ある40代の独身の女子アナが、番組の中でおもしろいことを言っていました。
「最近、同期の女子会の話題はコイバナ(恋話)を素通りして、もっぱら親の介護の心配が多くなった」と。結婚願望は失ってはいないものの、親の介護の問題の方がより切実感を持って迫ってきたということなのでしょうか。これもひとつの時代であり、避けられない社会問題です。
先日、台東区で15歳の高1の長女が41歳の母親を絞殺するという事件が報道されました。詳細は明らかになっていませんが、親子を知る人は、「(母親が少女に)お前なんかいらない、とか厳しいことを言っていた」との虐待的な言動をうかがわせる報告も上がってきています。
おもて面の新聞記事(朝日新聞5月11日)の要約をまずお読み下さい。
元モデルの秋川リサさんも同様に、「娘なんて産まなきゃよかった。一人で生きている方がよっぽどよかった」と母に言われ続けてきた、とあります。
女性は良くも悪くも、過去の記憶を鮮明化し、こだわりを持ち続ける傾向が強い。その点、男は鈍感ですから、過去の出来事よりも、現状の問題の解決を最優先します。多くの女性が「母に言われた忘れられない一言」の記憶に苦しんでいる、との指摘がカウンセラーや精神科医からなされています。
人格的にあまりに未成熟な人が親になることは、実にこわい。子どもは親を選ぶことができないので、親の未熟さのツケを子ども側の犠牲によってまかなうことになります。
寛容で心優しき母親に育てられた娘は、幸運です。何歳になっても、お互いを尊重した関係性を維持していくことができます。
さて、リサさんの母親の言動の背後にあるものとは、いったい何なのでしょうか? 何ゆえに、子どもの心に刃を突き刺す(リサさんの表現「目にした瞬間は、傷つくっていうよりも喪失感。」に心動かされます)言葉を発するのでしょうか?
無神経といった性格的な偏りの問題は措いておくとして、考えられることのひとつは、母親自身の「自己不全感」や「不完全燃焼」ということでしょうか。
要するに、自分自身や自分の人生に満足感や充足感が得られず、その責任を自分ではなく娘に転化するといった極めて理不尽で偏狭な考え方です。「お前がいたから私は幸せになれなかった」「主婦におさまらなければ、もっともっとハイクラスの人間になっていたはず」と幼児レベルの論理を振りかざし、娘を苦悩のどん底に落とし入れていくのです。
こうした母親にとってみれば、娘の社会的な活躍はおもしろくありません。嫉妬の対象になります。
リサさんの母親は書いています。「生活の面倒を見ているからって、偉そうに」と。
一般的には、子どもが幸せに暮らしているのを見れば、親としてはこんなに安心できることはないと思うのですが、そう感じない親も存在するのです。
親子関係、特に母娘関係は難しい。単純な男性性に比べ、女性性は極めて複雑で、理性や論理だけでは解決の図れない内実があります。
折にふれ繰り返し書いてきましたが、私は、“親子関係・母娘関係で、わかり合えるなどというのは全くの幻想だ”と思っています。じっくり話し合えば解決できる、これも幻想ととらえたほうがいい。これまで何十年間も積み重なってできあがってきた両者の心の関係性は、話し合いだとか理屈をはるかに超えたものであり、理性の力だけではどうにもできないことが多いのではないでしょうか。
リサさんは書いています。
「親子だからこそ気を使わねばいけないことがある」と。
持論として“親子関係はこじれてあたり前”、こう見ておいた方がよいのです。
母娘の関係性を見るとき、仮にリサさんの母親を「独裁的タイプ」とすれば、「生き直しタイプ」と呼んでもよい母親が結構存在します。「自己不全」「不完全燃焼」という点では、前者と共通するのですが、後者はその不全感を娘の社会的な活躍を通じて解消し、新たな人生の生き直しをするのです。
簡単に言えば、母親としての人生を、娘を通じて完成していくということです。ここに母親による娘の「支配」(コントロール)が始まるのです。進学、学歴、就職、ひいては彼氏選び、結婚相手にまで口を挟み、介入し、決定権を持つようになります。母親にとっては自らの生き直しという人生上の大問題であるため、妥協を許しません。様々な策略を施し、娘の人生を思い通りに動かしていくわけです。ひとつ、ふたつと策略が成功するたび、母親は自己満足に浸り、娘への介入度をエスカレートさせていくのです。母の介入にやっと自覚的になった娘が吐く言葉が、ひと昔はやった「母が重たい」「私は墓守娘」です。
私の教え子(すでにアラ・フィフ)から相談を受けたとしたら、じっくり話を聴いたうえで、以下の3つの選択肢を挙げることでしょう。
1つは、親との徹底的な対決。当時の自分の気持ちを正直にぶつけるのです。ただし、対決ですから、敗北を覚悟しておかなければなりません。新たな傷つきを受けるかもしれません。
2つは、傷つきの過去と向き合い、何らかの折り合いをつけ、乗り越えていく。これには時間もかかり、かなり高度な心の作業であるため、カウンセラーなど専門家の助けがいるかもしれなせん。フラッシュバックの危険性もあり、ハードな作業となります。
3つは、先月の「保護者の皆様方へのお便り」でご紹介したアドラー心理学に学んでみることです。アドラーは、まず過去に今の問題の原因を探し出すことを戒めています。変えられない過去のことを持ち出しても、いま直面している問題を解決することはできない。過去を悲観し、人を憎んだところで、自分の心が疲弊するだけで、一歩も前に進むことはできません。悩むことを棚上げして、今、何ができるかを考えてみなさい、これがアドラーのレッスンです。過去にこだわったまま親を憎み続けて生きていくのか、それとも、過去を捨て去る決心を固め、今これからを新たな気持ちで再スタートするのか、、、、。
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