また一人、私の永遠のヒーローが亡くなりました。ボクシング史上もっとも偉大な世界チャンピョン、モハメド・アリ(74歳)。10年前のアトランタオリンピックの開会式、パーキンソン病の影響で手が震えながらも聖火の点灯という大役を果たしたあの黒人男性です。
アリのボクサーとしての戦歴は言うに及ばず、リング外での発言やビッグマウス、そして社会的な行動に深い関心を寄せるとともに敬意を表します。
始まりはマルコメ・Xとの出会いから。まずはイスラム教に改宗し、アメリカの人々(ほとんどはクリスチャン)を敵に回すことになります。マーティン・ルーサー・キング、そしてマルコメ・Xにならい、公民権運動に参加し、黒人差別を徹底的に糾弾します。これだけでも十分暗殺の対象です。
「どうして我々は“ニグロ”と呼ばれて蔑まされなければならないのか?この国で成功できるのは白人だけだ。我々黒人はいつまで経っても、一歩たりとも前進しない。なぜだ?答えてみろ!」また、こんなアイロニーたっぷりの憎まれ口をたたきます。「キリストは金髪で青い瞳をしている。天使たちもみな同じ金髪と青い瞳だ。“カラード”(黒人)の天使“はいったいどこで何をしていたかって?台所で食事の支度さ。」白人たちに散々こき使われ、命まで奪われた苦難の歴史、決して赦すことはありません。
アリは故意に物議をかもす言動を取り多くのファンを魅了する一方、アンチもその数倍生み出しました。アンチの急先鋒はアメリカ合衆国という国家でした。アリはキリスト教を捨て、黒人差別を世界に訴えただけでなく、究極の侵略戦争であるベトナム戦争に真っ向から反対し、白人社会アメリカの暴力的なあり方を強く批判しました。「いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。」「戦争は間違っている。」
憲法違反であるあの戦争法案を強行採決に持ち込んだ与党の議員連中に、アリのこの命がけの言葉を聞かせてやりたいですね。どう言い逃れしようと、アリの言う通り戦争は殺人以外何ものでもないのです。
話はまだ続きます。9度の防衛に成功し、チャンピョンとして絶頂期のなか、“赤紙”が送り付けられます。軍の高官が直接説得にやって来ます。アリのとった行動は……。徴兵令状をその場で破り捨て、高官にファイティングポーズをとり、全世界にベトナム戦争兵役拒否を知らしめたのです。「何の罪も恨みもないベトナム人に、銃を向ける理由はオレにはない」と。当時アメリカンヒーローのトップに君臨するアリが、良心的兵役拒否を宣言したことは、国家指導者にかなりの動揺を与えました。オバマ大統領も「モハメド・アリは、世界を揺るがした」と追悼文に寄せているほどです。
暗殺という恐怖の中に突き落とされる一方、チャンピョンベルトとボクサーとしてのライセンスを奪われ、渡航もできないようパスポートまで没収されてしまいました。禁固5年と1万ドルの罰金というおまけまでついて。人間にとって自由を奪われることぐらい理不尽なことはありません。それも自由や民主主義を標榜するアメリカ国家からです。“赤紙”の強制力とその非人道的な性格は、どこの国でも変わらないようです。この日本も、“赤紙”に象徴される思想に与する政治指導者が、年々多くなってきた気配です。用心しましょう。
アメリカという国の好戦的な性格は歴史の示すところですが、日本にはない懐の広さも見られます。2005年、ホワイトハウスにて文民に贈られる最高の勲章である大統領白日勲章を授与されました。そればかりでなく、ドイツからも国際的な平和賞である「オットーハン平和メダル」がアリに手渡されました。
日本でも戦争法案反対!と社会の前面に立って運動を展開するヒーロー/ヒロインは出てこないでしょうか。スポーツ界や芸能界などから抜群の知名度を持った勇気ある賢きリーダーは期待できませんか!?
むかしから、私の人を見る際の絶対的な基準は、その人の発する言葉や思想ではなく、その人の行動にあります。口巧者とかコミュニケーション能力が長けていることよりも、常に人のために時間を費やしている人、人のために汗をかいている人、人よりも運動量が豊富な人、私はこうした利他的な人を最大限評価し、信頼を寄せます。
チャイナ服を着ると筆の運びが良いからとの理由で、税金をくすねるあの元都知事。口から出まかせとはこのことで、口達者もここまでくるともう噴飯物。あまりの幼児性に開いた口が塞がらない。東大卒の元東大助教授、学歴が泣いています。父であるあなたを愛するお子さんたちも、失望の涙を流したはずです。
政治家とカネの問題。いつまでたっても同じことの繰り返し。可決される法律はすべて“ざる法”。保身しか頭にないから、己を律する厳格な法律は避けて通る。話は単純なはずです。まずは、企業献金を全面的に禁止する。政財界の癒着構造がなくなれば、賄賂などの問題はなくなり、富裕層優先の社会から弱者にやさしい国に様変わりできるのです。次に、政治家やその団体のお金の「出と入」を一般企業並みに細かく記録させ、黒塗りなしにすべての情報を一般に公開する。公開したくなければ、自腹を切ればよい。こんな簡単なことがなぜできない!最近の都知事、2人ともカネ問題で辞職とは情けないですね。二人を担ぎ上げ、大々的なアピールをしたアベチャンをはじめ、自・公の罪は深いはずです。なのに両党からは心のこもった反省の声も聞こえてこない。私の耳が衰えたからなのでしょうか。聞こえてくるのは参議院選挙のことばかり。選挙に勝てばなんでもありの政治。『数』が民主主義だといまだに錯覚してやまない知性なき政治家たち。どこか狂っていませんか。
マスゾエやパナマ文書に載っている企業や個人と全く正反対な生き方をしているのが、あの親しみあるウルグアイ元大統領、ホセ・ムヒカ氏でしょう。個人的に大好きな人です。4月に初来日しましたが、何よりも2012年のリオで開催された国連会議での演説が心に残っています。氏は大統領公邸には住まず、郊外の古びた平屋に妻と二人で暮らしています。知人から譲り受けた30年前の車に乗り、給与の9割は寄付し、月千ドルで生活しています。公用車で湯河原まで温泉につかりに行くなど、ありえないわけです。
氏はこんなことを言っています。「私が質素でいるのは、自由でいたいからなんだ。」「人生は受け取るままではなく、持っているものを与えるものだから。」まさに人生訓です。そしてこんなことも。「人生とは、些細なことでもそれが大切な意味を持つことがある。例えば、愛情を育むこと、子供を育てること、友人をもつこと、そういう本当に大切なことに、人生という限られた時間を使ってほしいと思う。」あの都知事だけでなく、我々自身も知らぬ間に消費文化に毒されています。人間にとって根源的で大切なことを忘れないでいたいものです。多忙に任せず、我が身をふり返り、自省する静かな時間を持たなければなりませんね。
最後に私が一番気に入った氏の言葉を紹介させていただきます。「知識や知性というのは、行動をともなったときに、価値あるものへと変貌を遂げる。」ムヒカ氏は相当の読書家で、勉強家です。哲学をはじめ、理数系の学問もたしなみます。私たちに教訓を与えてくれます。“頭でっかちではいけない。勉強しながらも、行動に打って出られる人間を目指しなさい”と。
私も手を変え品を変え、生徒達に訴えかけます。
最近ではこんな話をしました。「君は野球部に所属する中学3年生。だらだらとした活気のないチーム。君は何をすべきか?まずは球拾い。1,2年生に任せるのではなく、中3の君が率先して球を拾いに行く。たらたら拾いに行くのではなく、狩りをする豹のように、全速力で球を追いかける。拾うやいなやピシッと速球で返球する。要するに、人の嫌がることをスピード感をもって生き生きとやり遂げ、もくもくと継続していく。これだけでもチームは変わり、チームメイトは君を評価し、信頼を寄せることでしょう。君の周りには自然と人が集まり、確実にチーム力は向上していく。他人を変えることはできない。自分という人間性もなかなか変えられない。ではどうするか?自分を変えようとしなくてよい。自分の行動を変えればいい。結果的に、自分の行動や生きざまが他人を変え、自分自身も変わっていくことにつながる。ただし、将来的な注意点をひとつ言っておかなければならない。以前に話したブラックバイトにブラック企業。長時間労働によるうつ病や過労死が大問題になっている。君や君の知り合いが巻き込まれていたら、すばやく『逃走』するか、あるいは労働組合などの助けを借りて『闘争』するか、命を守るための決断が迫られる。繰り返しだけど、自ら率先して行動のできる自分を作っていこう!」
こんな説教臭い話ですが、意外にもウンウンとうなずきながら熱心に聞いてくれます。今気づいたのですが、ブラック企業の横暴さまでも話の最後に添えなければならないとは、時代ですね。働く人、受難の時代です。
やめておけばいいものを、新聞の読書欄や広告で宣伝される教育関係の本や雑誌を見ると、amazonの1-Clickで即買いしてしまいます。仕事柄、売れている教育本に目を通しておくことが日常になっています。今月のガッカリ本2冊は、①『16万人の脳画像を見てきた脳医学者が教える「賢い子」に育てる究極のコツ』(文響社 2016年) ②『一流の育て方~ビジネスでも勉強でもズバ抜けて活躍できる子を育てる』(ダイアモンド社 2016年) 出版社の人間は、良くも悪くも読者の心をくすぐる題名をつけるものです。
①については、残念ながら「究極のコツ」と呼べる内容はひとつもありません。私が11年前に書いた『子どもたちの学力の向上のために~いま、親にできることは~』(当学院のホームページに再録)とかなりの点で一致しています。②についても同様で、目新しさは皆無でした。ただ1箇所、私も同感する興味深い記述があります。「いわゆるエリートの若者が将来、一流になるかどうかは、バーベキューパーティを開けばよくわかるといっても過言ではない。一流エリートは肉の買い出しは率先してやるし、カルビは自分で焼く。ビールは注ぐし、気を利かせてデザートもたっぷりお土産で持ってくる。(中略)靴を整然とそろえる……、お開きの時もお皿を完璧に洗い、実に礼儀正しく家路につく。つまるところ一流エリートたちは、何かとしつけが行き届いており、自主的に周囲の役に立つことをするのだ。」
ここでもやはり、率先的で利他的な行動という点がクローズアップされています。一流のエリートというレッテルは別として、私の数少ない経験からも、魅力的で本当に力のあるリーダーは、場を盛り上げ、人のために動き回り、相手の人格を尊重し、常に愛される対象です。わが子もぜひ、行動力のある他人思いの子に育てていきたいですね。まず、私たち親がよきモデルにならなければなりません。
行動力とは日常用語のひとつになっていますが、実に深い内実をもった言葉だと思います。ムヒカ氏が言うように、知識や知性が伴わなければなりません。勇気や大胆さ、辛抱強さ、自己犠牲、そして何よりも、どんな人をも愛せる博愛の気持ちが自然と備わっていなければなりません。私たちはみなちっぽけで欠点だらけの人間ですが、こんな理想に一歩でも半歩でも近づけるよう、生きてまいりましょう。他人を批判して悦に入っている自分が、実に情けなく感じられますが……。どうかお赦しのほどを。
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