来年度予算の概算要求額が提出されました。イージス・アショア(ミサイル施設)の整備に2352億円、戦闘機F35A(6機)の取得に916億円……、防衛費は過去最大の5兆2986億円にも上りました。戦争準備のために5兆円とは!政府よ、もういい加減に目を覚ませ、と声を張り上げたい。
それに比べ、教育支出に占める公的支出の割合の低さよ。実に情けない。これまでも何度か紹介したOECDの調査結果。加盟各国の国内総生産(GDP)に占める小学校から大学までに相当する教育機関への公的支出の割合は、日本は3.2%で、34カ国中最低!なのです。OECDの平均は4.4%ですから、日本の親の私費負担がどれほどきついか明白です。調査を担当したOECD教育局長も「日本の私費負担は重い。家庭の経済状態による格差をなくすためにも、一層の公的支出が必要だ」と指摘しているのです。
特に顕著なのは幼児教育に対する公的支出の低さ。OECD平均の支出割合は82%のところ、日本はわずか46%なのです。政府もOECDの圧力に屈したのか、来年度10月から3歳以上の幼児教育の無償化に着手することになりました(所得制限はないので、富裕層にとってはラッキー至極ですが、さらなる格差が広がってしまいます)。
アベちゃんはじめ、与党の議員たちはどこ向いて政治をしているのでしょうか。なぜこれほどまでに子どもたちの教育に冷たいのか。そう思いませんか。
幼児教育ついでに、「学校外教育活動に関する母親への調査」(ベネッセ)を紹介します。幼児を持つ母親からの回答なのですが、「運動やスポーツをするよりももっと勉強をしてほしい」という質問に対し、「とてもそう思う」「まあそう思う」の合計が、09年14.4%➡13年23.8%➡17年27.4%。
また「音楽や芸術の活動をするよりももっと勉強をしてほしい」にも上記同様、22.7%➡32.5%➡40%という結果でした。小・中学生を持つ母親ならまだしも、幼児ですよ。“そんなにまで勉強をさせたいか!”とツッコミを入れたくなります。ウエルのお母さん方はいかがでしたか?若いお母さん方の教育意識に不勉強でしたので、この数字の高さと年々増加し続けていることには正直驚きました。
懐かしい話になります。
わたしが自分の子どもたちに選んだ幼稚園、一番のこだわりは“とにかく遊ばせてくれること”でした(幼児教育における‘遊び’については専門的になりますので、ここでは省きます)。読み・書きを教えるなど、そんな園は初めから除外。はだし・はだか・大汗・大声・けんか・そして読み聞かせ……。とりあえず“汗をかかせてくれる、からだに力をつけてくれる幼稚園”が優先順位の1番でした。当然です。子どもは汗をかくことによってからだが鍛えられ、同時に大脳をも発達させていくのですから。ちまちまとお絵かきなどさせるならば、なわとびにすもう、おしくらまんじゅうにドッジボールです。アクティブな子、そして先生や親から受け入れられてきた自己肯定感の高い子は、やがて黙ってでも勉強に向かうものです。
ただし、親が勉強への誤った動機づけさえしなければ…の話ですが。
わたしにはよくわからないのですが、「(幼児に)スポーツや芸術よりも勉強をしてほしい」と強く望むママさんて、どんな人?勉強がとてもできた人?あるいはその反対?学歴の高い人?よく聞くのは、英語が苦手だったお母さんほど、子どもに英語を強制させる傾向がありますね。もしそうだとしたら、とても危険なこと。「楽しみや自己成長のための勉強」ではもはやなくなり、「単なる義務としての勉強」となり、子どもは勉強嫌いになってしまいます。幼少期までは素直に従っているかもしれませんが、自我の芽生えた思春期にとんでもないしっぺ返しが待っていることも少なくありません。幼児に対して勉強することを期待するママさんには、こんな言葉を贈りましょう。
〇「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ。」(哲学者 ロバート・フルカム)
〇「遊びの中で学び、試し、気づく。これが脳を鍛え、知恵を育むことにつながった。こうしてヒトはヒトになった。……児童文学者の石井桃子はこう言っている。『子どもたちよ 子ども時代をしっかりと 楽しんでください。おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の“あなた”です』(生物学者 福岡伸一;石井桃子は「ノンちゃん雲に乗る」の作者)
〇「園で『遊び込む経験』を多くする方が、子どもの『学びに向かう力』は高い。」(ベネッセ「園での経験と幼児の成長に関する調査」2016年)
『遊ぶ込む経験』、感心させられるほどいい言葉です。幼少期にける遊びの重要性、ヤンママたちに伝わったでしょうか。
毎年8月の集中授業において、小学生には読み聞かせをおこない、「百字作文」を書かせます。これまでは戦争や原爆関係のものが多かったのですが、今年は『アジアの子どもたちに学ぶ30のお話~全国100万人以上の子どもたちに生きる意味を教えた迫真に真実~』(池間哲郎 リサージュ出版)を選びました。食べ物がないために、2秒に1人が命を落としている現実や、スモーキーマウンテン(ゴミ捨て場)やマンホールで暮らす悲惨な子ども達の生活にふれることになります。子どもたちの感性的な認識力を鍛えるうえで、わたしはしばしば、社会的に弱い人たちの生活や著作を取り上げます。特に小学生の瞳に輝きを与えることになった1話をここに引用させていただきます。
苦しくても、ともに生きるココロ
ミャンマーのマヤンチャウンの森。赤土がむきだしになった道を、長い時間車で走った先に、その森はあります。マラリアというおそろしい病気を持った蚊がたくさんいて、人の命をうばい、多くの人々が逃げだした「死の森」でした。そこに、100人ほどのハンセン病の人たちが暮らす集団住宅がありました。屋根には穴があき、壁もくずれかけていました。太陽がてりつける部屋の中は、40度をこえていたでしょう。健康な人でもたえられないようなひどい場所に、病気で傷ついた人たちがとじこめられていたのです。
ハンセン病の人たちは、生きる希望を失ってしまっているようにみえました。
ここに暮らしている人ひとりあたりに、国が支給する予算は一日あたりたった4円。まともな食事すらとることができないお金です。ハンセン病の人たちは、売り物にならないくず米やくさった米を集め、近くの川の泥水を飲んで、生きのびていたのです。私ははげしい怒りを感じ、やがて怒りをとおりこして、とても悲しくなりました。「これでは“早く死んでくれ”と、いっているようなものではないか」と。
ある日、マヤンチャウンの森をたずねると、食べものは十分にあるはずなのに、みんながやせこけていたのです。「いったいどうしたのですか?」と、私が聞いても、みんなは笑みをうかべながらだまっていました。
やがて、その理由がわかりました。マヤンチャウンの森には、ハンセン病のためにとじこめられた人たちのほかにも、めんどうをみてくれる家族がいないお年寄りたちが暮らしていました。ハンセン病の人たちは、動けなくなったお年寄りの家までわざわざ行って、食べものを分け、ごはんを食べさせていたのです。
食べ物を分けてもらっていたお年寄りの中に、歩くことも、起き上がることもできないおじいさんがいました。このおじいさんは、元気だったときにはハンセン病の人たちを差別し、ひどくいじめていました。そのような人まで助ける必要があるのだろうか?と思った私は、みんなに聞いてみました。「なぜ、このような人を助けるのですか?」と。するとみんなは怒って私にいうのです。「あなたはまちがっています。うらみやにくしみの心は小さくてみにくいものです。いっしょに生きていく心が大切なんです。食べ物を分けるのはあたりまえのことではないですか」と。
体は病気でボロボロになっていても、なんて美しい、清らかな心をもっているのだろう――。「助け合い、分かち合う心」の大切さを私に教えてくれた、マヤンチャウンの森のハンセン病の人びとは、私にとって、心から尊敬できる大切な友だちです。
※中2、中3に個人通信(ファウンテン)を在中しました。
※中学部に高校入試動向をお配りしました。中3の保護者会は11月上旬を予定しています。
※小学生の弟妹がいらっしゃる方に小学部の案内(DM)を入れさせていただきました。ぜひご検討ください。お待ちしています。
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