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ひとの弱さや甘えを引き受ける時です

2020.08.19 塾長ブログ

この8月中、ウエルの生徒3名が学校から(より正確には保健所から)の要請でPCR検査を受けました。親⇒子⇒友達という経路のようです。もちろん、3人とも陰性でした。

7月に入って、都立高校の部活が本格的に始まりました。

マスクなしの接触プレーが当たり前のように行われる毎日。例えばサッカーやバスケなど、お互い声を掛け合い、つばを飛ばし、あせを飛散し合うプレーの連続です。

わたしは不安と疑問から、東京都の教育委員会のある部署に電話にて問い合わせをしました。

 

「接触プレーはクラスター(集団感染)発生の原因にならないのか?」「このまま続行させることに問題はないのか?」と。

担当者の対応はとても丁寧で、好感が持てるほどでしたが、回答は一言、「感染に注意をしてやっていただいています」と、まったくもって満足のいくものではありませんでした。突っ込んだ質問をしてもだんまりか、あいまいにしか返答できず、これ以上質問しても無駄だと判断し、受話器を置きました。

 

他日、高校生に「部活で、何か感染対策してる?顧問からの指導はあった?」と聞いたところ、「いっさいありません。うちの顧問は練習にもほとんど顔を出さないし……」。

いい加減なものです。

いい加減と言えば、飲食店でよく見かけるようになった「感染防止徹底宣言ステッカー」。都知事はこれ見よがしに、「このステッカーが貼ってあるお店で飲食してください」と独自政策の優越性を振りかざしていましたが、何のことはない、WEB上で極めて常識的な確認事項(手洗いの徹底、3密回避など)にチェックを入れれば、誰でもが容易に手に入る(プリントアウトできる)代物なのです。

 

驚いたというより、都のやること(国のアベのマスクやGOTOナントカも同様ですが)のあまりの無責任さに怒りを通り越し、絶句するばかりです。

話を戻しましょう。

部活の本格化からすでに1か月以上たっているのですが、不思議に思うことが2点あります。

 

1つは、モーニングショーに代表されるTV番組で、接触プレーに関する専門家の見解が取り上げられないことです。飛沫感染の危険性は繰り返し語られているのに、です。

 

2つは、接触プレーが原因で部活内に感染が拡がった、という報告が上がって来ません。全国各地で毎日接触プレーが行われているというのに。

松江市の私立高校のサッカー部で100名弱のクラスターが発生し、マスコミで大きく取り上げられました。

 

合宿所内の密(食堂・風呂)、バスでの遠征での密、そしてマスクをしないままの壮行会(かなりの数の高校生がフェイス・トゥ・フェイスで握手をしています。なお、この写真は現在削除されています。生徒個人のプライバシーを守るというより、この時期にマスクをさせなかったという高校側の落ち度を隠ぺいするためなのでしょうか。)、今のところこうしたことが指摘されています。

 

接触プレーが直接の原因ではないようです。

こんな記事に目を奪われました。

 

ダイヤモンド・プリンセス号に乗船し、一時マスコミにも登場していた神戸大大学院教授・岩田健太郎氏(感染学)の見解です(朝日新聞 8月11日付)。

 

「(サッカー選手が)相手と激しく競り合っていますね。でも、感染するリスクはほとんどないんです。サッカーではこれだけ密着しても時間は短く、限定的。これは小中高校生にも言えることなので、安心して全力でプレーしてほしいです。」

 

その他、試合前後の手指消毒の徹底、タオルや飲料水の供用を避ける、付き添い保護者同士の雑談を避ける、公共交通機関を使わず、マイカーで、等々、注意を喚起しています。

“接触プレーそのものでは感染しない、安心して。”スポーツに打ち込む中高生にとって、これ以上はない安心材料です。ただ、「時間は短く、限定的」という論拠にわたしは思わず「ウーーー」とうなってしまうのですが……。さらなる説明が欲しいところ。

いろいろな専門家が次々登場しては消え、登場しては消える。売名的な専門家がいれば、政府寄りの評論家的な専門家もいる。私たちにできる事は、専門家やいわゆる著名人の見解や主張を自分の頭で整理し直して、批判的な精神をもって検討する。そして、いま自分に、家族に、チームメイトにしてあげられる事を同調圧力に屈することなく実行する。これしかないですね。

中高生には思う存分部活・スポーツに打ち込んでもらいたい。

注意すべきは、コーチ、監督、顧問のあり方です。

はっきり言ってしまうと、スポーツ科学を無視した(学んでいない)指導者によるチーム運営や練習メニュー、これが何よりもこわい。ただただこれまでの経験値に寄りかかり、いまだに「根性論」をふりかざす指導者、危険です。けが人が続出することもわかっています。ご退場願いたい。

 

親が「賢明」にならなければなりません。

「懸命」ではなく、学習を積んだ上での賢さです。指導者につぶされた生徒をこれまで何人も見てきました。メンタル面、フィジィカル面、両面からしっかり見守ってあげてください。親しか子を守れません。

ここで、PCR検査関連のウエルの対応について付け加えておきます。まず、メールでも、電話でも結構なので、早急にご連絡下さい。学校からのお知らせを送信してください。検査することが決まったら、その日から結果が出るまでは『自宅待機』してください。陰性であれば、検温をして体調を見計らったうえで来塾してください。以上、ご確認のほどお願いいたします。わたしも37.5度以上の発熱があれば、臨時休塾とし、その後についてはHP上のブログに逐次ご連絡いたします。

 

話題を変えます。

 

世界的な広がりを見せた抗議運動 BLACK  LIVES  MATTER(「黒人の命は大切だ」「黒人の命を軽んじるな」など和訳は多数あり)。推定1500万人から2600万人が参加し、アメリカ最大の運動となりました。歴史的にも、構造的にもアメリカ社会における黒人への暴力と差別の根深さがうかがい知れます。

日本人も我が身を振り返らなければなりません。

そう、新型コロナウイルス感染者への差別とつるし上げ。「医療従事者の子は登園しないで」「東京人は帰れ」「とっとと店を閉めて家で寝ていろ。発見すれば通報する」等々、あまりの露骨さに人間性を疑いたくなりますね。

8月に行われた1000人規模の調査があるのですが、「感染は自業自得だと思うか」という質問に、「そう思う」と答えた人の割合が、アメリカ=4.9%、イギリス=1.36%なのに対し、日本=17.24%にのぼりました。この差は大きい。

 

日本人は規範意識が諸外国に比べて高いせいなのか、『自業自得』や『自己責任』という個人へのバッシングで事を収めようとする傾向が強いようにわたしには感じられました。

 

感染経路不明が60%のなか、自業自得として責めるのは酷な現状です。

確かに、コロナ禍のような社会全体に不安が蔓延する非常時において、人は特定の人間(集団)を悪者扱いし、差別・攻撃することによって、不安から逃れようとする心理が働きます。

 

アメリカ、イギリスとの違いは、キリスト教の信仰なのでしょうか。神や愛といった利他的な対象を持たぬ日本人は、安易にも個人バッシングに走ってしまう。心性的に、幼いというか想像力に欠けるというか。

子どもが悪さをする、非行事件を起こす。まず責められるのが母親。「しつけがなっていない!」と。若い女性が襲われる。まず責められるのが被害者である女性。「そんな時間に派手な格好をして歩いているからだ」と。

 

被害を受けた側が責めを受けるという転倒した構図が日本社会に存在しています。

自民党が信奉する新自由主義は、社会の様々な場面で格差と分断を作り出してきました。社会的な弱者が生きづらい世の中になってしまいました。

 

あのジジイ・ババアキラーの毒蝮三太夫さん(84)がほのぼのする言葉を投げかけてくれます。

 

「今はコロナ禍で相手と物理的に距離をとっても、心の『密』は忘れちゃいけない。『心の密=親密』だ。」

 

その通りですね。

今こそ相手の弱さや甘えを引き受けてあげる。ふがいない権力者には徹底的な批判を浴びせかける一方、自分のとなりにいる人、困っている人に対する想像力と思いやりの行動。

 

人は弱くてもいい、生産性などなくて結構。

人と人が「心の密」を何よりも大切にする世の中になってもらいたい。

 

新型コロナの副産物が、“人と人との愛の深化”となれば、こんなすばらしいことはありません。

 

まずは、わが子がそばにいてくれることへの感謝から。

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