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「9歳の壁」~子どもにとって勉強とは~

2022.09.22 塾長ブログ

前回のブログにて、アメリカからの「9歳の壁」のご報告をいたしました。

今回は、「壁」を乗り越えるためのアドバイスというか、わたしが実践していること、考えていることをお話できればと思います。

その前に、ひとつ興味深い論文を見つけました。岩手大学の教育学部からのもので「物理教育“9歳の壁”」と題されたものです。その要約を引用します。「今回の調査を日本だけでなく米国にまで範囲を広げ、(中略)その結果、理科に興味を持つ年齢は9歳前後が多いことが分かった。そして、その時期に学力が追い付かず、理科を嫌いになる子どもは、生涯嫌いのままでいるという事実も浮き彫りになった。理科・物理における“9歳の壁”があると想定するに至った(中略)」

やはり、9歳には他の年齢とは異なる特徴があるようですね。いわゆる理数科目に「壁」が付きまといやすいということなのでしょうか。9歳にはいったい何があるというのでしょうか。

実はわたしのなかでは、たいへん無責任な言い方になってしまいますが、はたして「9歳の壁」の科学的な根拠はあるのだろうか、との疑問が拭い去れないままでいます。「認識の発達の伸びが9歳前後で、一時的に低下する」(『心理学辞典』)というのも腑に落ちません。わたしにとっての「9歳の壁」はあくまで経験主義的なもので、「壁」そのものの存在(例えば、脳科学からの証明など)については、不勉強ゆえ、断言できません。本稿では、9歳と狭く限定せずに、小学中高学年(8歳から11歳位)と幅広くとらえて話を進めてまいります。

以下、「壁」を乗り越えていく上での親としての心構え、注意点を列挙させていただきます。抽象的になりますが、ご了承ください。

まず1つは、「9歳の壁」が抽象的な能力の向上によって克服できると仮定するならば、最近のブログでも強調させていただいた「読書習慣」「親子の対話」「芸術・自然への接近」など、お堅い言葉ですが「教養主義的な日常」を親が積極的に取り入れ、習慣化することです。

とりわけわたしが繰り返し強調するのが、「言葉」(語彙力、読解力)です。本を読む子、本を読み込める子、親の工夫次第です。あきらめずに取り組み続けてください。あきらめたらウエル学院に預けてください(宣伝になってしまいました)。

2つは、前々回で紹介した地方の公立からハーバード大学に現役合格させた廣津留真理氏も言っておられるのですが、できるならば小学4・5年までは、宿題その他の勉強をさせるとき、親もそばにいて読書や何かの勉強に励んでください。

「日本ではなぜか宿題は子どもが一人でやるものと相場が決まっていますが、家族団らんのネタとして親子で一緒にやるのをおすすめします。わたしは娘が小学4年生になるまで一緒に勉強してました。」「小学4年生くらいまで勉強中に隣に座って楽しそうにしていたら、そこから先は知らない間に子どもだけでも勉強する習慣がつきます。」(『世界のトップ1%に育てる親の習慣ベスト45』 幻冬舎 2017年)

パパ、ママが好きな子は、まだそばにくっついていたい年齢です。「一緒に楽しそうに」という点がキーポイントです。勉強・宿題を「いやなもの」と認識させないことが大事です。

3つは、脳や能力の発達スピードは、一人ひとり異なるということを自覚してください。早熟の子もいれば、晩熟の子もいます。早熟であっても、その後の能力の保証をするわけではありません。また晩熟でスローラーナー(勉強が苦手)であっても、ある時期、ある動機付けを機会に、グーンと伸びていく子もたくさん見てきました。かりにその時点で人より劣っていたとしても、「あなたは大器晩成、大丈夫!」と笑って過ごせるような、寛容で温かみのある楽観的なママ・パパを目指してください。子どもの勉強や成績に神経質で口うるさい親の子どもほど、勉強から受験から遠ざかってしまう傾向がある、わたしの経験則から断言できることです。

4つは、課題の質および量と子どもの相性・レベルを斟酌しなければなりません。現時点での子どもの作業能力を見極めたうえで、それにふさわしい質と量を与えるべきです。能力を超えたものを与え続けることによる「学習性無力感」についてはすでに述べた通りです。学校での基本的な学習内容においても同様で、ついていけない子は10%程度います。「9歳の壁」を打ち砕くのではなく、補助ロープの力を借りて、一歩一歩いや、半歩半歩ゆっくり登っていくしかありません。この時、親の焦りは禁物です。焦りと不安がわが子との軋轢の原因になります。

中学受験においては、6年生の秋、直前の冬時点でも、ストップする勇気が求められるケースがあります。「あともう少しの辛抱だから」、わが子をだめにする最も危険な状況と把握しておきたい。何のための受験なのか、勉強なのか。ひと言、愛する我が子の成長のためですよね。勉強をしていらぬ苦痛や無力感に悩まされるなんて、「教育虐待」(おおたとしまさ『ルポ教育虐待』ディスカヴァー携書 2019年)そのものです。

5つは、子どもに勉強を教え込んではだめ、ということです。出来ない子を前にすると、どうしても手取り足取り教え込もうとしてしまいます。親や個人指導の若い大学生たちによく見られます。「勉強イコール教えてもらうもの」という回路が出来上がってしまうと、まちがいなく先伸びはしません。出来る限り強く、深く考えさせる対応が、こと小学時代には求められてきます。誤った個人指導は「劇薬」にもなりえます。ぜひ、注意したいところです。

まだまだ、挙げればきりがないのですが、今回はこのへんで失礼いたします。
ホームページに掲載してあります『いずみ』(特集『子どもたちの学力の向上のために』―いま、親に出来る事はー)もぜひご参照ください。より具体的な対応が記されています。

本日も貴重な時間を使ってお読みいただき、感謝いたします。

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