塾長ブログ

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この国、この時代

2015.05.14 塾長ブログ

 あい変わらず、痛風発作におびえながらの毎日ですが、水分補給と有酸素運動に心がけ、ゴールデンウィーク休暇もそれなりに楽しく過ごさせて頂きました。長編の小説も2作品読破でき、心もリフレッシュしました
(五木寛之『親鸞』、浅田次郎『蒼穹の昴』)。お仕事がんばります!

 今月号では、新聞のスクラップをあれこれめくりながら、「この国、この時代」というテーマで、4点ほどお話したいと思います。しばしお付き合い下さい。

 先日、ある通信教育会社の若い社長さんが営業に来ました。日本の政治や経済の基本を身につけさせる通信教育を塾生(中高生)にお願いしたいとのこと。将来の職業選択や就職試験にとても有益だと言う。テキストは4分冊で、1冊目の目次は、第1回「株式会社と金融」 第2回「労働と職業選択」 第3回「会計」……。手間暇かけた良質のテキストです。しかし、遠慮を知らぬ下町のオジサン塾長から見ると、不備が目立つ。若社長にぶつけます。

「何ゆえ『株式会社』から始まるのか論拠が不明。株式会社を成り立たせている日本の資本主義そのものの仕組みから始めるべきではないか。また、株式会社ひとつ取って見ても、問題点や矛盾点がいくつもあるが、そうした批判的な記述が無いに等しい。これでは、うわべだけの知識の吸収で終わってしまい、現代社会の本質に迫ることはできない。さらには、この国、この時代というものが反映されているとは言えない。中高生が対象というのであれば、現状のブラック企業やブラックバイトについて、それとともに将来の我が身を守るために労働法規、特に労働基準法を徹底的に学ばせなければならないのでは!? 」と。

年若の社長さんだったので、教え子に語るように説教ぶってしまいました。私の言わんとすることは、学生にとって表面的な知識はもちろん必須なのですが、働く者多難なこの時代にあって、社会の本質に迫り、自らの生命や生活を守るための生きた知識を授けていくことが急務ではないのか、という問題提起なのです。過労死、残業代不払い、モラハラ、セクハラ、男女差別、雇い止め、等々、こうした労働環境下にあって、働く者は最低限、労働法の知識を学習しておかなければなりません。これは中・高・大におけるカリキュラムの不備という問題でもありますが。

昨年7月、全国27大学に通う大学生約3600人に調査したところ、アルバイトで「不当な扱いを受けた」と答えた学生が約7割。具体的には、シフトの強要、残業代不払い、労働条件の通達の不徹底、パワハラ、ノルマ達成の自爆営業、等です(朝日新聞 4月29日、他)。

長い勤務時間で勉強がおろそかになるなど、学生らしい生活ができなくなるアルバイトを「ブラックバイト」と呼び、多くの学生が犠牲になっています。ブラックバイトを突き詰めていくと、日本の社会の構造的な問題が見えてきます。ブラックバイトの背景には、①大学の学費が上昇していること。②親の所得が減少していること。③4年間にすると何百万にも上る奨学金にしばられていること。④企業側は、賃金や労務コスト削減のため、正規社員の数を抑え、非正規を酷使することで利益を上げていること、等が挙げられます。

一方、こんなデータもあります(2014年5月)。首都圏の私立大学に昨春入学したうち、親元を離れて通う学生の1日当たりの生活費は897円で、1986年以降初めて900円をきりました。こうした学生は、ブラックであろうと、辞めるに辞められない経済状況に追い込まれているのです。深夜労働もする。1日の食事を1回に抑える。学業や自分の生活よりもアルバイトを優先してしまう(朝日新聞4月29日)。

 

流暢に「株式会社とは?」なんてやってる場合ではありません。「何ゆえ生活が苦しいのか?」といった社会科学的な素養を身につけさせなければなりません。また、アルバイトで(もちろんパート、契約社員でも)不当な扱いを受けたら、個人でも加入できるユニオン(合同労組や地域ユニオン)に相談を求めたり、労働基準監督署やハローワークに尋ねたり、自治体の労働相談機関に行ってみたり、こうしたアクションの選択肢を持たせることが大切です。仮に、私の子どもがブラックに引き込まれてしまったら? 迷うことなく、証拠持参で、怒鳴り込みます。親が行くと、何らかの解決を見ます。企業側は、違法であることを百も承知でブラックな働かせ方を学生に強要していますから、すんなりと引き下がるケースがほとんどです。

 

2つ目の話題に変えましょう。私の好きな作詞家・作家のひとりになかにし礼(76)さんがいます。現在、食道がんが再発し、病床に就かれています。なかにし礼さんといえば、私の年代ですと、「時には娼婦のように」
「夜と朝のあいだに」「北酒場」などのヒット曲や直木賞作家として有名なのですが、芸能界きっての社会的な発言者でもあります。昨年発表した「平和の申し子たちへ!」という詩はこう始まります。

2014年7月1日火曜日 / 集団的自衛権が閣議決定された / この日 / 日本の誇るべき
たった一つの宝物 / 平和憲法は粉砕された / つまり君たち若者もまた / 圧殺されたのである
こんな憲法違反にたいして / 最高裁はなんの文句も言わない / かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の / どんな時代よりも禍々(まがまが)しい / 暗黒時代へともどっていく
そしてまたあの / 醜悪と愚劣 残酷と恐怖の / 戦争が始まるだろう    (2月2日付)

この国、この時代の最大の負の遺産のひとつ、それは集団的自衛権です。日本の若き自衛隊員が人を殺し、殺されるのです。日本が戦争のできる国になってしまう(しまった)のです。世界に誇る憲法9条を黙殺した非人道的、非民主主義的な戦争立法に他なりません。

法師人佑太と名のる高校3年生が、こんな短歌を詠んでいます。
〽 憲法に行間読みなどあるものか 素直に読もうぜ9条の意味 (2014年7月19日付)

鋭いですね。政府の苦し紛れで偽善的な憲法解釈を、あざ笑うかのように批判しています。高校生に揶揄され、馬鹿にされ、見限られているのです。良心なき国会議員及び現内閣に金魚の糞のごとく引きずられ離れない思考停止した議員達には、残念ながら法師人佑太君のウィットは伝わらないのでしょう。こんな高校生(18歳)なら、選挙権を思う存分行使してもらい、日本国憲法の理念にのっとった平和で民主的な国家を築いてもらえそうです。

そう言えば、先ごろ亡くなられた愛川欽也さんの妻、うつみ宮土理さんも記者会見の中で、こんな事をおっしゃっていました。「愛川が映画や舞台で訴えたかったのは、平和でした。愛川の遺志を継いで、平和を、憲法9条を守りたいと思います。小さな子どもたちのためにも、これから怖い日本にならないようにしましょうと言っている声が聞こえます」と(5月11日付)。芸無き芸能人や政治音痴な著名人が多い中、さすがですね。

 

3つ目の話題、「ダブルケア」にうつります。この国、この時代を考えていく上で、素通りすることはできません。子育てと親の介護を同時にしなければならない状態を「ダブルケア」と呼びます。増えています。年代的な計算をすればすぐわかることなのですが、晩婚化や高齢出産は時期的に親の介護と重なってきます。年齢で言えば、40歳から50歳の母親世代。子どもには母として、夫には妻として、仕事を持っていれば一社会人として、そして、義理の親には嫁として(の介護が)、さらには実の親には娘として(の介護が)……。私も祖母と父親の介護をまじかで見てきましたが、言葉を超えたしんどさです。

当時小学6年生だった私に、認知症で下の始末も出来なかった祖母の介護に疲れ切った母親が、思わずこうつぶやいたのです。「もう、おかあちゃん、むり。気が狂いそう。」あの働き者の母にも限界がおとずれていました。「おばあちゃんには実の娘もいるのに、手伝いにも来てくれない。」あのがまん強い母からこんな愚痴を聞かされた記憶も残っています。初めてみる母親の涙に、12歳の私は、何ひとつ返す言葉がありませんでした。これから母はどうなってしまうのだろう、ただただ不安におののき、怖かった。

話を戻します。こうした母親世代は、一世代前に比べて兄弟姉妹の数が少ない。そのため、自分ひとりで抱え込まざるを得ない状況があります。さらには、自分の親だけでなく、夫の親の介護も任されます。ダブルではなく、トリプルケアです。一時期ほど話題に出なくなりましたが、嫁姑の関係がうまくいっていない中での姑の介護って、嫁さんにしてみたら「どうなの?」。どこぞの人からお叱りを受けそうですが、本音をぶち込こめば、これって「苦行」以外何物でもないですよね。好きでもない「他人」の介護に身も心も奪われてしまうのですから。きれいごとでは済まされません。警告:家族介護によるうつ病(「介護うつ」)が蔓延しています!

介護について私見を述べさせて頂ければ、①自分一人で抱え込んではいけない、がんばってはいけない。介護とは、一個人では決して背負いこんではならない労働ととらえる。 ②弱音を吐き、愚痴をこぼすことの大切さを知る。そうした相手(家族、友人、ケアマネージャー、民間団体、NPO)を見つける。③労働法規同様、情報を調べ尽くすこと。介護保険、介護休暇、育児休暇、ショート・ステイやデイ・ケアなどの公的サービス、介護施設に老人ホーム、等々、時間の許す限りにおいて情報を手に入れましょう。④最後は家族の協力です。

 

最後の話題になります。最近行われた教育関係の調査結果のひとつを御紹介します(5月2日付)。記事をそのまま引用します。

「自分と違う意見や考えを受け入れる、ナイフや包丁でりんごの皮をむく、上手に気分転換するなどを『生活力』と位置づけて、体験活動や保護者の関わりを見た。その結果、小4~小6では、『もっと頑張りなさい』と言うなど、保護者が叱咤激励する度合いが高くても、生活力に違いが見られなかった。一方、保護者が自分の体験を話したり、山や森、川や海など自然の中で遊ぶといった自然体験や家の手伝い、読書などをしたりする子どもほど、生活力が高かった。」 つまり、頑張れ!と励ましたり、叱ったりしても生活力は向上しない、親子共々の実践と行動が不可欠だ、と言うことでしょうか。

誰が言ったのか不明ですが、こんな箴言があります。「子どもは親の言うようにはならない、するようになる」と。もうひとつ。”Actions speak louder than words.”(人となりは、言葉ではなく行動で分かる。)

 

人を言葉だけで動かすというのは難しいものです。ましてや自分の子どもの教育やしつけとなると、言葉による効き目などあってないようなもの。子どもは親の背中を見て育つとも言いますが、何とも頼りない背中で、見せられたものではありませんよね。

 

願わくば、親自らが生き生きと,はつらつとした毎日を送っていくことが何よりの「背中」になってくれたら。愛情光線を浴びせかけながら、「背中」を見せつけてまいりましょう!

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