塾長ブログ

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人間観なき政治は退廃する

2020.11.12 塾長ブログ

GoTo、利用しました。“安かった、おいしかった、楽しかった”と声にできない自制する自分がいて、少しばかり負い目を感じています。

GoToどころか、生活に追われて恩恵にあずかれない人たちがたくさんいる。

 

経済的、精神的に追い詰められ、自ら命を絶つ人たちも激増している。

8月の男性の自殺者は前年同月に比べ10%増えています。女性は45%も増え、651人が自死しました(9月は640人、10月は851人)。特に20歳未満の女性は昨年の3.6倍の増加です。中学生16人、高校生42人という数字も見逃せません。

働く女性の半数以上が不安定な非正規労働者。

確固たる保障はなく、賃金も年齢通りには上げてくれない。不当な理由で解雇や雇い止め、退職を勧奨される。差別だけでなく、様々なハラスメントにもさらされる。

 

あの総理、やはり嘘つきでしたね。

「女性が輝く社会」「同一労働同一賃金」「指導的地位の女性の割合を30%に」「3年間、赤ちゃん抱っこし放題」……。

 

女性が輝くどころか、死に直面しているのです。

どれひとつ実現していません。怒・怒・怒・・・。もっともっと怒りをぶつけなければ!

年末に雇用調整助成金が切れます。解雇者が急増します。

ともなって自死者の数も。急務は携帯の値下げや、不妊治療の保険適用ではないでしょう。まずは人の命と生活に税金を投入せよ!

 

6月にLINEで行ったアンケートでは、10代の女性950人中、69%が「消えたい、死にたい」と回答しています。高校生42人、中学生16人という上記の数字も、いわゆる「暗数」を考え合わせると、この数字の何倍もの中高生が自殺未遂していることになります。

わたしたち親としての心得は、まず親が子どもにとって信頼できる対象になっているか。

そして家庭が子どもにとって何でも話せる安心の基地として機能しているか。この2点を確認しておきましょう。

何でも話せる、これが難しい。

特にいじめ自殺では、子どもは愛する親に心配をかけたくないことから、あるいはいじめられている自分を知られたくないから、親には相談せず遺書を残して、こうしたケースも目立ちます。

問われるべきは親の人間観です。

あの‘学者を拒否る’総理のように「人一倍努力して、困難にもめげず、自力で乗り越えて……」という自助、独立の人間観に立つのか、それとも、「人間って、そんな強い生き物ではない。苦しいとき、泣きたいときは人を頼り、人に泣きつく。真に自立している人は、決して一匹狼ではなく、他人の力を借りながら、ともに生きていける人」という共生、包摂の人間観に立つのか。

 

両者の違いは大きい。

見栄を張って強がるよりも、「助けてください」と心からのお願いができる人に、わたしは魅力を感じます。

政府自民党は新自由主義という理念の下、競争原理を社会に持ち込みました。

戦いに負けたものは、自己責任として処理され、社会から放置される。すべてはお前の努力・能力不足だと。新自由主義は弱者を自殺へと誘導する危険な思想でもあるのです。

 

「勝ち組・負け組」「上級国民・下流国民」などのワードも、まさしく新自由主義的な発想から生まれたものです。

あの杉田何某という自民党の女性国会議員、「LGBTには生産性がないから、税金を使って支援するな」云々という指摘。

人を「生産性」のある・なしで判断する暴言。

「重度障がい者には生きる価値がない」とするあの殺人犯同様、歪んだ最悪の人間観と言えます。

わたしが自民党に歩み寄れないのは、こうした政治の根本にあるべき人間観、哲学が貧弱というか、いや強者の人間観以外見当たらないからです。強者の人間観は、必然的に強者、富裕層、大企業本位の政策、法律を打ち出すことになります。

 

若年層の女性の生活と命がこれほどまでに脅かされていようとも、スガ内閣は何ひとつ手を差し伸べようとしていない。

この鈍感さと、弱者への貧困なまなざし。国民のために働く内閣? あきれてものが言えません。

子どもたちには次のような内容のことを伝えておきたいです。

“一生のうち、絶望の淵に立って、死と対峙するような場面がないとは言えない。

人は弱き生き物。人は不器量な動物。大粒の涙を流しつくしたら、ひたすら人を求めること。人に頼ること。人は生きていること自体に価値があること。忘れないでほしい。”

 

この世で最も大切なもの、それは人の命であることを繰り返し力説しておきましょう。

 

興味深い本に出会いました(岡檀『生き心地の良い町~この自殺率の低さには理由がある~』講談社)。

徳島県の南部にある小さな田舎町(海部町)は、全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”希少地域」。自殺予防因子が5項目にまとめられ、そのうちのひとつが、現地のおばちゃんいわく、『病、市(いち)に出せと、昔から言うてな。やせ我慢はええことがひとつもない』というものです。

 

「病」とは、病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題を指します。こんな時はやせ我慢したり、虚勢を張ったりせずに思い切って市に、人に、行政に援助の手を求めていきなさい。取り返しのつかない事態に至る前に周囲に相談せよ、という教え。伝統的に受け継がれているそうです。

一方、「自殺多発地域」であるA町。

助け合いという相互扶助を尊ぶ気持ちはあるものの、「近所の迷惑になる」「人様に迷惑をかける」という道徳心が根強くあり、自分の悩みやトラブルを誰かに相談することに強い抵抗感を感じているといいます。人を頼ることに罪悪感や、羞恥心が働いてしまうのでしょうか、あと一歩が踏み出せないようです。

海部町とは対照的ですね。「あなたは悩みやストレスを抱えたときに、誰かに相談したりすることを恥ずかしいと思いますか?」とのアンケートに、62.8%が「助けを求めることを恥ずかしいと思わない」と回答しています(ちなみにA町は47.3%)。またある精神科の医師は「海部町から来院する患者の特徴として、軽症の段階で受診する場合が多い」と指摘しています。精神科に対する偏見や抵抗感が一般の方に比べて低いということなのでしょう。

わたしが感じたのは、1つには、世間体や恥、迷惑といった日本的な文化から自由であるという点です。日本人は同調圧力に極めて弱い国民と言われる中で、世間体や恥の束縛にひるんではいないこと、とても感心しました。

2つには、田舎町のおじいちゃん、おばあちゃんたち、驚くほどの合理的な精神を持っていること。今風の言葉では「リスクマネジメント」(危機管理)が慣習の中に息づいているのです。

3つは、いつまでも‘ねちょねちょ’してないで、からだを動かせ、行動せよ、とのメッセージ性にあふれていること。

以上、筆者は「この町では個々人が私的な悩みを開示しやすい環境づくりを心がけてきた痕跡がみられる」との1文を残しています。

 

 

さあ、ご家庭内も同様な環境づくりに着手しましょう。

ウエルの皆さんの家庭は、生徒との個人面談などから察すれば、申し分なしの環境です。

今月号のお便りは、若年層に自死者が多いですよといった注意喚起とともに、何よりもお母さん方の心とからだのウエル・ビーイング(健康)を念頭に置いていました。

お母さん、無理していませんか。頑張りすぎていませんか。がんばり過ぎていいことはありません。

がまんのし過ぎは体調不良のもと。それこそ、早期診断、早期治療です。休むこと、手抜きをすること、「適当力」を大いに発揮すること。

 

お母さん自身も遠慮することなく人に愚痴り、泣きつき、頼ってください。

 

たまには、母という重みや責任感から脱出し、開放感に浸ってほしと思います。

お母さんのイキイキ感は子育てになくてはならぬものです。もちろん子育てのためのイキイキ感ではなく、お母さん自身の人生のためのイキイキ感です。

 

「子どもの手が離れたら……」なんて言っていると、知らぬ間にやってくる老いにがんじがらめにされてしまいますよ。

 

自分を生きること、難しければ、自分の時間を今より多く確保すること、そして自分の世界に浸って、自分を取り戻すようにしてください。何とか工夫してみてください。

※恒例の定期テスト直前の「日曜教室」および「クリスマス コンサート」は3密回避から、残念ながら中止とさせていただきました。なお、今学期の質問教室は、火・水・土の午後7:30~です。
※満席であった中1・2年クラスに1名ずつの空きができました。もしお知り合いの方がいらっしゃれば、ぜひご紹介ください。お願い致します。小学部と高1・2年クラスは席に余裕がございます。

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