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沖縄戦を学ぶことはわたしたちの義務(その2)

2025.05.31 塾長ブログ

墨田区 東向島 学習塾 ウエル学院平野進学教室からのお便りです。

 

今日(31日・土)の雨はことさら冷たい。

運動会は中止になり、修学旅行も雨の中。

神様も意地悪。週末に雨を降らせる。

 

 

前々回のブログでは、「ひめゆり部隊」について手記を紹介させていただきました。

 

わたしが沖縄戦について生徒達に語るとき、「集団自決」もはずせない歴史的事実です。

 

まずはお読みください。

牧師・元沖縄キリスト教短期大学学長、金城重明(2022年7月 逝去)の体験証言です。

 

「……防衛隊員が村長のところに来て、耳元で『命令(手榴弾による集団強制死━平野注)がでました』と言った。……しばらくして手りゅう弾が配られる。……『天皇陛下万歳』と村長が三唱した直後、あちこちで手榴弾が爆発した。……私の家族には手榴弾がなかった。……そこに阿波連の区長さんが現れ、木の枝をへし折っているわけですよ。……その木片が彼の手に握られるやいなや、自分の愛する妻子をめった打ちにして撲殺したんですよ。……自分たちもこうして愛する家族を殺さなければと思って、まず母を石で殴って殺した、兄と一緒に。何も会話はなかった。ただ、「みんな死ぬ」ということが前提で、どうしようかという言葉もない。次に弟、妹にも手をかけた。……日本が敗北したことで、生き残った恐怖は消えた。だけど、「集団自決」に対する強烈なトラウマ、苦悩は、戦後ずっと続くわけですよ。……」(森住卓 『写真証言 沖縄戦「集団自決」を生きる』 高文研 2009年)

 

 

愛する妻を、家族を殺す。

こん棒や石で。

その際、会話や言葉もなかった。

 

 

なんたる異常な状況でしょうか。

思考、認知が完全停止し、愛や悲しみ、むごさといった感情機能まで麻痺しています。

まるで夢遊病者の行為そのものです。

 

 

悲しいかな、特定の状況下に置かれたとき、人間は愛する対象を殺せるということです。

わたしたち人間は、憎しみや復讐動機などが存在しなくても、人を、愛する人を死に至らしめることができる動物なのです。

 

 

「特定の状況下」とは。

 

次回ブログにて検討いたします。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

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