塾長ブログ

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今学期こそ『学習主体性』を身につけさせましょう‼

2019.08.20 塾長ブログ

夏期講習12日間(高校1・2年は6日間)は、どの学年も充実した内容で、その成果は秋口に表れてくることでしょう。

 

なかでも中3の夏期講習、ちょっとした“いたずら”を試みました。

それは「スマホの持ち込み禁止」というもの。単なる思い付きではなく、いくつかの理由があります。1つは、受験生にとっての夏期講習の重要性を強調する中で、休み時間のスマホ遊びの余韻を授業に持ち込ませたくなかったこと。反知性たるスマホ遊びのくだらなさに自覚的になってほしかったこと。2つは、今後、ともに入試を乗り切っていく上での連帯感を作る必要があること。

その成果はいかに?

散らばっていたグループがひとかたまりになって昼ご飯を食べるようになりました。休み時間、うるさいくらい元気に会話をするようになりました。授業にすんなり入れるようになりました。塾則に加えてもいいかもしれませんね。

夏期講習期間中の毎日、午前10:00から18:40までひと教室を開放し、14:00から16:10までは先生を一人配置し質問教室と補習にあてました。

質問教室での一幕ですが、ある中学生が「先生、○○方程式の解き方が全体的にわかりません」とやって来ました。「特にどこが?」と聞くと「全体的に。」と。わたしのとった行動は、「テキストの〇ページから△ページの要点の整理をよく読み、そこにある例題を解き、解説を2回読んできなさい。それが終わったら、◇ページの練習問題を解いてきなさい。」と。

 

こうした先生任せの生徒には、手取り足取りの指導はいっさいしません。

40~50分経った頃、「先生、わかりました。練習問題も全部解けました。」と明るい表情のなかにも照れをふくんだ笑みを浮かべて、帰宅しました。

ご丁寧にも、お母さんからお礼のメールが入り、とりあえず一件落着。

「わからないから、即教える」

これは個人指導塾の3流教師か大学生の講師。

手をかけすぎたり、教えすぎたりすれば、子どもは弱い子になり、「学習主体性」が育ちません。

 

中学まではどうにかごまかせても、高校生になったら通用しません。

小学生、中学生時代の個人指導や家庭教師は危険をはらみます。

親切な大学生は、熱心にとことん教えてくれることでしょう。

生徒は?と言えば、「勉強イコール教えてもらうもの」という受け身の思考回路を形成してしまい、自分から問いを発し、強く深く考え続けるといった学習姿勢がいつまでたっても身につかないのです。気の毒にも、こういった生徒はあと伸びしません。

 

「わからない」ときたら、その乗り越え方を指導するのが「教える」ということです。

先月ある父親に懲役13年の判決が出ました。

 

「中学受験の指導の名の下、長男の気持ちを顧みることなく自分の指導・指示に従うよう独善的な行為をエスカレータさせたあげく、衝動的に犯行に及んだ」「父親によって命を奪われた長男の驚きや苦痛は察するにあまる」。

 

息子は鋭利な包丁で深く突き刺され、命を絶たれました。

 

‘親が勉強を見れば必ずケンカ’、というのが相場ですが、その域をはるかに超えた暴挙です。「教育虐待」なる名称がつけられました。

 

わたしの本音は「たかが子どもの受験や勉強位で浮足立つな!子どもが自分とともに生きていてくれることだけに感謝せよ!これ以外求めるな!勉強・受験ごときで、親子の関係にヒビを入れるな!」ということです。

 

前にもお話しましたが、親は勉強や成績には楽観主義がよろしい。経験上、親が熱くなればなるほど、心配性になればなるほど、子どもは勉強から離れていくものです。

「子どもが勉強から離れていく」他の要因として、本人の「能力」の問題があります。

濃い授業をして、テストをして、また復習をして……。1週間後に確認のテストをしてみると、すっかり抜けている。英語や国語の長文読解でも、設問に対する答えにあたる内容が下線部の直前に書いてあるにもかかわらず、それに目が向かず、全く異なる解答をしてしまう。

 

これらについては本人の怠惰や努力不足を非難できませんね。足が遅かったり、音痴だったりと同様に、努力以前の能力的な問題です。

教育関係者のタブーのひとつに遺伝についての発言がありますが、あえてふれておきます。

 

行動遺伝学者の第一人者・安藤寿康氏による「様々な心理的・行動的形質の類似性と影響の強さ」と題するデータが注目されています。

 

膨大な項目があるのですが、中でも子どもの「学業成績」は、親からの遺伝の割合が55%、子育ての影響力の割合が17%、環境の割合が29%となっていることが話題に上っています。

学業成績に関して、親の関わりや子育ての割合が17%しかないのは意外ですね。親が出しゃばってもあまり意味がないということです。さて、遺伝の果たす役割の大きい科目はなんだと予想しますか。1位=音楽(92%) 2位=数学(87%) 3位=スポーツ(85%)……。

 

行動遺伝学的には、音楽や数学、スポーツなどは、生まれながらの素質で決まるということなのです。そう、「私が数学できないのは、努力不足ではなく、遺伝のせい(!?)」なのです。

以上のデータをどう読み込むか、あるいはどれほどの信憑性があるのかという学問上の問題は残ったままなのですが、言えることは、子どもは親からの遺伝という束縛から離れて生きていくことはできないという事実です。

 

子どもの学業成績の悪さややる気のなさといった問題は、遺伝と環境の相互作用の結果と理解しておけば(実際はこんなに単純化できるものではないのですが)、子どもへのプレッシャーや不平などが軽減されるはずです。

 

そうです、子どものいたらなさは、親の遺伝子と環境整備に欠けたところがあったから、くらいに親は理解しておけばいいのです。

 

こんな短歌があります。“②ばかりの通知表。 ‘家鴨(あひる)が並んで可愛いよ’ 母よ、あなたの心を忘れない。”(『日本一短い母への手紙』大巧社)

このおおらかさ、母なる心、見習いたいですね。

『自己肯定感が高まれば、自ずと学習へと向かう』これまで何度も何度も強調してきたテーゼです。

勉強面を気に掛けるより、わが子の自己肯定感をいかに高めていくかに意識を集中すべきである、というのがわたしの主張です。

 

じつは、この10年ほど、はやりの概念となっている自己肯定感や自尊感情は、ほめて育てる、承認欲求を満たす、親子のコミュニケーションを円滑にする、達成感を経験させる等々、様々な専門家が様々な見地から述べていて、一筋縄ではいきません。改めて機会を設けてご説明いたします。

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