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入試に不利な子

2017.03.17 塾長ブログ

ウエル学院には3つの掲示があります。

入ってすぐの下駄箱の上には、孟宗竹で縁取られた額にこんな墨書が。 「幸せという花が あるとすればその花の蕾の ようなものだろうか 辛いという字がある もう少しで 幸せに なれそうな気がする」

今は辛いよね、でももう少し頑張ってみようか。きっと幸せの花が微笑んでくれるよ、とささやきかけているような優しさあふれる励ましの詩ですね。ご存知の方も多いかと思います。体操の模範演技で頸髄を損傷し、首から下の運動機能を失うも、口に筆を加えて詩画を創作する星野富弘氏(1946年~)。これまで世界各国で詩画展が開催され、大きな感動を呼んできました。図書館で借りて、ぜひ作品集に直接接してみてください。優しさいっぱいの心地よさに満たされます。自分の粗雑な心に落ち着きをもたらせてくれます。色彩画もとってもきれいです。常備薬ならぬ常備詩画集として手元に置いておきたいものです。

2つ目はホワイトボードの上に掲示されています。フランスの大作家、ロマン・ロランによるものです。 「人間は信じている時には、結果など気にかけずに行動する。勝とうと負けようと、問題ではない。《しなければならないことをしろ!》(『ジャン・クリストフ』第1巻 新潮文庫)

ロランはこの作品によってノーベル文学賞を受賞しました。主人公のジャン・クリストフはベートーヴェンがモデルです。その挫折と苦悩の生涯を長編小説に仕立てました。“落ちたらどうしよう”“自信がなくなってきた”、こうした不安の渦中にある受験生を励ますには格好の格言ではないでしょうか。

実は私自身が自信喪失の中にあって、偶然目にしたのがこのロランの言葉なのです。もう30年以上も前、大学院の入試日。午前中の筆記試験を終え、青白い顔のまま大学の本屋へ足を運び、たまたま手にしたのが新潮文庫の『ジャン・クリストフ』第1巻。食堂で一番安いカレーライスを無理やり口に詰め込みながら、パラパラとページを繰っていると《しなければならないことをしろ!》との命令調の一文に目が奪われました。筆記試験に自信が持てず意気消沈していた自分に“喝”を入れてくれました。気持ちを切り替え、午後の面接試験(15人ほどの教授に囲まれての‘圧迫面接’)をどうにか切り抜けました。今になっては懐かしい思い出ですが、この言葉に救われたことは確かです。まさしく、私にとっての座右の銘です。ついでと言っては何ですが、特に合格発表を控えた受験生には次の禅語を紹介し、結果をあるがままに受け入れるようアドバイスします。 「失意泰然 得意淡然」

すなわち、悲しいことや辛いことがあっても落ち着いてそれに動ぜず、うれしいことや誇らしげなことがあってもそれに執着せず静かに受け止めよ。どんな時でも一喜一憂せず、飄々(ひょうひょう)としていられる自分になりたいと思うのです。まだまだ修行が足りません。

3つ目の掲示、それは私の教育目標です。塾の外壁にカッティングシートで掲げてありますので、特に年配の方などが足を止めて読んでくれます。 「『なぜ勉強しなければならないの?』 それはね、弱い人や困っている人の立場に立ってものを考え、行動できる人間になるためなんだよ。そのためには“地頭力”と“消えない学力”というものが必要になるんだ。ウエル学院はそうした賢くも心優しい生徒を追い求めているんだよ。」

別に格好をつけているわけではないのですが、すでに学生時代の頃から社会的な弱者の立場に立ってものを考えるという視座は譲れなくなっていました。日本の植民地支配の犠牲になってきた中国や朝鮮・韓国、従軍慰安婦、特攻、被爆者、ハンセン病、部落差別、障がい者差別、そして現在の過労死や貧困問題等々、敏感に反応し勉強へと向かいます。子どもたちには本当の意味での賢さを身につけてもらいたい。ただ成績がよくてもダメ。他者に対する洞察力や優しさ、ひと声かけてあげる勇気、そして学習を積み重ねることよって問題点を指摘し、解決へと導いていく行動力。私の理想とする教育目標です。

話が飛ぶようですが、アベちゃんの選んだ閣僚やお友達は、何ゆえあんなにレベルが低いのですかね。ナントカ学園の理事長だとか、防衛大臣だとか、話を聞いているこっちの方がその幼稚さに羞恥心を覚えます。戦前の軍国主義教育の象徴である教育勅語をちびっ子に素読させたり、肯定賛美してしまうのですから、世も末です。教育勅語の内容の問題はともかく、それが果たした歴史的な役割についてなぜ科学的な認識ができないものか、唖然とします。

さて話題を今年度の入試状況に変えましょう。昨年度に並ぶ過去最高の実質倍率となった都立入試。

‘厳しかった!’の一言です。普通科男子は1.46倍。女子は1.47倍。3人中1人は不合格です。ウエルの生徒の場合、1.86→1.82→1.81→1.72→1.72→1.70→1.65……と、あえて高倍率の高校ばかりを選んでチャレンジしたかのようです。実質倍率1.8とは、9人受けると4人が不合格になります。都立高校は「合格して当たり前」の時代はとうに過ぎ、「不合格でもしょうがない」時代に突入しました。大少子化時代に備えてなのか、定員を絞りすぎています。「都民ファースト」には程遠い定員枠と言えます。ユリコ都知事は、この辺の事情を把握しているでしょうか?

ウエルの伝統なのか、私の動機付けからなのか、受験生の目標は皆高い。倍率にお構いなく受験します。それゆえ合格した時の喜びは格別です。達成感で満たされます。ただ、当然危険が伴います。チャレンジさせるのか、それともランクを下げるのか、この選択がとても悩ましいのです。

大学受験ですが、入試傾向や数字的なものが出そろっていませんので、別の機会に総括します。今年は、3人の男子生徒が奮闘しました。東京農業大学、ICU,上智大学、理科大学、そして早稲田。農大に合格したM君は、高3当初英語に難がありましたが、私が提示した15冊ほどの問題集をすべてやり切り、センター試験でも200点中192点(次に登場するA君は198点)を取るまでになりました。理科大と早稲田に合格したA君。京都大学を目指して人並ならぬ努力を重ねてきたのですが、二条城の堅牢な城門を打ち砕くことはできませんでした。人に対して本当にやさしく、またマナーをわきまえたA君。実は彼、中学3年間不登校でした。高校も通信教育的なところで大学受験には不向き。様々なハンデを克服しての受験生活でした。2年間彼と関わるなかで、私も大いなる刺激を与えてもらえました。1浪して京大に再チャレンジするか、あるいは早稲田に進むか、一緒にごはんを食べながら語らいました。

よわい(齢)を重ねたからなのでしょうか、ここ数年、入試で不合格の烙印を押された生徒に対する私自身の感受性に変化がもたらされるようになりました。なんと言ったらよいのか、理性や論理よりも、感傷が優位に立ち、おじいちゃんやおばあちゃんが病気にかかった孫に“嗚呼、かわいそうに!”と嘆くのと同質の心情を抱くようになってしまいました。まだまだ爺様になるには早いのですが……。これまでですと、不合格に対しては、客観的、あるいは冷徹に「運も不運もなく、ただただ力不足の結果(本人と私の力不足)」と見てきましたが、現在はそのように割り切ることができなくなりました。生徒と一緒に涙したい気持ちになります。年を取ると涙腺が弱くなる、と言われますが、わかるような気がします。生徒達には「失意泰然」などと偉そうに禅語を振りかざしながらも、私自身が情けないことになっているこの現実。昔は壁に向かって9年も坐禅を続けたダルマ(達磨)大師に、そして現在は人々の悲しみに共感し涙するマリア様に心ひきつけられます。

今月号のメインテーマ、入試に不利な子にうつります。まずお断りしておくことは、私の言う入試に不利な子というのは、勉強不足の子とか、メンタル面が弱いという否定的なニュアンスは一切含まれていません。ここで扱うのはその逆で、まじめに取り組み努力を怠らないけれど、合格圏内に入っていけない子のことです。こういう生徒の不合格が一番堪えます。

私の都立高校の合否予想はかなりの精度です。これまでの会場テストと2月上旬の塾内最終診断テストの結果、そしてここ1か月の本人の‘ノリ’と取り組み等を総合的に判断します。最後の三者面談で、不合格の確率が高いと判断した時は、「都立が第1希望であれば、ここの高校はお薦めしません」とはっきり伝えます。最終決断は各御家庭にありますので、当然果敢に受験していくことがあります。しかし、結果は、残念ながらほとんどが不合格と出ます。

ところが、私の予想が合格圏内にあっても、不合格になることはもちろんあります。これこそが‘マリアの涙’なのです。たいして勉強もしていないのに成績が良かったり、数学がやたらにできたり、あらゆることに機転が利く生徒がいます。反対に、若干不器用だけれども、まじめにコツコツと努力を積み重ねていくタイプの子がいます。仮に前者をセンス型、後者を努力型と2分割して考えてみましょう。野球のイチロー選手などは、センス+努力型の典型でしょう。両方の才能があればもう無敵です。努力型の生徒はセンス型に比べ、思考が直線的で、変化に対応するのが苦手な傾向があります。学校の定期テストなど暗記中心の成績はいいのですが、初めて見る問題や応用問題が多く含まれるテストになると点数が伸びてきません。残り1ヶ月の追い込み学習においても、成績の伸び率は圧倒的にセンス型に軍配が上がってしまいます。入試という緊張感いっぱいの雰囲気の中で、あるいは出題傾向が一律でない状況の中で、対応力に勝っているのはセンス型の生徒です。上位高校になればなるほど、両者の差が合格率に直接反映してしまうのです。

2020年、センター試験が廃止され、「思考力・判断力・表現力」をより重視する出題に様変わりします。私はさほどの違いが出てくるとは予想していないのですが、字句通りに理解すればセンス型が有利になります。思考が深くかつ多様であるからです。私としては、努力がそのまま報われるような出題内容を期待しています。

努力型の子のほとんどは、すでに自分のセンスのなさに気がついています。劣等感に悩んだり、自分に怒りをもったり、不公平感に苛立ちを覚えたり、思春期ゆえの自己否定や自己嫌悪を心の隅に抱えながら毎日を送っています。

 

親にできることは、これまで何度も述べてきましたが、我が子のあるがままの姿の全面的肯定と努力に対する徹底した評価、そして努力の人である我が子への深い愛情(表現)、これしかありません。決して努力のハードルを親が上げてはいけません。子どもは「まだ自分は努力が足りないのだ」と自己評価を下してしまうからです。親が言わなくとも、超えるべきハードルの高さは本人が自覚しているものです。自然な自己成長に任せればいい。親の余計な手だし・口出しは禁物です。さあ、新学年が始まります!

 

  2017年春 合格おめでとう!!

   《中学部》 青山高校 上野高校(2名) 科学技術高校 

          城東高校 両国高校

          郁文館 関東第一(2名) 錦城学園 駒込(4名) 

          淑徳巣鴨 昭和学院秀英 順天 正則高校(2名) 

          成立学園

          多摩大目黒 日大一高

   《高校部》 ICU(教養) 文京学院大学(看護) 帝京大学(教育)

          帝京大学(観光) 東京農業大学(生物) 

          東京農業大学(食品) 東京理科大学(理学) 

          明星大学(教育) 上智大学(法学)

          上智大学(総合G) 早稲田大学(基幹理工)

 

          どの子もみな、精一杯の力を出し切ってくれました。

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