福山雅治さんの結婚をミドル女性の一大ショックとすれば、二大ショックは川島直美さんの死であり、北斗晶さんの乳房全摘になるのでしょうか。
以前にもご紹介した私が信奉する近藤誠医師のもとにも、直美さんはセカンドオピニオンを求めて来たそうです。近藤医師への最新のインタビューからです。「がんが胆管に沿って広がっているような場合は、切除手術をしてもかなりの高率で再発してくるんです。それでも、外科医らは自分たちの仕事がなくなるのを恐れて、とにかく患者を手術に持ち込もうとする。」「川島さんが切除手術を受けなければ、余命がさらに延びた可能性は高く、あれほど痩せることはなかった、と僕は思っています。」(雑誌「文芸春秋」11月号。ちなみに、今では標準療法となっている「乳房温存療法」は近藤医師が提唱。)
メスを入れてがんを取り除けばいいという単純なものではなく、メスを入れることによって、入れた箇所にがん細胞が集まって、急激に暴れ出す性質を持っているそうです。がん化した細胞の場所や性質によって、切除手術は大きな賭けになることを是非おさえておきたいですね。
さて、裏面は新聞からのコピーです。厚労省の調査によると、2014年度の児童虐待件数は、前年度より20%も増加し、約9万件に達し過去最高を記録しています。政治が民主主義から遠ざかるのに相まって、“子ども受難”の風潮が強くなっています。虐待だけでなく、小学生、特に低学年での「暴力行為」がこれも過去最高の件数を記録しています。
どんな理由があれ、暴力でしか自分を表現できないというのは、当人にとっては“苦しみ”以外なにものでもありません。被害者である友達や先生には気の毒なのですが、暴力に訴えることは同時に自分自身の心を虐待している、こうした視点をもつことがまず求められてきます。子どもの暴力は、①親の模倣 ②愛情欲求の裏返し ③ストレス ④何らかの障がい、に大別されます。
親が暴力的であれば、子はそれを学習し、模倣します。また、親から虐待を受け、自己肯定感が低下していたり、居場所がない子は、学校や弱い子の前で攻撃的な行動をとります。さらに、行き過ぎた勉強や習い事、親からのプレッシャーなどは、子どもにとってストレスとなり、その発散のために暴力という手段に訴えます。子どもの暴力は、周りに危害を加えるだけでなく、自らの心にも同時に傷をつけていることを確認しておきたいです。
話が飛躍するようですが、保育所の騒音問題や電車内のベビーカー問題。政府は「少子化対策として、女性の○○を改善していきます」などと聞こえのいいことばかり言っていますが、何も進んではいません。これまでの政治が、本気になって少子化対策に取り組んできていれば、子どもの声が騒音だとか、ベビーカーを控えろなどと度量の狭い不満は出てくるはずもありません。
社会に余裕がなくなってきています。チビッ子達を受け入れる包容力が無くなってきているように思えてなりません。有権者は、自分や自分の家族のことで手いっぱいで、未来の形成者である子どもに対して精神的にも、経済的にも投資を惜しむようになってしまいました。
ごく最近の投書なのですが、おなかの大きい妊婦が電車の優先席前に立っていたのですが、誰一人席を譲ってはくれなかったと嘆いていました。妊婦への気づきや、近く誕生する生命へのいたわりという美徳はなくなってしまったのでしょうか。日本人はしょせん、この程度のものなのでしょうか。
政治が腐敗すると、国民の民度も低下します。裏面のコピーにあるように、様々な苦しい過去の体験から、虐待に走ってしまう母親がいる。心の病から、思わず子どもに手を出してしまう母親がいる。一生懸命さが空回りして、知らず知らず子どもをダメにしてしまう母親もいる。どんな母親でも優しく包み込み、援助の手を差し伸べる社会システムが急務です。東京オリンピックなんてやらなくて結構。数千億円を子どもとその教育に、親に回してくれたら、これまでとは違った社会に生まれ変われます。
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も 何せんに まされる宝 子にしかめやも (山上憶良)
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