 ウエルのお父さん、お母さん、だいじょうぶですか? 働きすぎていませんか? 「過労死危険ライン」は、月80時間以上の時間外労働です。毎日、メモを欠かさずにとっておきましょう。また、最低限のチェック事項として、・よく眠れない ・食欲がない ・会社に行きたがらない ・遅刻や急な休みが増えた ・会議での発言が減った ・仕事でミスが増えた、等。 本人に声をかけ、医療機関への受診を勧めて下さい。同時に、抗うつ薬の副作用や依存症のリスクを知るために、以下の2冊の本に目を通すことをお勧めします。①井原裕『うつの8割には薬は無意味』(朝日新書 2015年) ②宇多川久美子『それでも薬剤師は薬を飲まない』(廣済堂健康人新書 2015年) 昨年の12月から実施が義務付けられている「ストレスチェック」、働く人たちにどれだけ浸透しているのでしょうか。

 本題の「親子一体論」に入ります。3.11以降、『絆』という言葉に人びとは惹きつけられました。なかでも、「家族回帰」と言ったらよいのか、理想の家族なるものを追い求め、家族の結束や愛情を大切にしようとする傾向が見られました。そうした家族回帰の前提となるのが、親子は一体であり、家族愛は美しいもの、家族団らんほどかけがえのないものはない、といった家族観です。日本人全般に浸透している認識ですね。ただ、こうした家族観に押しつぶされ、苦しめられ、命にかかわる事件にまで発展するケースがあるということも見ておかなければなりません。

 昨年10月、北海道で高2の女子生徒が、母親(47)と祖母(71)を鋭利なナイフで刺殺する事件がありました。幼少時から身体的・精神的虐待を受け続け、母親と祖母は警察や児童相談所との面談を重ねていたということです。同じく先月札幌市で、高3の男子が金属バットで51歳の父親を殴り殺害しました。春先、「進路や就職で父親から注意され、暴行された」などと、北海道警を通じ、児童相談所に自ら相談していたとのことです。

両事件に共通するのは、親から暴行・虐待を受けていたことと、行政機関に相談していることです。行政上、様々な制約や、限界があるのは百も承知です。私がこの場で声を大にして訴えたいのは、「親子なんだから、じっくり話し合って、今後のことを考えて下さい」的な軽はずみな“親子一体論”を批判的に排除せよ!と言うことなのです。

親子だからうまくやっていけるはずだとか、親子は仲良くするものだ、こうした親子幻想というか、親子観は、極めて危険な思想にもなります。親も子も一個の人格を持った人間同士です。様々な事情から、軋轢や葛藤が生じたり、暴力的な関係になったり、危機的な状況になったり、こうしたことは当然のことです。ならばひとつの結論として導き出せることは、『親子を時間的にも、距離的にも分断せよ!』といった意図的な策の必要性です。子どもの立場からは、『どんな手段を使ってでも、親から逃げなさい!』、親の立場では、『子どもから身を引きなさい。わが子をダメな子にしてしまう前に・どちらかが命を落とす前に、誰も知らない場所に逃亡しなさい!』。子どもも親も、一時的でいいから強制的に子ども・親をやめるのです。家族というのは、楽しい団らんや絆の確認といったプラスの面ばかりではなく、扱いを誤ると命さえ犠牲となる“暴力装置”に化け、暴走してしまうという側面もおさえておかなければなりません。

何年前になるのでしょうか。漫才コンビの一人が『ホームレス中学生』なるものを著し、映画化されました。主人公の父親の「はい、解散」の一言で家族が離散することになり、子ども達は公園でホームレス生活を送るはめになります。父親の無責任さを批判するのは容易いのですが、私は、「これもありかもしれない」と感心させられた記憶が残っています。父親を続け(母親は、主人公が小学生の時に他界しています)、借金を作り、女性を作り、あるいは虐待に走ってしまうよりも、「申し訳ない。これ以上父親の役割が果たせない」と頭を下げ、潔く身を引くのも妙案かもしれません。親ばかりが耐え、がんばってはいけないことがあるのです。

 今も記憶から離れない「開成高校生殺害事件」(1977年 北区)と「金属バット殺害事件」(1996年 文京区)。息子の家庭内暴力で手に負えなくなった父親が、子どもの命を奪うという実に痛ましい事件でした。前者の事件の母親は、夫への寛大な判決を願う遺書を残して、死んだ息子の部屋で首をつり自死しました。今だから評論家的に言えるのですが、やはり、父も母も息子から距離を置くべきでした。親をやめる宣言を書いた冷静な文章と生活費を残して、子どものもとを長期に離れなければなりませんでした。

 親子分断には、こんなケースもあります。A君は2人兄弟の長男。なにしろ父親が嫌い。日常生活の細かいところまでねちょねちょ。成績や順位にねちょねちょ。自分の学生時代を誇らしく語りながら、息子をけなすばかりで褒めるということを知らない父親。A君曰く「先生、俺の夢は早く家を出て自立すること。あんなちっぽけなヤツとは一緒にいたくない。」 これを「積極的な分断」と呼びましょうか。これも立派な親離れです。

 子どもとの距離感、時期を見てもう少し詳細にお話ができればと思っています。

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