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生徒との個人面談から~『内省力』を身につけさせたい~

2021.04.22 塾長ブログ

4月に入ってすぐの小学生の授業で、「新学期になったけど、学校で何か新しいことあった?」と一人ひとりに尋ねたところ、ある男の子が「クラスの名簿が男女いっしょに並べられていた。」と答えてくれました。すかさず「そう、どういう理由でいっしょになったと思う?」「うー、わかんない」。

いわゆる「男女混合名簿」のことですね。さかのぼれば15年以上も前のこと。東京都教育委員会は「ジェンダーフリー」という用語を教育現場から排除することを決定し、「ジェンダーフリー思想に基づいた男女混合名簿の作成を禁止する」通達を出してきました。

ジェンダーとは、生物学的な性(セックス)とは区別する「社会的な性」と訳され、“社会的・文化的につくられた性差に縛られない生き方”という意味です。「男だから○○しろ」とか「女は○○であるべきだ」、こうしたいわば男社会が身勝手に作り上げてきた性役割の束縛から逃れて、自由に個性的に生きていく、これがジェンダーフリーの考え方です。男女平等や男女共同参画の理念に根付いた行動様式です。

あの女性蔑視発言のモリ爺や頭のお堅いおじさん集団は、戦前からの男尊女卑や封建的な家族観に浸りきっていますので、当然の帰結としてジェンダーフリーには反対してきます。男女混合名簿にも反対。夫婦別姓にも反対です。LGBT、同性婚などはもってのほかで、軽蔑の対象とさえしています。

昨年でしたね、足立区の自民党の区議(79)がこんな暴言を。「レズビアンやゲイが足立区に完全にひろまったら、子どもは一人も生まれない」「LだってGだって法律で守られているじゃないか、なんていう話になったのでは、足立区は滅んでしまう」

自民党の爺様連中は、なにゆえこんな低レベルでいかれた発想しかできないのですかね。人権だとか、平等、個性といった概念を勉強するどころか、はじめから眼中に入れようとしないきわめて偏狭な政治屋の集まりにほかなりません。

「性のあり方はグラデーション」といわれています。段階的に色調が変化する様子がグラデーション。性別や性差も同様に、「男と女」ときっぱり二分されるものではなく、人により異なります。生物学的にみれば、染色体は男がXY、女がXXですが、少数であってもXXYなど様々な形態があることも明らかになっているそうです。

生徒がいたずらっぽく「ゲイ」だとか「ホモ」などと口走るとき、「よし、わかった。今日はこれについて話をします」と、ホワイトボードに大きく『性』と書きます。にたにたする生徒もあれば、えっと息を飲み込む生徒もいます。専門家ではありませんので、教科書的な話しかしてあげられませんが、以下、簡略的に記しておきます。

「性というのは4つの視点から考えます。1つは、『身体の性』。先生はオチンチンをもって産まれてきたので男という性。生物としての性をセックスと呼びます。2つは、『心の性』。自分が感じている性のこと。オチンチンがついていても、自分のことを女性であると認識する。自然なことです。3つは、『好きになる性』。性的な志向といって、自分の恋愛感情が男性に向くか、女性に向くか。どちらに向いてもそれは個性的な志向で、まったくの自然な愛といえます。最後は、『表現する性』。しぐさや服装、言葉遣いなどが男性的であったり、女性的であったり、個性的であったりします。これら4つの組み合わせは様々で、人によって違ってきます。この違いこそが個性であり、その人のありのままの姿であり、大いに尊重しなければいけません。自らの性のあり方や、社会とのギャップに悩み、苦しみ、自傷にはしってしまったり、命を絶った方もいます。そうした人たちに寄り添い、機会あるたび性の勉強も広くしていくようにしよう。ごく最近、『同性婚を認めないのは憲法違反』という判決が出たことも付け加えておきます。」

男女混合名簿から話が飛躍してしまいました。本題に入ります。

2月の後半に、中高生と面談をしました。わたしの面談の最後は決まって次の問いかけです。

「学校、家、塾、友達、部活、勉強など、全生活をひっくるめて、満足度を100%とすれば、あなたは何%になりますか?」

生徒が仮に70%と答えるとすかさず、「では、残りの30%は何がどうなったら埋まりますか?2つくらいにしぼっておしえてくれる?」

 

プライバシーに関わる直球の質問なのですが、皆意外と素直に答えてくれます。

「ヒラノ先生、わたしのこと気にかけてくれているんだ」こんな信頼感を抱いてくれたら、という思いです。

これが受験の最終段階で生きてくるのです。

生徒との間の信頼感が厚みを増すほど、生徒の学力をアップさせることができる、わたしの経験則のひとつです。

さて、満足度の平均値は75%ほどでした。2年前(コロナ禍以前)は85%。明らかにコロナの負の影響が生徒一人ひとりに覆いかぶさっています。満足度を下げている一番の要因は、「部活」です。練習時間や日数が少なくなり、練習の内容も軽減化されました。それに対して強い不全感を抱く生徒が多かった。

思春期は、スポーツや芸術活動、趣味などに没入し、心に、からだに、大脳に“汗をかく”ことで自己を形成し、自我のバランスを維持していきます。“汗をかく”機会が半減したり、奪われてしまうことは、生徒たちの心身の成長や発達、そして精神の安定に直接に影響を与えてしまうことになります。

 

ある中学生の男子は、面談中の気づきを次のように語ってくれました。「部活が制限されるようになって気づいたのですが、お母さんや妹に対して、友達にもそうだったのかもしれないですが、冷たく反抗的になっていました。」

内省力のある魅力的な子ですね。部活の制限と人とのコミュニケーションの絶対量の不足、大人はもちろんですが生徒たちには致命的な傷を与えてしまっています。コロナ禍で自死者が大幅に増加し、昨年の小中高生の自死者は471人。過去最高を記録したことは以前にふれた通りです。

わたしの個人面談のねらいは、個々の生徒の現状把握という面もあるのですが、先に引用した男子中学生の気づきに見られるように、“自分の言葉で自分を語る”ことの重要性を本人に自覚してもらうことにあります。

 

定式化すると、

①『自分の行動を客観視する』(‘母や妹に反抗的であった’)

②『行動の背後にある自分の内面の気づき・分析』(‘部活が制限されストレスがあった’)

③『今後の課題と目標』(‘自分だけがストレスにさらされているわけではない。もっと寛容な人になりたい’)

『内省力』。今月のお便りのキーワードといたします。

 

わたしの時代ですと、‘文学青年’‘文学少女’などという言葉が残っていて、文学や詩、哲学などをかじって得られた素養から内省の習慣が当たり前のようにあった気がします。

 

例えば太宰治の作品について話し合えば、それは同時に当人の内省力が試されるものでした。今日では残念ながら、こうした機会が極めて少なくなりました。あるとしたら就活の「自己分析」くらいになるのでしょうか。

自分を深く見つめ、自己と対話をし、自己のあり方や生き方を突き詰めて考えてみる。

結論など出なくともよい。ただただ自己の内面奥深く入り込む。結果、自己嫌悪という魔物に押しつぶされることもあれば、思いもよらない斬新な考え方に目覚めたりもする。

 

内省力—-自分を振り返るという素直さや謙虚さとともに、自らを客観視できるという論理性が求められてきます。内省力を鍛えるにはやはり読書。そして友人、先輩、大人との知的な語らい。ユーチューブとゲーム漬けだとしたら、それは自我の危機といってもよいかもしれません。

コロナ禍のなか、オンライン授業に辟易した大学生を見ていると、人との無駄話や何気ないやり取り、「井戸端会議」、「道草」などこれまで気にも留めなかった日常事が、いかに意味のあるものであったかに気付かされます。

 

お父さん、お母さん、子どもと話をしましょう。無駄話で結構です。子どもと話をしている、会話を交わしているというまさにその“間”が大切なことです。

※今年度の質問教室は、金曜日以外毎日設けることにしました(午後7:30~9:50)。
欠席や遅れ、質問などがあれば、進んで利用しましょう!

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