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道徳は教え諭すものではありません!!

2018.05.23 塾長ブログ

40代の母親の投書から。

「長時間拘束され、何とか宿題をこなして寝るだけ。部活が、勉強時間が取れない言い訳になっている。家事手伝いも読書もできず、地域とのかかわりも持てない。これで、多様に変化する社会で生きる力がつくでしょうか。」

「ブラック部活」の問題は教員の過重負担にはじまり、いまは中高生のバランスの取れた成長の阻害という点にも言及されるようになりました。

スポーツ庁の有識者会議はこの春、ブラック部活解消のため、部活の総合的なガイドラインを作りました。例えば、1週間に2日以上の休養日を設ける、1日の部活時間は平日で2時間、休日で3時間程度とする、教員以外に部活動指導員を積極的に任用する、効率的な練習方法などの手引書を作成する、等々。「長くやれば強くなる」「従来通りの練習をしていれば技術は向上する」といった経験主義に流される科学性なき指導者へのアンチテーゼと言えます。

スポーツ庁は中高生だけでなく、大学スポーツへの改革にも乗り出します。その1つが「体育系学生の学業とスポーツの両立」です。年間の取得単位数の基準の設定のほか、スポーツ推薦のあり方も再検討しています。何をいまさら、というか遅きに失した感がありますが、お役所もやっと大学生とスポーツのあり方に踏み込まざるを得なくなったようです。

こうしたさなか、あの日大アメフト部傷害事件が起こるのです。試合後、日大の内田なにがしという監督が、「うちは力がないから、厳しくプレッシャーをかけている。あれぐらいやっていかないと勝てない。やらせている私の責任」と指示を思わせる発言を残しています。

スポーツ指導者として全くあり得ない発言であり、学生を犯罪へと誘導する極めて悪質、反モラルの言動です。こんな低劣な監督が日本大学の本務理事(人事部長)を兼務し、権勢をふるっているというのですから驚きです。日本大学の体質そのものを物語っていると指摘されても仕方がありません。私の友人、先輩には日大OBの方ですばらしい方が何人もおりますが、今後高3生には日大の受験を薦められなくなります。

 

残念ながら、日大の“底”が見えてしまいました。個人的には、内田なにがしの永久追放を望みます。また誘導された学生も、気の毒ではありますが、今後の大学スポーツ界の改革のため、傷害罪に問われることを覚悟してもらいたい。退部、退学で済まされる問題ではなく、ひとりのスポーツ人の一生をだいなしにする暴力行為でもあったのです。

 

たとえ相手がどれほどの権威者(総理、監督、指導者、重役)であったとしても、不正に対しては毅然とNO!と宣言し、公にするといった社会的な慣行を作り上げていきたいのです。当該選手の勇気を心より称えます。

教育の目的は『人格の完成』(教育基本法第1条)です。生徒達には「知(勉強)だけでもダメ、体(部活・スポーツ)だけでもダメ、徳(心)をともなった知と体のバランスが大事!」と呼びかけます。何のための部活・スポーツなのか、生徒・学生だけでなく指導者も熟考する時期に来ているようです。あの伊調選手へのパワハラ問題や日馬富士の暴力事件をふくめ、まさに日本のスポーツ界・武道界は再生の時期に来ているのではないでしょうか。

私が大切にしている教育概念のひとつに『全面発達』(All  round  development)というものがあります。肉体的な能力と精神的な能力の統一ということなのですが、特に後者においては文系と理系の区別なく、例えばすべての高校生に数学Ⅲまでを学習させます。得手不得手に関係なく、将来職業人としての能力開発という点から数学的、論理的な思考力を身につけさせたいわけです。人間の全人的な発達から考えると、大学入試における文系・理系の区別は『一面発達』を促すようなものであり、私は反対の立場です。英語同様、数学、国語、政治経済は高校3年間を通して履修させなければなりません。

 

安倍政権で進められた道徳の教科化。この4月から小学校で始まりました。「教科」ですので文科省の検定を通った教科書があり、担任による成績評価(数値ではなく記述式)もなされることになります。何を学ぶか?そう、自民党の大好物である「伝統と文化の尊重」「国や郷土を守る態度」「家族愛」「善悪の判断」「礼儀」「親切」「感謝」、等々。

戦前の「終身」教育の果たした国家的な役割を知るものにとっては、何とも胡散臭く、嫌悪感でいっぱいです。批判点はいくらでも挙げられます。 ①「そんなにまでして子どもたちを鋳型にはめ込みたいのか!」というつっこみをまず入れておきます。 ②教科としての道徳は学問的に見て確立しているとは言えず、指導方法もあいまいのまま。 ③教師は生徒の何を「評価」するというのか。 ④「郷土愛」「親切」「感謝」等々、初めから答えありきの「徳目」の押し付けにはならないか。押し付けは  Indoctorination(インドクトリネイション)といって、洗脳にほかならず、教育活動とは言えない。 ⑤人権、平和、民主主義といった日本国憲法のすぐれた「道徳」が意図的に排除され、政治的な‘悪臭’がぷんぷんする。

小学6年生最後の「あゆみ」(通知表)。ひらのまさはる君への道徳の評価です。担任から‘ありがたいお言葉’を頂戴します。

 

「卒業おめでとう!ひらの君は、いつも自分のことはさておき、おとなの言動に対して徹底的に批判してきました。わたしも『旧教育基本法の勉強をしていない先生なんているの!?』なんてやっつけられました。低劣だとか、永久追放だとか、日大がどうのこうのだとか、人前でも威勢よく口走ってきました。これからは相手に対して思いやりの心を持つように心がけてください。卒業式の国歌斉唱の練習では、起立もせず、だんまりを決めていたひらの君。『いまは“君”の時代ではない!』などとわかったような理屈をこねて、クラスの統制を乱すばかりでした。自分の考えを持つことはよいことですが、もう少しまわりの人たちと歩調を合わせるようにしましょう。」

 

こうした評価が中学側に伝わり、‘問題児第1号’とレッテルを貼られるのです。まさはる君はこの程度ではへこたれないでしょうが。

ウソつき総理にウソつき官僚、くわえてセクハラ官僚までご登場いただいた現政権。あなた方に道徳を語る資格はあるのか!「個人の道徳性と社会的正義は不可分」(法政大学 佐貫浩教授)という名言があるのですが、格差、貧困、セクハラ、過労死、権力者のウソなど社会的な不正義が蔓延してくると、個人レベルでの道徳性も劣化してくるのです。道徳教育を導入したところで、砂漠に水。そんなことに税金を投入するより、政界、財界の浄化が先決。女性があらゆる部門で半数に達するようになればかなりの浄化が成し遂げられることでしょう。この浄化の過程で、個人レベルの道徳性もより高まっていくに違いありません。

お父さんやお母さんが人に優しい言動を繰り返していれば、その子はだまってでも優しい子に育っていきます。「他人には親切にしなさい」などと親や教師が言葉にすることではないのです。子どもは大人を模倣し、無意識に自分に取り込んでいくのです。徳目は教え諭すものではなく、さりげない言動から子どもが学んでいくもの。道徳の教科化など意味がありません。危険です。だいたい教科書検定で「伝統文化の尊重や郷土愛などに関する点が足りない」との意見がつき、「パン屋」を「和菓子屋」に修正して検定にパスした、今回の道徳の教科化とは所詮この程度のものなのです。現場の先生方が気の毒です。英語をやれ、道徳をやれ、次はアクティブラーニングの授業をやれ、プログラミングが教えられるようにしておけ、たまったものではありません。十分に休ませてあげることが先決だと思うのですが。

部活、道徳につづいて性教育の現状についてふれる予定でしたが、スペースの都合上先送りします。

今年度の国語は、小学生も中学生(2・3年)も“書く”ことを重視しています。表現力をつけるといった高尚な目標もあるのですが、現時点では『自分自身を深く見つめる』という課題を最優先しています。

同意を得たうえで作文の一部を引用します。

小学生のものから。「弱音をはいた理由は、(1つは……中略)2つめは、勉強をぜんぜんしなかったりして、お父さんに『お前は生きているかちはない』と言われ、泣きました。……」

 

中学生のものから。「……本当の自分を隠すのは自分のことが嫌いだからだと思う。わたしは自分が嫌いだ。それでも自分の性格を良くすることがなかなかできない。……」

自分を語ること、自分の心情を言葉で吐露すること。思春期を乗り越えていく上で非常に大切な精神的な作業と私は考えています。正直に書きなさい、などと強制しなくても子どもたちは素直に原稿用紙に向かいます。精神的に幼い生徒は自分を語ることができません。そうした生徒をいかに大人化していくか、私の役割のひとつでもあります。魅力ある生徒が多いウエル学院、塾長の誇りです。
※個人面談、お待ちしています!!

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