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『受験は母親が9割~灘→東大理Ⅲに3兄弟が合格!』を読む

2015.11.18 塾長ブログ

 高校の頃から、戦争の加害・被害について敏感に反応し、映像を始め、写真集や著作に多くの時間を割いてきました。日本に限って言えば、原爆、朝鮮侵略(併合)、南京大虐殺、従軍慰安婦、シベリア抑留、沖縄戦等々、枚挙にいとまがありません。今度家族や修学旅行で沖縄へ行く、という話を耳にすると「この本に目を通しておきな」「ひめゆり平和祈念資料館には必ず行くように」などと頼まれもしないのに余計なお世話をします。

今年は敗戦から70年という節目にあたり、メディアも戦争について大きく取り上げていました。私が特に心動かされたのは、沖縄戦における『護郷隊』と名づけられた少年ゲリラ隊の存在でした(NHKスペシャル『あの日、僕らは戦場で』8月11日及び宮本雅史『少年兵はなぜ故郷に火を放ったのか~沖縄護郷隊の戦い』KADOKAWA 2015年)沖縄戦の悲劇と残酷さについては、勉強してきたつもりだったのですが、鉄血勤皇隊以外にも少年兵部隊が、それもゲリラ部隊が組織されていたとは。

護郷隊。1944年9月に出された大本営勅令によって、14歳から17歳の少年が強制的に(文書的には「志願」となっていますが)召集されたゲリラを任務とする秘密部隊です。なんと隊長は「中野スパイ学校」と称される陸軍中野学校を卒業した青年将校です。国のお墨付きの本格的なゲリラ隊だったのです。少年達には、過酷な訓練が待っていました。「故郷は自分たちの手で護る」という郷土愛で戦意の高揚を図り、昼夜休みなしで、潜入、暗夜の直行進、爆薬演習などが徹底的に行われました。自殺の訓練まで加えられていました。おぞましいのは、少年兵同士の制裁し合う構図です。スパイ嫌疑をかけられた仲間への射殺、集合時間に遅れただけで、仲間からの一斉発射、米軍のスパイではないかと住民を疑い、護郷隊が銃殺に手を貸す、等々。すべてが上官からの洗脳であり命令です。中学2,3年ほどの子が、これほどまでの地獄を見たのです。その心情、到底計り知れません。あまりにもむごすぎます。

愚かすぎる戦争でした。負け戦と知りつつ、「お国のため」という何の根拠もないスローガンのために数知れず尊い命が犠牲になりました。護郷隊は約1000名中162名もの命が奪われました。護郷隊だけでなく、やはり中高生から成る鉄血勤皇隊(1780名中890名戦死)、そして人命軽視もはなはだしいあの特攻隊……。当時の戦争指導者の狂ったとしか表現のしようがない愚策には、怒りと憎しみしかわいてきません。

郷土愛だとか愛国心、伝統などと声高に唱える政治屋には、気をつけましょう。危険極まりないことは、護郷隊が証明してくれました。

記憶にない方もいらっしゃると思いますが、第一次安倍内閣は、教育の憲法である教育基本法を全体主義的なものに改悪しました。第2条5項に、「我が国と郷土を愛するとともに」といった字句が添えられました。あの戦争から何も学習していません。お国のために尽くした結果があの悲劇なのです。何より、法律で「愛」を強制すること自体、まったく幼稚でおかしな話なのですが。

先々月でしたか、菅官房長官が福山雅治の結婚発表にふれて、こんな発言をしていました。「本当によかったですね。この結婚を機にですね、やはり、ママさんたちが一緒に子ども産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれればいいなあと思っています。たくさん産んでください。」(フジテレビ グッディ?)アベだけでなくスガもどこまで反知性というか、「お国」が好きなのでしょうか。戦争法案の論議の中心にあった憲法。憲法は、国家権力を制限するために存在するのであって、国民を拘束するものではありません。法学の常識です。そこから導き出される原則とは、国民の幸福を追求する権利を尊重し、援助するために国家が存在するのであって、アベ陣営のように「国家のために国民が存在する」のではない、と言うことです。

考え違い、はき違え、上から目線もはなはだしいのです。子どもを産んで「国家に貢献」しろだとか、「たくさん産んで下さい」という言葉の背後には、戦前の「産めよ増やせよ」といった「女性=子を産む機械」とする女性蔑視の思想が脈々と流れているのです。国会議員とは、国民の幸せのために奉仕する公務員であって、「ママさんたちが少しでも幸せになれるよう、仕事をさせてもらいます」というのが物事の筋のはずです。

現政権は「女性が輝く社会」だとか「出生率1.8の達成」などと、本気度ゼロの政策を恥ずかしげもなく掲げています。そんなきれいごとの前にもっと先にやることがあるだろう、というのが私の意見。非正規から正規になれる道筋を法的に示しなさい、非正規の労働条件を正規並みにしなさい、気兼ねなく育休や介護休業が取れるようにしなさい、誰もが認可保育所を利用できるようにしなさい、教育費の負担を大幅に軽減しなさい、子どもの貧困に対して具体的な数値目標を挙げて、早急に手を打ちなさい、等々。

なぜ私が政治的な話をしなければならないのか? それは、教育は政治の産物だからです。政治を変えていかないと、教育も変わらない、これは社会の法則です。国民が常に目を光らせ、声を上げ、政治家にプレッシャーを与えていくことが大切です。政治的無関心ほど怖いものはありません。

今月のテーマに進みましょう。今、手元に2冊の本があります。1冊は表題のもの(朝日新聞出版 2015年)、もう1冊は『灘→東大理Ⅲの3兄弟を育てた母の秀才の育て方』(角川書店 2015年)、筆者は2冊とも佐藤亮子というお母さん。教育界で今最も注目を浴びているお母さんです。何しろ、3人とも理Ⅲ(最難関の医学部)! 教育に関心の高いお母さん方、けっこう隠れて読んでいます。おそらく、読み終わった後、99%のお母さんは、“私にはここまで出来ない”とがっかりして、本を処分してしまうことでしょう。

“出来ない”には2通りあって、1つは、お母さん自身に大学入試までの受験の素養が備わっていなければなりません。各科目の参考書を選ぶのはこのお母さん。過去問の採点をするのもこのお母さん。受験勉強のハウ・トゥーを伝授するのも……。経歴は、津田塾大学を卒業して、2年間私立高校で英語の教師をしていました。東大卒の弁護士と結婚し、専業主婦として、3男1女を育ててきました。その子育てポリシーは、「子どもたちの可能性をめいいっぱい伸ばして、最良の人生に送り出すことだけ。それぞれの子を最大限、手助けしようと思っていました。」とあります。「最良の人生」の第1条件が『学歴』ということなのでしょう。

子どもの勉強と母親という点について、佐藤さんの言葉を拾ってみましょう。「親がしっかり勉強の習慣をつけてあげれば、どんな子どもも伸びる」「お母さんの知的好奇心は、絶対に子どもに影響します。面白い本や世の中の動き、気づきがあったら、ぜひお子さんに伝えてみて下さい」「子どもの成績を親のDNAのせいにして諦めない」……。このお母さん、かなりの読書家です。「料理の本も好きで、今まで1000冊くらい買ったでしょうか」とあります。まずは親自身が相当に勉強していなければ、この「佐藤亮子派閥」には入れてもらえそうもありません。

DNAのせいにするな、と言われても説得力ゼロですよね。ご本人はそれなりの大学を出て、教職の経験もあり、そして夫は東大卒。教育界において遺伝の話は不可侵の聖域とされ、公に語ることはタブーとされてきました。ただ最近では、「行動遺伝学」なるジャンルの学者が、データーに基づき積極的に発言するようになりました。例えばこんな具合に。「学力には遺伝の影響も大きいことがわかっています。」「中学3年時点の子どもの学力の35%は遺伝によって説明できることが、明らかになっています。」(『学力の経済学』DISCOVER 2015年、『遺伝の不都合な真実―すべての能力は遺伝であるー』ちくま新書 2012年)

抽象的ですが、子どもの学力は、≪遺伝×環境×本人の主体性≫の3つの交互作用で決まるとされています。とすると、困った事が起こるのです。ウエル学院に通うヘ・リクツ君は、勉強や順位にうるさい親に向かって、こんな暴言をぶつけてくるのです。「親のDNAとうちの教育環境が整っていないから、僕の成績が悪いんだよ。子どものやる気も親のDNAとか学歴、環境によって規定されるとか言っていたよ。成績がよくないのは、僕の責任じゃないよね。」さあ、お母さん、ヘ・リクツ君にどう対応しますか。お母さんへの宿題です。

普通のお母さんではとうてい“出来ない”もう1つ。それは受験に対する妥協なき徹底ぶりと言っていいでしょう。やることがはんぱでない。「えっ!ここまでやるの」のオンパレードです。たくさんありすぎて引用しきれないのですが、例えばこんな感じです。小学校編では、「お手伝いはさせなくていい」「テレビなどの『画面』はなるべく見せない」「お母さんの音読+解説で国語の成績は上がる」「植物辞典を持って散歩に出る」「算数のノートは『1ページに1問』」「地理のサブテキストは『るるぶ』シリーズ」「ごはんの時間は暗記の時間にする」。中高編では、「母がテスト期間のスケジュールを立てる」「3回間違えた問題は壁と天井に貼る」「最強のセンター試験のオリジナル問題集を作ってあげる」「東京での宿泊のホテルは、1年前の入試2日後から予約をする」「試験会場まで親が付き添う」「食中毒を避けるため、前々日、前日に焼肉や寿司を食べない」……。

私にはマネできません。しようとも思いませんが。子どもの受験にかけるこの執念とエネルギー。何がそこまでお母さんを突き動かしているのでしょうか。勉強や学歴に対する思い入れやこだわりがあるのでしょうか。詳しくお聞きしたいところです。

いずれにしても佐藤亮子さん。えらいところは本音を語ってくれること。性格的にとても正直な方だと思います。「恋愛なんてしてる暇がないほど机に向かってこそ、志望校に手が届くのです。……子どもが中学生になったころから、「恋愛に時間を使っていると受験はうまくいかない」とさり気なく言い聞かせておくといいでしょう……もしも、恋愛が原因で成績が落ちるようなことがあったら、その時は徹底的に親子で話し合いましょう……」

大学受験時に恋愛にはまってほしくない、どの親もそう願うはずです。しかし、「さり気なく言い聞かせておく」とか「恋愛が原因で成績が落ちるようなことがあったら」という言い回しに表れているように、我が子を思い通りに支配したいという親の醜いエゴが見え隠れしています。自分の所有物であるかのように、子どもの自由を制限しています。

 

性に目覚めて青春、恋をして青春、自分や人生に悩んで青春、成績が急落するのも青春、そして親と対決するのも青春。受験一色に染まってしまうほど、子どもの人格にとって、アンバランスで危険なことはありません。「すべては受験が終わってから…」というのは、あくまで親や先生側の言い分であって、子どもの自然成長性を無視した虐待に通じる論理と考えます。

『親』という字は良くできたもの。「木の上に立って、子を見ている」。子どもの自己成長力を信じ、木から降りて来ることなく寛容な心を持って、ひたすら見守っていればいい。

 

受験は母親が1割! 衣食住とお母さんの笑顔だけで十分!

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