墨田区 東向島 学習塾 ウエル学院平野進学教室からのお便りです。
ウエル学院の書棚には小中学生に読ませたい本・絵本がびっしりと積まれています。
これまで繰り返し読み聞かせをしてきた名作『おかあさんの木』(大川悦生 ポプラ社 1969年)。‘ある方’にぜひ読んでもらいたいのです。
おかあさんには7人の息子がいました。日中戦争がはじまると、1人、2人と召集されていきます。そのたびおかあさんは、キリ(桐)の木を植えて、愛情深く育てます。そして、来る日も来る日もキリの木に語りかけて、息子たちの無事を祈るのでした。
ある日、おかあさんは長男・一郎の戦死を知らされます。一郎の写真を抱きしめて、
「二郎も、三郎も、四郎もな、一郎にいさんみたいに死んだらいけん。てがらなんて、たてんでもいい。……きっと、生きて帰っておくれや」と。
‘非国民’呼ばわりされようとも、おかあさんは語りをやめることはしません。
「いまだからいうよ。おまえが、おくにのおやくにたてて、うれしいなんて、ほんとうなものか。せんそうで死なせるために、おまえたちをうんだのでないぞえ。いっしょうけんめい大きくしたのでないぞえ。」
またある時は、戦地の空の方を眺めて、
「みんなのむすこやとうさんたちをたくさん死なせ、外国の町だの村だのをとったって、なんのいいことがあろうかの。はやく、せんそうやめて、なかなおりすればいいに。」
わが子の死。
その悲嘆と絶望は言葉になりません。
おかあさんは、「お国のため」という国家による洗脳から自由でした。
侵略戦争の無謀さと残忍さを敏感に感じ取る身体性を持ち合わせていました。まさに教養人です。
「非国民め!」と暴力で一般市民を脅す権力側の人間が、いかに無知で無能で鈍感なのか、おかあさんは知らしめてくれます。
秋がきて、キリの葉が散り始めたころ、こずえを見上げながら、
「なにも、おまえたちのせいではないぞえ。日本じゅうの、とうさんやかあさんがよわかったんじゃ。みんなして、むすこをへいたいにはやらへん、せんそうはいやだと、いっしょうけんめいいうておったら、こうはならんかったでなあ」。
なんと謙虚なおかあさんなのでしょう。親側の戦争責任を自覚し、また反省しているではありませんか。
戦後、戦争責任からあらゆる手を尽くして逃れようとする輩とは、人間の器が違い過ぎます。
あの名古屋市長の発言(4/3)はどうでしょう。
「祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的な行為だ」 「学校教育の現場でもこうしたことを「一定は考えないといけない」。
戦争へ行き、命を捨てることが、道徳的?
学校現場でもその道徳を教えろ?
困ったものですね。開いた口がふさがりません。批判する意欲もそがれてしまいます。
平和憲法や教育基本法(1947年)の条項・理念もわかっていない(わかろうとしない)。
「教え子を再び戦場に送るな」(1951年)という当時の教職員の反戦と平和への決意表明などの歴史も勉強していないのでしょう。
子を持つ親、孫を持つ祖父母は黙っていてはいけません。
学校現場にこんな「道徳」を持ち込まれたら、たまったものではありません。
この市長を言論をもって糾弾すべきですね。
「とうさんやかあさんがよわかったんじゃ」と後悔しないために。
無知が暴言を生みだす。
あらためてこの市長を反面教師として学ぶ教訓です。
わが生徒たちには、まさしく“無知の知”という哲学知を学び取ってもらいたいと思います。
本日もお読みいただきありがとうございます。
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