塾長ブログ

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体 罰 考

2013.02.13 塾長ブログ

残念ながら、2013年の教育界は、部活顧問による体罰と生徒の自死という痛ましい事件で始まってしまいました。亡くなられた中学2年生に、まずは合掌をさせていただきたい。

 あきれかえるのはこのバスケットボール部の顧問(体育教師 47歳)の弁。体罰なしの指導は無理だったかの問いに、「できたかもしれない。ただ、たたくことで良い方向に向く生徒もいた」と事件後も体罰を肯定しつづけています。

 47歳になってもこの感性。精神年齢は中学生以下!「たたくことで良い方向に向く」と言うが、この顧問の「良い方向」とは何を指してのことか? 顧問の発した命令通りに動く単なるロボットや奴隷のことではないのか。また、たたいたから良い方向に向いたと、本気で信じているのであろうか。けものの調教とはき違えてはいないか。良い方向に向かったとしたら、それは体罰によるものでは決してなく、生徒本人の自己成長力のたまものに他ならない、こんなふうに考える術は持ち合わしていないのか。

 元ジャイアンツの投手で、PL学園時代は甲子園で20勝を記録した桑田真澄さんは、新聞の取材に応じて次のように語っています。暫し耳を傾けてみましょう。

   「(体罰は)指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。」

   「体罰を受けた子は、『何をしたら殴られないで済むだろう』という思考に陥ります。それでは子供の自立心が育たず、自分でプレーの判断ができません。」

   「私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。……私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。『愛情の表れなら殴ってもよい』と言う人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。」

 作り物のドラマは別にして、体罰や暴力には愛は存在しません。桑田さんに全面同意いたします。

 体罰の歴史的、社会的背景を探れば、軍国主義教育と勝利至上主義にぶつかります。戦前、青少年は教師や上官には絶対服従でした。上の者に気にくわないことがあれば、あたり前のように暴力を振るわれ、そのたび「ありがとうございます!」の「感謝」の一言を吐く。戦後民主主義も日本の暴力文化の根深さには難渋しました。暴力・体罰を伴う「しつけ」は、世代間連鎖することが分かっています。

 47歳体育教師、年代的に彼も暴力の犠牲者だったのかもしれない。暴力以外の教授技術を学習してこなかった。先輩教師にも恵まれなかった。人間、孤立してしまうと何らかの病理に侵されてしまうことがあります。独断という病理、体罰という病理、暴力という病理、そして依存という病理……。

 遅ればせながら、この場をお借りしてあらためて、中学2年生バスケットボール部主将の御冥福をお祈り申し上げます。皆さんで心からの黙とうを捧げましょう。

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