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昭和の「オッサン」にもいろいろ

2018.11.06 塾長ブログ

お母さん方のすぐ近くに、偏狭で独断的ないわゆる昭和の「オッサン」や「バッサン」はいませんか。

古い価値観に凝り固まり、過去の成功体験に執着し、階層序列の意識が強く、よそ者や異質なものに不寛容な人のことを「オッサン」と呼ぶ人がいます(山口周『劣化するオッサン社会の処方箋』光文社新書2018年)。このオッサン連中がスポーツ界、大手メーカー、政治の世界などに君臨し、組織を牛耳っているという構図があちこちに見うけられます。

ところが、あの日大アメフト事件以来、いや正確には安倍シンパのジャーナリストY氏にレイプされた伊藤詩織さんの実名会見以来、“正義の告発”と呼ぶべき勇気あるムーヴメントが起こるようになりました。パワハラ、セクハラの罪深さに無自覚な「オッサン」たちを糾弾し、いかに退場させるか、マスコミを含めた国民の後押しが求められています。

山口氏の「オッサン」定義、なかなかうまくまとまっていますが、よく考えてみると戦前の威張った男たち=「帝国軍人」と多くの点で共通していることに気づきました。戦前から今日まで、日本の男は何の成長も遂げていないようです。「古い価値観」とは軍国主義的な忠君愛国の精神、「階層序列」とは軍隊内の厳格な階級制度、「よそ者や異質なものに不寛容」とは中国、朝鮮をはじめとするアジア諸国民に対する蔑視と暴力的な支配、「過去の成功体験に執着」とは満州侵略以来の植民地政策への固執、等々。

 

ものの見事に「オッサン」たちは、帝国軍人の悪しき“血”を受け継いでいるのです。日本の男は権威に弱いというか、権威あるものにすり寄るという習性があります。政権にすり寄る自民党国会議員、上司にゴマするサラリーマン……。

 

厳しくいってしまえば(自己反省を含めて)、個が脆弱というか、自立していないというか、日本男児はまさに“虎の威を借る狐”なのです。わたしなんかより、お母さん方の方が男のもろさや弱さに自覚的なのではないでしょうか。

一方、同じオッサンでも「ほとけのオッサン」が取り上げられるようになりました。わたし大好きです、このオッサン。行動力と、弱者に対する思いが半端でない。行方不明になった2歳の男の子をたった30分で発見した‘神と呼ばれるスーパーボランティア’、尾畠春夫さん、78歳です。雑誌(PRESIDENT 10・1号)も買いました、テレビのドキュメンタリー(情熱大陸)もビデオに録りました。

 

 昨日の睡眠時間は3時間だそうです。朝5時に起きて、川に流されてしまったという子どもの捜査をしていたのです。捜査のあとで、通常のボランティア活動をし、15時が過ぎても作業を止めずに17時まで居残りで黙々と頑張っています。(中略)1日の作業を終えたあとで、尾畠さんが、その日壊れた機材を修理し、ハンマーなどのメンテナンスを終え、整理整頓し、何もやることがなくなったことを確認したあとで、スタッフに「明日もやらせていただきます」「ご指導ご鞭撻ください」と深々とお辞儀をする姿を、疲れ果てて休んでいた私たちボランティアは何度も目にしました。

 

大分県で生まれ、小学5年の時大好きな母を亡くします。貧しさゆえ、農家に奉公に出され、中学校は3年間で、4ヶ月しか通うことができませんでした。目にいっぱい涙をためてこう言うのです。

 

 78歳になるけど、おふくろにおもいっきり抱きしめてもらいたい。いつか逝ったときにおふくろから背中の骨が折れるほどに、胸のあばら骨がおれるほどに、抱きしめてもらいたいね。

 

スーパーボランティアとは、肉体的な献身だけでなく、愛に満ち溢れた繊細な気持ちの持ち主のことをいうのですね。尾畠さんからたくさんのことを学ばせてもらいました。「生きる」ということの再認識を迫られました。

真逆のオッサン、経団連の会長が新卒者の就職活動の日程を廃止したい考えを表明し、波紋を呼んでいます。現行は3年生の3月から会社説明会、4年になり6月から採用面接(実質的な内定出し)とルール化されているものを一切撤廃するというものです。このルール自体すでに形骸化されている現実もあるのですが、就活が大学3・4年生からではなく、1・2年生と早まることが予想され、学生の本分に深刻な影響を与えることが必至です。就活が長期化されることにより、学業を軽視せざるを得なくなるでしょう。部活やサークル、留学、旅など自己陶冶のための時間が奪われることにもつながります。

経団連という大企業の「オッサン」連中は、やはり傲慢で強圧的です。大学生の生活を直接間接に支配し、政界との癒着を背景に大学というアカデミックな世界を我がものにしようと行動に出ました。大学の空洞化の始まりとわたしは危惧しています。就職のための大学ではないのです。この辺の認識が「オッサン」には理解されていないようです。

大学生の就活に関しては様々な弊害や問題点が指摘されているところですが、ここでは学歴差別のなかでも「学歴フィルター」についてふれてみたいと思います。言葉自体気持ちのいいものではありませんが、学歴フィルターとは、新卒採用において、企業側が大学名などでフィルターにかけ、偏差値の高い大学生を優遇し、偏差値の低い大学をふるい落とす仕組みです(福島直樹『学歴フィルター』小学館新書 2018年)。

11年7月のキャノン炎上事件、15年6月のゆうちょ銀行炎上事件、今年3月のA社炎上事件が特に有名です。どれも似た内容ですが、ゆうちょ銀行の炎上では、ある中堅大学の学生が、所属する大学名で会社説明会(セミナー)に申し込むと、画面に「満席」と表示されました。試みに東京大学と偽ってアクセスすると「予約可能」となり「予約」の手続きまで進めました。これら2つの画面は証拠となって拡散され、様々なサイトに残っています。A社事件も同様で、帝京大学に通う女子大学生が、説明会にエントリーしたところ、すべての日程が「満席」で「現在、受付可能な日程はありません」と表示されましたが、早稲田大学と扮してあらたにアクセスしたところ、すべての日程が「受付中」となっていました。

就活の入り口地点で屈辱的な差別を受け、入社しても今度は配置転換や昇進などで不公平な扱いを受ける。日本社会の到るところに『学歴という名の選別装置』が機能し続けているのです。

 

もちろん、企業側の言い分は理解できます。人気企業は何千何万ものエントリーがあります。すべてに目を通すことは不可能でしょう。事務的な理由から、下位大学は切るという対処は致し方がないのかもしれません。また、優秀な学生の占有率は、偏差値の高さに比例することは認めます。AI時代に突入し、社会がますます複雑高度化するなかで、知的レベルの高い学生が欲しいということもわかります。

ならば、なのです。

 

多くの企業は説明会の中で、「人物本位」「能力本位」で採用すると謳いあげます。選考機会の平等性を力説し、低偏差値大学の学生に「夢」(幻想!)を振りまき、就活意欲をいたずらに鼓舞します。しかしふたを開けてみると、上位大学の学生ばかり。一方、落とされた学生は「人物・能力」的に自分が劣っていたと自己責任として受けとめる。「学歴フィルター」にかけられたとは、つゆも疑わず。

 

もういい加減にやめてもらいたい。ここまで学生に徒労を課し、みじめな思いにおとしいれるのは。明言しなさい。「当社には学歴フィルターがございます」と。あるいは時系列的に内定者の大学名を公表しなさい。後者はすぐにでも実行に移せること。経団連の「オッサン」、いかがですか。

最後に、わたしが事あるごとにしつこく強調してきた「子どもたちの時間管理」について。

何十年も子どもたちと一緒にいると、さすがに鈍感なわたしでも教育上の経験則がいくつも積み重なってきます。時間にうるさく言う根拠がまたひとつ明らかになりました。

 

「褒めて伸ばす教育」が叫ばれて久しいが、調査結果によれば「努力の大切さを伝える」「いじめはいけないことだと家庭で話す」「最後までやり抜くことの大切さを伝える」という項目は9割以上の保護者が実践するも、子供の学力に大きな差は見られなかった。

一方、「テレビ・ビデオ・DVDを見たり、聞いたりする時間などのルールを決めている」「テレビゲームやスマホのゲームをする時間を限定している」という家庭ほど、子供の学力が高くなる傾向が顕著だった。 (NEWSポストセブン 9/14)

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