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わが子の『現状把握』について

2021.06.19 塾長ブログ

この6月から保護者の皆様との面談(『お話、しませんか。』)が始まりました。

お忙しい中、ごくろうさまです。とても楽しく、有意義な時間を過ごさせていただいています。‘面談が楽しい’なんて、いい加減な塾長とかん違いされそうですが、入試前の進路相談に比べたら、自由で明るさもあって心地よい‘お話’です。(ひょっとして、面談のご案内をまだ見てない方が? 塾バックの奥深くに埋もれていますので、今すぐに掘り起こしてください。)

それにしても、オリンピック・パラリンピック、ほんとうにやるのですか。

国民の7割もが反対・延期を求めているにもかかわらず。利権や選挙がらみの五輪なんて、汚らわしい! アスリートに失礼です。そろそろ、アスリートも自らの意見や主張を明らかにすべき時が来ています。黙っていることは現状肯定につながり、権力の意のままです。アスリートの多くは、場さえ提供してくれれば、無観客でも構わないといっている。なのに開催。お金と利権と選挙かよ! といいたくなりますね。

さて、今月号は「わが子の現状認識」というテーマでお話させていただきます。

勉強もそこそこできて、部活をはじめあらゆることに精力的。どんな人にも優しく接して、信頼厚く、コミュニケーション能力も高い。理想的ですね、こんなわが子であれば。ここまでは望まなくても、親という存在は、“無意識にも”期待と理想像を内に秘めてわが子と関わり、ある時は自らの価値観を押しつけてコントロールすることもまれにある。

 

この“無意識に”という点に注意しなければなりません。親は知らず知らずに、わが子を親自身が好む鋳型にはめ込もうとする習性がある、こう自覚しておいてください。

わが子の『現状』を考慮せず、勝手にルールを押し付けたり、ハードルを上げたり、○○しないと××するとの脅迫めいたことをしたり……。以下、わが子の『現状』の把握ついて考えていきます。

『現状』その1は、成長や発達のスピードの把握です。

早生まれ・遅生まれといった月齢差以外にも、一人ひとり成長や発達の速度が異なるということを強く自覚してください。同じ学年であっても、月齢差以上に、肉体的・精神的・知的な成熟度が驚くほど違ってきます。

 

ある小学6年生(私立中学受験対策など、特別な訓練をしていない)に都立の入試問題の国語を解かせると9割を超える。ある中学3年生は6割しか取れない。この差はどこから生まれてくるのでしょうか。同じ期間ダンスを習っていても、短期間で振りを完璧にする子もいれば、いまだに覚えられずボロンボロン踊りになってしまう子もいる。

わたしの結論、6割でいいのです。ボロンボロン踊りで十分です。

 

まずはその子の“あるがまま”、今現在の到達度を把握すること。大切なのは、当然のことですが、あるがままの現状を批判したり、見下したりしないこと。もう1点は、いらぬ可能性論や努力論(論理的とはいえない努力第一主義)をもち出して、いたずらにハードルを上げたり、友達と比較してがんばらせようとしないこと。

親はわが子の奮起を期待して努力論をもち出すのですが、これが裏目に出てしまうこともしばしば。

親が奮起を促せば促すほど、子どもはそれに反して「ぼくはいたらない子なんだ。ダメなんだ。欠点だらけなんだ。」と否定的な自己意識や劣等感を強化してしまうことがあります。親の良かれと思った言動や励ましが、ある子どものプリズムを通過すると、自己肯定感を低下させる結果となる、こうした子育て上のアイロニー(皮肉)をおさえておいてください。

 

他人との比較ではなく、その子自身の成長や発達の現状をおさえて、気長に、ゆっくりリズムを大事にしてください。

 

そう、あなたのお子さんは、大器晩成型です!「晩成しなかったら?」「ハイ、わたしが責任をもって天国から晩成させます!?」

わが子の『現状』把握、その2は、ものの考え方や感じ方(のクセ)です。

常識的にはAという考え方が正当とされても、その子にとってはBという考え方しかできないことがあります。思考の多様性や深化という点で、どの程度まで鍛えられているかが問われてきます。

「来週の水曜日、1次関数の確認テストをします。」と予告します。

Cさんは、「水曜日来られないので、火曜日に来ます。」と。D君は、当日欠席の連絡があり、翌日の木曜日に受けに来ました。F君は当日無断欠席(保護者の方からの連絡なし)しましたが、翌日も、翌々日も来ませんでした。翌週、わたしから「数学のテストどうするんだ!?」と詰問され、弱り顔。F君には、「テストなどすっぽかしてもかまわない」という安易な考え方と、「休んだら、翌日受けに来る」という常識が働いていませんでした。

雨の日。Gさんが遅刻する。

「遅いぞ。どうした?」「自転車ではなく、歩いてきたので」と。やはりGさんも、「歩きだから、家を早めに出る」といった常識的な考えに及びませんでした。本人にとっては「いつもの時間に家を出ているのだから、問題はないでしょ。」ということなのでしょうか。

ある方は感じたことでしょう。

こんなことは「親のしつけしだいだ」「教えるべきことを教えていないだけだ」と。厳しい指摘です。一理ありますね。

 

ただ、小中学生の中には、いくら親が口で教えても、実行に移せない子がいます。本人には悪気はありません。親の教えを受けいれるだけの思考・精神のキャパシティがととのっていないことが原因の1点目。

 

もう1点は、親子の関係性(母―子、父―子、父―母)が円滑でないことが挙げられます。親に何らかの不全感をもっている子は、親的なもの(権威や規則など)に批判的になります。素直になれません。健全な批判や反抗は大歓迎します。しかし、幼稚な反抗はきっちり説明したうえで、改めさせます。

“人生、ものの考え方次第!”

物事を多面的に深く考えられるよう、まわりの大人が助力していかなければなりません。なによりも、F君、Gさんのような行動は、人からの信頼を失いますので、わたしはうるさいほど言い聞かせます。この時ばかりは‘おせっかい塾長’に変身です。

さて、わが子の『現状』認識のその3は、性格・資質です。

わかりやすい例は忘れ物、宿題忘れでしょう。うっかりはだれにでもありますが、“忘れ物病”は特定の生徒に限られています。ウエルではあらゆる連絡事項は、必ず板書して、連絡帳に記入させています。

 

Hさんは小学校時代から4年間も同じ連絡帳を使い続けています。4年間で忘れ物はゼロです。一方、I君は1年間で4冊もの連絡帳を使い分ける(いやいや、失くしてしまうのです)“忘れ物の王者”です。連絡帳に記入はするものの、連絡帳を見直すことを忘れてしまうのです。“どっかぬけている”などといいますが、ここにいう(発達障がいは措いておきます)忘れ物や‘ぬけている’は、「性格や資質的なものですから、お母さんあきらめてください。親の遺伝子が悪さをしているのです」と面談では冗談半分に話したりします。

 

字の汚さ(ハイ、わたしです!)も資質でしょう。ゆっくり、丁寧に書けないのです。心臓の鼓動と同様、コントロール不可能です。ぜひお願いしたいのは、性格や資質的な問題については、セルフ・コントロールが難しいので、責めるのは控えてください。欲望(例えばゲーム時間)をセーブするなども、性格的な問題のひとつ。メンタル面での強さが備わった子、鍛えられた子でないと欲望は抑えられません。

字の汚さで思い起こすのは、小学生時代の習字教室。

わたしは親から強制されたことは習字のひとつだけ。いやでしてね。3週間くらい通ってあげて、あとはさぼり。おじいさん先生だったので、わたしの存在に意識はなく、3か月が経過。2か月分の月謝は、マサハル少年の懐に。そう、‘月謝使い込み事件’です。駄菓子ともんじゃに消えました、ハイ。

 

クソガキ・マサハル少年からの教訓です。“子の欠点を直そうとするな。子どもは反乱を起こすぞ!” さぼったうえに、使い込みまでしたガキにいわれたくないですよね。わが子のこの欠点だけは、目をつぶる。こんなあり方もお勧めです。

“あるがままの子を無条件的な愛でつつみなさい。”語りつくされた名言です。

 

わたしはこれまで『子育て楽観主義』なるものを強調してきました。

生きていく上での基本的なルールを教え諭したら、あとはあるがままに任せる。放任ではなく、どの子も本来備わっている“自己成長力”のお任せするのです。子どもに対し敬意をはらい、余計な手出し、口出しを慎む、以上です。

※夏期講習  7/21~8/4の12日間(小学部はお休み)    ※夏休み 8/5~19の15日間
※8月集中授業  8/20~8/30の9日間

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