塾長ブログ

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学習意欲と努力について

2021.10.22 塾長ブログ

中学2年生クラス、前期期末テストで大健闘!

クラスの半数が1・2学年を通して“最高順位”を取ってきました。
総合順位はかなわなかったものの、英語や数学で初めて9割を超えたなど、うれしい報告をしてくれました。なかでも、墨中のA子さんは念願の学年1位を、桜堤のB君は2位をたたき出しました。中学2年生という“中だるみ期”にあって、緊張感を維持しながらテスト勉強に励みました。

そう、授業日以外にも来て自習をしていました。質問教室を大いに利用していました。
前向きな生徒が多いクラスは、授業中の雰囲気も最高です。

ひとり忘れていました。Cくんです。
5科総合で初めて20番台に入りましたが、テスト前にお母さんが入院して、おおきな手術をすることになりました。C君を呼んで、「こんな時こそ、お母さんに心配などかけないこと。家のこと、学校のことをきっちりこなし、安心させてあげよう。」と励ましの言葉をかけました。テスト前の集中力がこれまでとは違っていました。学年1位・2位にも匹敵する価値ある20番台です。

 

ほんとうは成績上位者の名前や得点・順位を貼り出して、努力の成果を称えてあげたいのですが、わたしの流儀ではありません。

どんなに努力をしても上位者にはなれない生徒がたくさんいるからです。
もちろん、クラスの中で、また1対1の場面では大いにほめることは忘れません。

一方、「D子ちゃんもA子ちゃんを見習って、順位を上げてきなさい」などと友達との比較による動機付けは行いません。教育上の“禁じ手”と思ってください。反発を食らい、軽蔑されるだけです。

仮にも「A子ちゃんを見習って、順位を……」などと中学生のわたし・マサハル君が言われようもんなら、次のように返します。

「A子ちゃん家を見習って、夏は海外旅行に連れて行ってよ!」と。

口減らずのマサハル少年でした。

『ほめる』にはTPOが求められます。
いつ・どのタイミングで・どんな言葉や身振りで・具体的に何をほめるのか?ただやみくもにほめるのは逆効果です。子どもの成果や結果よりも、そこに至るプロセスと努力の内容をほめてあげなければなりません。能力や才能をほめるのではなく(叱るときも人格や人間性を否定することなく)、その子の隠れた必死さや汗の総量に賞賛の声をあげるのが理想です。

子どもは敏感です。
「お母さんは僕のこんなところまで見て、評価してくれたんだ!」こんな感謝の弁がほしいですね。まちがっても、「僕は人からほめられて伸びるタイプなんです」と恥ずかしげもなく言い放つ若者にしてはいけません。“ほめて育てる論”の代表的な‘失敗作’(失礼!)です。

 

学校の定期テストについてふれておきたいと思います。
昨年から実施された学習指導要領では「思考力・判断力・表現力」の育成が強調されることになりました。その結果、定期テストにおいて科目に関わらず、記述式の問題が増えてきました。

また、入試もその傾向が強くなったせいで、中学1年生であっても、入試を意識した出題が散見されるようになりました。現代資本主義社会における“経済格差”と同様に、学習能力の差によって“得点格差”が一層拡がることが懸念されます。

親としての心構え、それは『テスト結果についてうるさく言わない』ことです。

理由その1は、わが子の学習上の諸能力、例えば暗記力、論理的思考力、言語能力、読解力、空間認知力等々が、平均に比べ劣っていれば上位に入り込むことは難しくなります。

理由その2は、わが子の意欲や努力といったものは、環境や性格、親の幼少期からの関わり方によってつくられるものだからです。本人の意思の外に意欲や努力があるというとらえ方です。

特に環境では、「家族資本」が注目され、親(特に母親の)学歴や年収、蔵書数、博物館・美術館などへの訪問等々、こうした社会的・文化的な資源がわが子の意欲や努力に直結しているのです。(あれ、子どもの肩をもちすぎてしまいました……。)

当然のことながら、塾長として生徒たちのモチベーションを上げることに余念がありません。

限られた時間の中で、社会的なニュースやすぐれた活動をしている人物を紹介したり、ものの考え方を深めてみたり……。授業よりも興味津々に耳を傾けています。

 

わが愛するウエルのみんな、大きく育とうぜ!

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