神戸市立小学校での教師間でのいじめ・暴力行為にはあきれ果てました。
加害教師4人は、学校運営や生徒間のいじめに対する指導的な役割を担っていたと言います。いつものことで、校長も隠ぺいに加担していました。
働き方改革にも挙がっている教師の多忙やストレス、あるいは教師集団の崩壊、教師の孤立化など様々な背景にメスを入れる一方で、当該学校の生徒達への負の影響力についても配慮が必要です。
それにしても『子どもは社会を映し出す鏡』とはよく言ったものです。
この小学校で、児童どうしのいじめ認知件数が、2017年が0件、18年度13件、本年度は半年ですでに16件と急増していることが報告されています。
ちなみに、文科省が今月に発表したところによりますと、2018年度の全国のいじめ件数、不登校者数、そして自殺者数がいずれも過去最多!なのです。台風被害やラグビーワールドカップ、新天皇即位のニュースに隠れてしまっていますが、政府はいち早く短期的、長期的な対策に乗り出さなければなりません。
現政権は、大企業・富裕層ファーストで、子どもや教育を手厚く保護していこうとする姿勢が見られません。わたしたち親が、もっともっと声を上げていくべき時なのですが。
子どもというのはおそろしく敏感な存在です。
教師間だけではなく、夫婦間、家庭内、そして広く社会全般に蔓延する不安定要素や、不正義に対して鋭敏に察知し、逸脱的行動に出たり、悪しき問題事象を模倣したりするようになります。
例えばごく身近な例では、保護者会や授業参観での母親どうしのあのおしゃべり。多くの先生が報告していますね。その子どもも授業を妨害するような‘おしゃべり病’に冒されていると。また、子どもの勉強へのやる気や成績には口うるさい一方、親自身は読書にも向かわず、学びの姿勢がない……等々。
要は、子どもには親の理想像を押し付けながら、親自身や大人社会全般が子どもの成長や人格の陶冶を後押しするモデルになり切れていない、こんな印象を持っています。
あの台風の避難所での台東区職員の対応に、わたしの“怒”は絶頂でした。わが子に対しては「他人には優しく、友達には親切に」との道徳律を振りまくであろうおじさん役人が一変し、「ホームレスはお断り」と入場を拒絶する。どういう理由であれ、「法の下の平等」や公務員の「全体の奉仕者」としての役割からいっても、ありえない、あってはならない対応です。日本国憲法を一番に守らなければならない公務員がこれですから、弱者は救われません。わたしがその場に居合わせたら、徹底抗戦していたでしょう。絶対に見過ごしてはならない公務員・役所の憲法違反行為です。
大人がこういう悪をなすから、子どもも模倣するのです。子どもたちのためにも、大人社会に蔓延する悪や不正義を徹底的に追及して、駆逐しなければなりません。安倍首相やその政権に対する“忖度”なども不正そのものであり、もってのほかです。
もうひとつ、親の理想像の押し付けの極端な典型例が、あの目黒区での虐待死事件。
結愛ちゃんを殺した父親には懲役13年の実刑判決が下りました。以下は判決文にある父親(34)の供述の一部をまとまたものです。「血のつながりがない結愛ちゃんの養育にプレッシャーを感じた。勉強ができて、友達が多い。そんな『理想の子』にすると決め、しつこく母子に説教をするようになった。うまくいかないと『こんなに一生懸命にやっているのに』と怒りがわき、手を上げるように。焦りといらだちで暴力はエスカレートした」(朝日新聞 10月16日)
「勉強ができて、友達が多い」子に仕立て上げるために、虐待行為をもって教え込む。大学を出た34歳にもなる男とは思えない、極めて短絡的で稚拙な発想と行動です。強制力をもって子育てすれば、子どもは歪み、壊れていく位の常識はなかったのでしょうか。結愛ちゃんのメモ書き「もうおねがい ゆるしてゆるしてください おねがいします」が目に焼き付いて離れません。
今月あるお母さんからこんなメールをいただきました。内容があまりに‘平野先生よいしょ’で引用させていただくことに憚るのですが、許可をいただきここに記しおきます。
「○○ですが、本日、中学校の合唱コンクールで指揮をさせていただき、〇学年で指揮者賞に選ばれました! とても嬉しかったので平野先生にもお知らせしたくメールを書いております。 三人きょうだいで女の子に挟まれ、何かと長女と比べられることが多く、今までいやな思いもしてきたと思います。
平野先生にお世話になってから、いろいろなことに前向きになったように思います。小学校の卒業式では、檀上での一言発表で『自己管理』と言いました。息子の口から出た言葉に驚きましたが、『平野先生が話していた言葉なんだ。オレには凄く必要な言葉だと思った』と。 私自身にも男兄弟はなく、初めての男の子育児で迷うこと、息子の起こす出来事に悩むことも多いのですが、平野先生にお世話になるようになって、確実に子どもにプラスになっているのを感じます(夕方のニュースにも興味を持つようになりました)。 (以下は省略させていただきました)」
羞恥この上ないお褒めの言葉をいただきましたが、このお母さんの引用からわたしたち親は、『子育ての客観視』ということを学びとることができます。まず第1に、わが子が置かれている状況、環境の客観的な認識。第2には、お母さん自ら客観的に自身を見つめなおす内省力。とかく日本人の親子関係は『情』とか『血』といった極めてあいまいな言葉をもって論じられることが多々あります。親子だから何でも許される‘的’な、論理なき独断がまかり通ること、ひと昔前の話ではありません。
親や社会が与える有形無形の影響力について、客観的な視点に立って理性的に考える機会をもってください。より一層子どもを愛する気持ちが強くなってくることに気づかれることでしょう。
◎一編の詩をご紹介します。藤川幸之助 『まなざしかいご~認知症の母と言葉をこえて向かいあうとき』(中央法規 1600円)より。元小学校教師の藤川氏(63歳)は、20年も前に発症した母の認知症に寄り添い、作品を作り続けています。介護にご苦労されている方々に、ぜひお薦めしたい詩集・随筆集です。
静かな長い夜
母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
ただにこりともしないでわたしを見つめる。
二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
仕事がしたいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
おれがかがなくちゃいけないんだ」
「お母さんはよく分かっているんだよ」
とひと(他人)は言ってくれるけど
何にも分かっちゃいないと思う。
夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪いた海に映る自分の姿を
じっと見つめている。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かってもらいたいと
ひたすらに願う静かな長い夜が私にはある。
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