塾長ブログ

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わが子のいたらなさ、全面的に引き受けましょう!

2022.11.11 塾長ブログ

素敵な物語を紹介させてください。
題は、「ひび割れの壺」です。生徒達にも大好評でした。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、お楽しみください。
すがすがしい気分に浸れます。

インドのある水汲み人足は二つの壺をもっていました。
天秤棒の端にそれぞれの壺をさげ、首の後ろで天秤棒を左右にかけていつも彼は水を運びます。
 その壺のひとつにはひびが入っています。もうひとつの完璧な壺が、小川からご主人の家まで一滴の水も溢さないのに、ひび割れ壺は人足が水を一杯入れてくれても、ご主人様の家に着くころには半分になっているのです。
 完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、彼が作られたその本来の目的をいつも達成することができたから。
ひび割れ壺はいつも自分を恥じていました。なぜなら、彼がつくられたその本来の目的を、彼は半分しか達成することができなかったから。
二年が過ぎすっかり惨めになっていたひび割れ壺は、ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている」
「なぜそんな風に思うの?」水汲み人足は尋ねました。「何を恥じているの?」
「この二年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。水が漏れてしまうから、あなたがたどんなに努力をしても、その努力が報われることがない。私はそれがつらいんだ」壺は言いました。
水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いている綺麗な花を見てごらん」
 天秤棒にぶらさげられて丘を登っていくとき、ひび割れ壺はお日様に照らされ美しく咲き誇る花に気づきました。花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着くころには、また水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。
 すると彼は言ったのです。
「道端の花にきづいたかい?花が君の側にしか咲いていないのに気づいたかい?僕は君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。そして、君は毎日、僕たちが小川から帰る途中水をまいてくれた。この二年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しさで家を飾ることができなかったんだよ」(作者不詳 菅原裕子訳)

あるがままの君、あるがままのわが子。
これで十分なんですよね。

とかくわたしたち親や教師は、子どもに「成長物語」や「サクセスストーリー」を求めるものです。
特に勉強面で。

大人社会も同様で、ひとに「生産性」を厳しく問うてくる。
「仕事のできない奴は……」「引きこもりやニートは……」「LGBTは……」「障がい者は……」と。

人間にはそれぞれ諸事情があり、個性があり、ハンデがあり、まさしく多様性をもった生き物です。
この多様性こそが、社会に人間にやさしさという徳を備えさせてきたのです。

人間の価値に「生産性」を組み込むことのおそろしさは、歴史が証明しています。
障がい者をはじめとする被攻撃者のみんなが生きやすい社会は、すべてに人間にも生きやすい社会に違いありません。

しょせん人間はみな「ひび割れ壺」。
あなたもわたしも、そのとなりにいる人も。

「生産性」を問うてくる彼らもまた「ひび割れ壺」。
「あなたにはどんな生産性があるのですか?」と尋ねてみたらよい。
「弱者を平気で攻撃するあなたには、人としての価値はありませんよ」とやさしくささやいてあげましょう。

ひび割れこそが人の姿であり、あるがままの姿。

わが子のいたらなさも、欠点もすべて受け入れましょう。
あるがままのわが子を愛し、承認しましょう。

そして、いつしか感謝を込めて“花の種”をまいてあげましょう。
どんな“花の種”か、親として力量が問われてきます。
ひび割れが、いつしか美点に化けてしまう“花の種”。

わが子をじっくり、ゆっくり長きにわたって観察して、最高の“花の種”を贈りものとして授けましょう。

最後にもういちど味わってみましょう。
「君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しさで家を飾ることができなかったんだよ」

本日もお読みいただきありがとうございます。

昨日は、中学3年生の保護者会でした。
1人の欠席もなく、また1時間半にわたるわたしの話を真剣に、ある場面では大笑いしながら聞いていただきました。

「とても充実した保護者会でした」とのお褒めの言葉までいただきました。

一日のお仕事を終え、夕食の用意をし、そして保護者会。
お疲れさまでした。

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