塾長ブログ

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母の決断

2014.05.21 塾長ブログ

新学年を迎え、2ヶ月ほど経ちました。ファウンテンのご返信を2通ほど紹介させて頂きます。

  「・・・勉強に対する意欲、集中力がすごく身に付いたと思いま   す。・・・自分から机に向かって長時間悩み考えながら、勉強するようになりました。塾から帰ってきたときの顔がイキイキしています。本当に先生方のおかげです。・・・」(中1)

  「通い始めてから、『水を得た魚』のように、本当に楽しそうに机に向かい、少し時間が経つと、覚えた内容を表情豊かに話します・・」(中3)

 ウエル学院として、いいスタートが切れたようです。今後取りあえず1年というスパンで、各クラスをどう動かし、レベル・アップをはかっていくか、1人ひとりの顔を思い浮かべながら、充実した計画を立ててまいります。

さてここで、ある親子をご紹介したいと思います(クリスティン・バーネット『僕は数式で宇宙の美しさを伝えたい』 原題はTHE SPARK―天才児を育てたある母親の物語― 角川書店 2014年)。

 母の名はクリスティン、自宅で保育所を営む保育士。息子ジェイコブ、重度の自閉症児。2歳の時に診断を受け、生涯、会話をしたり、文を読んだり、自分で靴ひもを結べるようにはならないとの絶望的な宣告を受けます。

 ジェイコブ3歳、母は大きな決断をします。通っている特別支援クラスの教師が、「彼には学習する能力がない」と言い放ちます。母はそれに猛反発し、医師や教師、そして最愛の夫の反対を押し切ってまで支援クラスをやめさせ、自分の手で教育していくという一大決心をします。母は、当時を振り返り、次のように述べています。

 「自分の子どもに関するプロのアドバイスに逆らうというのは、親として非常な心の恐怖心をともなう選択です。でもわたしは、このまま特別支援クラスを続ければ、息子はだめになってしまうと直感しました。・・・自分自身でジェイクの教育をしようと決心したのです。ジェイクの可能性を―それが何であろうとも―フルに引き出すために、必要なことは何だってやる。そう心に決めたのです。結果としてわたしは、人生で最も足がすくむような決断をすることになりました。それは、専門家たち、そして自分の夫の意見に逆らうことを意味していました。それでも、誰に何と言われても、そのときわたしはジェイクの興味をできるだけかき立てながら彼を育てていくことを心に誓ったのです。・・・」

 あの天才的発明家、エジソンも同様の経験をしています。小学校に入学して3ヶ月、担任教師から、「お前の頭は腐っとるのか!! お前なんか勉強したって無駄だ!!」と怒鳴られます。それを伝え聞いた元小学校教師の母は、「もう分かりました。息子の教育は自分でします。先生にご迷惑はおかけしません。グッバイ!」と。今の言葉で言えば、登校拒否です、それも親子共々の。最近のある研究では、エジソンはADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)、そしてジェイコブと同じアスペルガー症候群(自閉症の1つ)であったと報告されています。

 ジェイコブは、天才物理学者アインシュタイン以上のIQの持ち主で、3歳の時、多数のクレヨンをカラー・スペクトル(波長)通りに並べたり、7歳では、一度聴いただけのクラシックをその場で完璧にピアノで弾いたり、9歳までには大学、大学院レベルの数学、物理学、天文学を完全にマスターし、独自の宇宙物理学理論を打ち立てます。12歳になると、有給の研究者として大学から招かれ、大学生に数学や物理学を教えるようになりました。いまジェイコブは14歳、アメリカからカナダに渡って研究を続け、自閉症児のためのボランティアにも精を出しているとのことです。ノーベル賞獲得は時間の問題とまで評価されています。

 さて、ジェイコブの母の「足がすくむような決断」について考えてみましょう。この決断の根拠となるもの、正当性を与えるものを探してみました。

 1つ目は、研究熱心であることです。自閉症と診断されるや、「わたしたち夫婦は、毎晩遅くまで寝ずに、手に入る書物を片っ端から読みあさりました。寝室にはノートや読みかけの専門書があちこちに転がり、まるで試験前の大学の寮みたいでした。」とあります。

 2つ目は、母の保育観です。こんな言葉を発しています。「子どもが熱中していることをどんどん伸ばすようにしてやれば、どの子も期待をはるかに上回る結果を出すと信じてきました。」「なぜみんな、この子たちができないことばかり焦点を当てるのだろう?なぜできることにもっと注目しないのだろう?」いわゆる自由保育の優越性を絶対的な信念としています。

 3つ目は、この母の母、ジェイコブの祖母の影響力です。会計士をし、数学が得意であったとのことですが、「絵が下手でも誰も気にしないけど、数学ができないとみんな慌てふためくのよね。どうしてかしら?」と。子どもの欠点を責めることは一切せず、一人ひとりの才能に注目して、意欲をかきたてる工夫をしてきたとのことです。この祖母のもう一人の娘は、子どもの頃から天才的なアーティストとして活躍しています。この母にして、この子あり、ということでしょうか。

 4つ目は、やはりこの言葉、『母の愛』を挙げないわけにはいきません。母クリスティンはこんなことを言っています。「子を持つ親なら誰でも、わが子のためには闘う人(ファイター)でなければなりません。」「専門家のアドバイスの方向と、コンパスの指す方向が違っていれば、わたしはいわゆる『母親の勘』を信じてきました。」

 こうした自信の裏付けがまさに、研究であり、保育士としての経験であり、祖母の影響力、加えるならば、敬虔なるクリスチャンとしての神のご加護、こういったところでしょうか。

 あのエジソンは日記にこう書き残しています。「何があっても、支えてくれた母がいたから、今の私がある。母だけは何があっても、あるがままの私を理解してくれた。どんなに苦しいときでも、母を喜ばせたくて私は努力を続けることができた。すべて母のおかげだ」(ヘンリー幸田『天才エジソンの秘密』講談社、2006年)。

 わが子が自閉症であろうと、落ちこぼれであろうと、二人の母は、無条件で我が子を愛し、認め、励まし続けました。全神経と生活をかけて、根気強く寄り添い続けました。絶対的なる母の愛とその支えが、二人の天才をこの世に送り出したといっても過言ではないでしょう。愛が人間をつくり、愛が人の才能を開花させる、こんな言い方もできます。

 とかく私たち親という人種は、子どもの欠点やいたらなさを指摘し、みずからの非や責任を棚上げするという傾向があります。こうなってくれたら、ああなってくれたらと勝手な願望に取りつかれたりもします。親自身は何の闘い(ファイト)や工夫もせずに。

 ウエルのお母さん方は皆がんばっています。ファウンテンの返信を読ませて頂くとわかります。あるがままの我が子を受け入れること、そして、その背中をそっと、優しく押してあげること。文句お母さんに、ガミガミお母さんはもはや時代遅れです。子どもにとって害こそあれ、利益なしです。

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