この1,2ヶ月、若い女性の哀しみや苦しみに寄り添った本を多く読んでいました。
貧困という視点からは『最貧困女子』『シングルマザーの貧困』『失職女子。私がリストラされてから、生活保護を受給するまで』。貧困と暴力という視点から『裸足で逃げるー沖縄の夜の街の少女たち』。そして父親からの性的虐待を扱った『13歳、「私」をなくした私ー性暴力と生きることのリアル』。重く暗く、とても疲れた読書月間でした。
きっかけは次の記事でした。「名古屋市緑区で女子高生の死体遺棄事件 赤ちゃんをカバンに入れて出頭―女子高生は緑署を訪れた当初『妊娠したかもしれない』などと警察に相談していましたが、その後『家で子どもを産んで、自分の部屋に遺体を隠していました』『耐えられなくなった』などと話したことで事件が発覚しました。遺体はタオルで包まれ、へその緒がついた状態でした。」
死んだ赤ちゃんを抱えて一人警察署に向かう女子高生。その切ない姿が絵となり脳裏に焼き付いて離れないのです。誰の助けも借りず自力で産み落としたのでしょう。彼女の圧倒的な孤独感や罪悪感を思うと、悲悶ゆえ息するのもつらくなります。自分の娘として感情移入してしまうともう耐えられません。もちろん彼女は殺人を犯したという罪から逃れることはできませんが。
“女性ゆえの不幸”と言ったらよいのでしょうか、男としてその無知を覚醒してもらうよう、悲しみや苦しみのどん底にいる女性たちに目を向けました。
『裸足で逃げる』(上田陽子 2017年)は、沖縄における貧困と教育の学術研究に端を発し、「キャバクラで勤務していた、あるいは『援助交際』をしながら生活をしていた、10代から20代の若い女性たちの記録」です。この本のキーワードを並べてみます。貧困(沖縄の子どもたちの貧困率は3割と極めて高い)、低学力、中卒、親、恋人、教師からの虐待や暴力、家庭崩壊、薬物、レイプ、妊娠、中絶、シングルマザー、過労、アルコール依存……。それでも、それでも、けなげに生きようとする彼女たちに、心を揺さぶられるのです。
親のいない家庭で暮らし、中学で不良グループに入り、キャバ嬢に。16歳で出産。夫からの激しい暴力に耐えきれず離婚。そんな翼さんの一言。「お母さんの味ってわからない。みんなが話しているときも、わからない、ってなるくらい、おうちにご飯がなかった。」「子どものころの翼の夢は、お父さんとお母さんがいて、子どもを育てる家庭を作ることだった。早く結婚して子どもを作り、寂しい思いをさせないように子どもを育てたい。」彼女たちの望むもの、それは‘暴力のないごく当たり前の家庭’。何の贅沢もいりません。やさしい夫と笑顔の子どもさえいれば、何よりの幸せなのです。
冒頭「私は、父親からの性的虐待のサバイバーだ。私が13歳のとき、父は私に性加害をするようになり、それは母と父が別れるまで7年間続いた。」で始まる『13歳、「私」をなくした私』(山本潤 2017年)。性被害の影響がどれほど壮絶で過酷なものか、驚くばかりです。本書から列挙します。恐怖のトラウマが大きすぎるため、性被害そのものから解離した状態で生きる。赤ちゃん返りをして、母の乳首を口に含む。強迫症状として、台所でコップを置き直し続ける。アルコールに溺れる。尿を飲みたくなる。殺されたい衝動に取りつかれる。セックス依存症になる……。凄まじいばかりの逸脱行動です。
性被害の恐ろしさ、女子だけでなく男子にも伝えておかなければなりません。なぜ声を上げることができなかったのか、など疑問点があるかと思いますが、実際に手に取って読んで下さい。筆者の20代、30代はこうした苦しみの連続でした。いつ自殺してもおかしくない状況が続きました。しかし、結婚を機に、「今、私は自分を取り戻したと感じられる」との安堵の言葉を残すことができるまでになりました。愛に包まれることの安心感、そして愛そのものがもつエネルギー、我が家族を振り返ってみましょう。
女子高生の死体遺棄事件、女性の貧困、キャバ嬢の生活史、そして性暴力。一緒くたに論ずることはできませんが、こうした女性に対する‘扱い’(特にネット上やホシュのオジさんたちによる批判)には、共通した事柄が存在しています。それは新自由主義的な『自己責任論』です。
例えば、「避妊しなかったお前が馬鹿だ」「そんなどうしようもない男を選んだお前が愚かなのだ」「学生時代、遊びほうけていたツケが今の貧困だ」「男の性欲を刺激するような恰好をする女にも落ち度がある」……。
いい加減聞き飽きた批判ばかりなのですが、問われるべきことは、人間をどう見るか、社会をどう作っていくのかという哲学なのです。これだけの人々がいれば、生きることに不器用であったり、賢明な行動がとれなかったり、努力の才に恵まれなかったり、世間から誹謗中傷を浴びてしまう人たちがいて当たり前です。例が適切ではないかもしれませんが、勉強と一緒です。
できる子もいればできない子もいる。何度教えても、記憶から抜け落ち、正答までたどり着けない。できない子を自己責任だからと無視していいわけがありません。できない子ほど手間と時間を余計にかけるのです。
自己責任論を振りかざす人たちには、「社会的包摂」という概念を学んでもらいたい。例えば、貧困に苦しんでいる人に対して、努力が足りない、自己責任だと批判するのではなく、いち早く様々な対応策を取らなければなりません。放っておけば、病気になったり、生活保護を受けることにもなります。非行的な行動に出ることがあるかもしれません。こちらの方が社会的損失ははるかに大きいことを知っておくべきです。
こんなデータもあります。「保育サービスに1.4兆円の予算を投入すれば、数年以内の労働生産性成長率は約0.5%、経済成長率は約0.6%上がり、子どもの貧困は約2%減る」(柴田悠『子育て支援と経済成長』朝日新書 2017年)。そう言えば、4年前「あなたのお子さんを3年間抱っこし放題ですよ」とスピーチしたアベチャン。“うそつき総理”もここまでくると手に負えません。繰り返しておきます。排除するのではなく、反対に社会に取り込む(包摂する)ことによって新自由主義とは真逆の「弱者にやさしい社会」を作っていきたいのです。
本題、奨学金に入ります。大学に限定してお話します。
現在、何らかの奨学金を利用している学生は50数%。一人当たり平均すると340万円にもなります(利子分は含めていません)。理系ですと授業料も高く、実験・実習費が加算され、さらには半数以上が大学院に進みますので、600~800万という借金額はめずらしくありません。20代前半の若者が社会に出る前に、これだけの借金を抱えているのです。ちなみに、教科書や定期代などすべての諸費用を含めた4年間の総額は、文系で平均695万、理系で880万にも上ります。
ある著名な学者の推計をご紹介しておきます。「中学生、高校生の子供がいる場合、大都市部での不足金額は100万円を超えるため、年収500万円でも赤字になる可能性がある。年収600万円でも大学進学を計算に入れると、生活保護水準の生活をしてもなお赤字になる可能性がある」。親の所得が減る一方で、大学の学費が上がっているのです。二重苦、三重苦の生活です。
奨学金の概要についてご説明します。日本の奨学金の約9割は、独立行政法人「日本学生支援機構(JASSO)」(前身は日本育英会)の貸与型奨学金です。残り1割強が、民間の奨学金です(大学独自の奨学金、民間育英団体、新聞奨学金など)。JASSOには、無利子の第一種と利子付きの第二種があり、第一種には高校時代の評定平均値(5段階で3.5以上)や親の所得などの基準が設けられています。財政不足を理由に、基準を満たしていても採用されないケースがあります。自宅通学で私立大学に通っている場合、月3万円か54、000円のどちらかを選びます。第二種は有利子で、利子は最大で3%です。月3万、5万、8万、10万、12万から選択します。お気付きの通り、奨学金というのは名ばかりで、まさに「教育ローン」であり、JASSOは紛れもない「金貸し」です。
保障制度についても触れておきます。
1つは、連帯保証人(父or母)と保証人を必要とする「人的保障」、もう1つが保証機関協会に依頼する「機関保障制度」です。後者は、返済が始まると、毎月決められた額の保証料を支払わなければなりません。参考までに第二種で5万円を借りた場合のシュミレーションをしてみます。◎貸与総額~5万×12ヶ月×4年=240万円 ◎年金利3%の場合~総額約302万円 ◎返還回数~15年(180回) ◎毎月の返済額~16、769円 ◎機関保障にすると毎月の保証料は2、154円 ◎毎月のトータルの返済額~18、923円 この額を40歳前後まで払い続けることになります。
奨学金の説明や手続きは在籍高校で行われます。高校3年の春先に資料が必ず配布されますので、それに従ってください。
とりあえず、3つほど注意点を挙げておきます。
1つは、奨学金が振り込まれるのが、大学入学後の5月頃ということ。タイムラグがあります。実に不親切というか、親方日の丸の仕事というか。
2つは、取り立てが厳しいという点です。まず、滞納3ヶ月以上で、ブラックリスト(個人信用情報機関)に登録され、5年間はローンやクレジットカードの審査が通らなくなります。滞納が9ヶ月になると、債権回収専門会社による取り立てが始まります。これを越えると自動的に法的措置に移行します。それでも催促に応じないと訴訟を起こされます。支払いに関する「猶予」や「減免」などの支払い緩和制度がありますので、親子共々よく勉強した上で申し込みをしましょう。
3つは、保証人に関して。「人的保障」と「機関保障」のうちどちらかを選択するのですが、やはり保証料のかからない前者を選ぶ傾向にあります。親世代の老後が極めて不確実な今日、奨学金で親子共倒れのリスクが避けられない状況になってきました。どうでしょう、保証料はかかっても、「機関保障」を利用し、最悪「自己破産」の覚悟を決めるのもひとつの案です。
「借りたものは返す」、これは常識。しかし、借りざるを得ない社会状況を作った大人たち、政治家たちのふがいなさ、そしてOECD34ヵ国中、大学の授業料が有料で、国による給付型奨学金がないのは日本だけという歴然たる事実にプロテスト(抗議)する意味で、『自己破産覚悟で奨学金に甘えよ!』と喝破したい。
「そこまでして大学に行かなくても」といった議論がありますが、高卒の就職状況や大卒との生涯賃金の格差(ここ5,6年で拡大傾向にあります)や職業の選択肢の幅などを知ったら、やはり大学へと進路を取るのが真情です。
親の経済力によって、子どもの進路や奨学金にまで影響を受けます。こんな国おかしい! 憲法第26条「ひとしく教育を受ける権利」が国によって侵害されています。アベ一族、憲法を熟読しなさい!
地方出身の一人暮らしをする学生たちは、授業料や生活費捻出のためバイトに追われ学業に、いや健康にまで支障をきたしています。性風俗に身をゆだねている女子大生も多いと聞く。大学生をここまで酷使していいのですか?!
今や大学生も‘ワーキング・プア’の一員に成り下がってしまいました。
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