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沖縄戦を学ぶことはわたしたちの義務(その3)

2025.06.04 塾長ブログ

墨田区 東向島 学習塾 ウエル学院平野進学教室からのお便りです。

 

前回のブログでは、「集団自決」、より正確には「集団強制死」について、貴重な証言を紹介させていただきました。

 

生徒達にも歴史的な現実を知ってもらうため、読み聞かせをするのですが、読後数分間はなんとも表現のしようもない重い沈黙の時間が過ぎていきます。

 

そのたび、極めて残忍なシーンですが、生徒達に知ってもらってよかったとの思いを強くします。

 

さて、「特定の状況下」に置かれるとわたしたち人間は、人を、愛する人でさえ殺してしまうという現実に直面しました。ショックですね。

 

集団強制死に関してすでに多くの歴史的な報告や分析がなされていますが、2点のみその背景についてふれさせていただきます。

 

1つは、当時日本は、“捕虜になるくらいなら死を選べ”、こうした風潮が蔓延していました。これは軍人のための心構えである「戦陣訓」のひとつ、“生きて虜囚の辱めを受けず”(みじめな捕虜になるくらいなら、自死を選べ)を軍人とともに、民間人にも適用、強制、誘導したことに他なりません。

 

2つは、それとの関連で、「捕虜にされたら女性は犯され、女性だけでなく誰もが生きて還れない」といったいわゆる“鬼畜米英”というデマ、プロパガンダが住民の中に強く浸透していました。

 

 

簡略して述べましたが、こうした社会的な背景のもと、尊い命が集団強制死へと誘導されたと考えられます。

 

ようは「洗脳」なんです。

当時、日本の軍国主義体制における国民への“洗脳”の強さ、深さ、恐ろしさを今もって感じる次第です。

 

20歳前後の若者を死に至らせた「特攻」(軍艦に体当たりする特別攻撃隊)同様に、「強制集団死」も世界に例を見ない日本特有の残虐性と指摘されています。

 

当時日本社会では、人の命、若者の命が紙くず同然だったのです。

「戦争」とは言え、未来ある若者達への思いやり、配慮がないがしろにされていました。

 

 

自民党国会議員の軽率で無知な発言を批判的に取り上げることから始まったブログ集。

沖縄戦について関心を寄せていただけたでしょうか。

沖縄戦や戦後の沖縄を学ぶことは、まさしく日本の未来を、若者たちの将来を考えることに直結してきます。

 

高校生の修学旅行先に沖縄が選ばれるようになりました。

偶然にも、今日から愛子さんが両陛下とともに沖縄を訪問されるとのことです。

あらゆる人たちが学問的な成果にのっとった歴史的な知識を学び、思いを馳せ、心から沖縄を感じてもらいたいと思います。

はたして愛子さんは、「沖縄戦は国体(天皇制)護持のため、捨て石にされた」という定説にどう向かい合うのでしょうか。

 

 

「感じる」 「皮膚感覚に訴える」 「心にずんと来る」といった感性的な認識や経験が、青少年だけでなく大人にも少なくなってきているように思います。

 

特に子どもたちには「感性の揺らぎ」の経験をできるだけ多く与えてあげたいものです。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

 

 

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