サッカーの日本代表、本田圭佑選手(28)を御存知でしょうか。先輩であろうが、同僚であろうが、歯に衣着せぬ言動で注目を浴びている一流選手ですが、一児の父としてこんな発言をしていました。
「子どもは社会からの授かりものだと思っているので、社会に何 か貢献できる子どもにしたい。」
「僕はおしめを取り替えたこともない父親ですが」と前置きした上での発言ですが、私は彼のクールさ(賢明さ)に惚れました。
話の前後から察すると、彼の言う「子どもは社会からの授かりもの」とは、「子どもは社会からお借りしたもの」というニュアンスを含んでいます。お借りしたものだから、いつかはお返ししなければならない。それも「社会に貢献できる人間」という“利子”を付けて。私はこんなふうに解釈しました。
日本語の「我が子」には、「親の所有物としての子供」という含みが多分にあります。先月号(ウエル学院便り『いずみ』6月号)で取りあげたタレント西川史子の母などは、まさに典型ですね。「私が産んだ子供、どうしようと勝手でしょ!」と。これで済めばいいが、次のようになったら犯罪性を帯びる。「おれの子供だ。しつけの一貫でたたいた。虐待なんかではない!」
あらためて本田選手の子育て論、すなわち、きっちり育てて、社会にお返しする、という実に寛容で、理知的な考え方を心におさめておきたいと思います。
お問い合わせ
0120-630-133