塾長ブログ

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考えられないことばかり

2017.05.19 塾長ブログ

春先に数名の過年度生(いわゆる浪人生)が体験に来てくれました。現役の高3生に交じって真摯な姿勢で授業に臨んだものの、どこか浮かない表情をしているA君。「問1の語形変化問題は、時を表す副詞節中なので、ルールに従い現在形にする」、A君の手は止まり、私の解説をぽかんと聞き流すばかりでした。英語と世界史の到達度テストをやらせてみたところ、案の定、惨憺たるものでした。2度3度と面接をして大学受験に関するガイダンスをしました。「先生のところでぜひ勉強がしたい。どうしても学習院大学に入りたいのです。今からやって入れますか?」私は彼のこれまでの生活スタイルやものの考え方、通っていた塾の先生とのやり取り、そして現在の知識量や学力を勘案し、「ビリギャルのようにはいかないよ。学習院の偏差値まではおそらく届かない」ときっぱり言いました。A君の目は充血しているように思えました。

 違和感を覚えるのは、これまでの努力不足と学力の現状から、どうして学習院という目標をエゴイスティックなまでに設定するのか、という点です。「1年やれば自分は合格できる」といった根拠のないプライド臭が鼻につきました。私の苦手な人間です。口ばっかりで実践の伴わない人。

現在中国では「1人っ子政策」時代の子どもたちが社会人になりました。「わがまま」「自己中心」「打たれ弱い」とのレッテルを貼られているそうですが、A君もひょっとしたら過保護に育てられ、自分を見失っているのかもしれません。「君なら学習院に合格できるよ」とやさしくいってくれる塾長を探し求め、‘塾難民’になっていなければよいのですが。

 

さて、今月のお題は「考えられないこと」。理不尽極まる様々な題材を取り上げて、日本がどこへ向かおうとしているのか、一緒に考えてみたいと思います。政治的な話が多くなりますが、しばしお付き合いください。

考えられないこと、その1。警察署内で現金8500万円盗難。関係署員の方には気の毒ですが、こんな傑作な事件は珍しい。あまりに滑稽で言葉に余ります。警察内部の犯行と断定して捜査しているようですが、まさしく“世も末”ですね。警察も政治家も総理大臣も信じるに値しない連中ばかり。誰を信じて生きていけばよいのか、子ども達に何と説明していいやら困ります。

考えられないこと、その2。「共謀罪」。警察ネタでもう1つ。天下の悪法「治安維持法」(1925年公布)の現代版、「共謀罪」が審議されています。

 

良心的で民主主義や人権を大切にする学者やジャーナリストの多くは、すでに反対の声明を発表しています。テロを未然に封じ込めるという根拠はどこにあるのか? 一般人は対象になるのか? 準備段階で処罰するというが、何をもって「準備」というのか? かなりいい加減で強引な法案でしかありません。警察というひとつの権力機関が肥大化するだけです。こんな法案以前に、すでに警察は市民への違法な監視を行っています。

 

昨年6月、別府署が労働団体の敷地内に2台のカメラを取り付け、選挙活動を盗撮しました。3年前には、岐阜県警が風力発電施設の建設に反対する市民やその知り合いの氏名、学歴、病歴といった個人情報を電力会社側に数回にわたって伝えていました。

共謀罪の成立は、民主主義と市民の基本的人権の破壊を意味します。政府―警察―企業、この癒着構造があまりに暴力的で危険なのです。政府関係者には、まずもって治安維持法の歴史とその実態を勉強してもらいたい。成立当初は共産主義者を取り締まりの対象にしていましたが、軍国主義が色濃くなるにしたがって、自由主義者、宗教家、そして一般市民までが逮捕、投獄されるようになりました。共謀罪もなし崩し的に強化され、人々の自由が制限されるであろうことは、歴史が教えてくれます。愛する子や孫の未来のためにも、成立に歯止めをかけなければなりません。オリンピックとかテロ対策などという聞こえのよい言葉にだまされてはいけません。こんな法律がなくても十分に対応できることは、多くの専門家が指摘しているところです。

考えられないこと、その3。受動喫煙防止法。飲食店や公共施設内では分煙にするか、禁煙にするか、自民党内で割れているそうです。私にとってみれば、割れていること自体が考えられません。世界保健機関(WHO)の生活習慣病予防部長が来日し、新橋の飲食店を視察後、「分煙では不十分。タバコを吸う場所で食事なんてありえない」と話している通り、とりわけ飲食店では全面禁止が合理そのもの。分煙派は、飲食店は経済的損失を受けると主張しているようですが、その根拠となるデータはあるのでしょうか。分煙派の一部はたばこ会社から献金をもらっているとの報道もあります。ここでも政府―企業の癒着が見て取れるわけです。

 

付け加えますと、屋内禁煙を導入した国は、分煙どころの話ではなく、たばこのない社会を目指しているのです。また、日本でも採用の条件に非喫煙者とする企業が増えてきています。
とりわけ女子生徒は、親の喫煙に強い不快感を抱いていますね。人の迷惑を考えず何であんなものを吸うのだろうと。生徒には、「お父さんの健康が心配だから、私のためにも止めて!」と色っぽく迫ってみな、と言ってみたりします。にもかかわらず、「ここはお父さんの家だから、嫌だったら出て行け」などと振られたら、素直に家を出るか、度量の狭い親を反面教師にして、君自身の成長の糧にするようにと助言します。

 考えられないこと、その4。道徳の教科書「パン屋」が「和菓子屋」に修正。教科化される道徳の教科書検定において、「パン屋」が「和菓子屋」に修正されて合格になったと各紙が報じていました。この修正は、改正教育基本法第2条の5号「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに・・・」という条文に従ったものと思われます。アベチャンをはじめとするホシュのオジサンたちは、伝統、文化、郷土、愛国などが大好きですね。パン屋は西洋的で日本の伝統に反するから、和菓子屋でないと検定を通さないというのです。なんと愚かで低劣な検定制度なのでしょうか。世の、いや世界のお笑い種です。現政権は理論なき形ばかりのホシュということがバレバレです。反知性内閣と揶揄されるゆえんでもあります。

 そもそも道徳という人の生き方や内面を論ずるものが、教科になるなんて馬鹿げています。先進国では日本くらいでしょう。それにしても担任は困るでしょうね。教科になるということは、3段階で評価しなければなりませんから。従順で素直な良い子がAランク。マサハルのような小生意気で、大人に盾突くクソガキは道徳の授業を受ける前からCランク!「父母、祖父母を敬愛し、家族みんなで協力し合って楽しい家庭を作ること」(4年生 学習指導要領より)なんて説教でもされたらすぐに反発して、「センセイ、ボク、毎日のように父親から暴力を振るわれているよ。虐待っていうやつだよ。それでも父親を好きになれっていうの?」「センセイ、ウエル君のところ、お母さんしかいないよ。お父さんの分まで頑張っているよ。『父母』なんて言ったらかわいそうじゃないか。」クソガキのマサハルは、ツッコミを入れることを忘れません。

 親の介護も各家庭で責任をもってやれ、子どもの教育費も親が負担しろ、国(税金)を当てにするな!といった現政権の冷徹なまでの自己責任論がここにも見え隠れしているのです。繰り返しですが、人の内心に関わる道徳を教科に取り入れること自体、いわゆる国による押し付け、強い言葉では洗脳と言われても仕方がない。政治指導者はまだわかっていない。国が、社会が、政治が国民に等しく寄り添い、やさしい手を差し伸べさえすれば、ひとは自ずと道徳を重んじる人間になっていくのです。国を愛するようになるのです。道徳の授業などまったく不必要なのです。いまや、道徳などではなく、社会や科学の進歩にとって不可欠な批判的な精神(クリティカル シィンキング)を子どもたちに身につけさせなければなりません。

 考えられないこと、その5。道徳の授業に「教育勅語」を。 考えられないこと、その6。教育の無償化とセットで第9条の改憲。どちらもあまりに稚拙な論理で、批判する気にもなれません。省略!!

 話が政治づいたので、軽い話題にします。考えられないこと、その7。「うんこ漢字ドリル」(交響社)。1ヵ月半で100万部を突破したとのことです。例文がすべて‘うんこ’なのです。例えば、4年の漢字「告」では、「新聞に、うんこマシンの広告が載っています。」「かれは予告どおり、12時ちょうどにうんこをもらした。」「父のうんこの音が、朝のおとずれを告げる。」とすべてのページが‘うんこまみれ’なのです。「日本一楽しい学習書」と銘打っていますが、楽しかったら何でもありか!?とツッコミたくなります。教育的な作業は、そのプロセスが重要視されなければならない、というまっとうな教育学理論を振りかざしても無駄かもしれませんね。一言だけ、「うんこ漢字ドリル」など、くそ食らいだ!

 考えられないこと、その8。公立小学校教員の3割、中学校の6割が「過労死ライン」に(文科省調査)。驚きの数字です。細かく見ると、小学校教員の17%、中学校の41%が時間外労働として月100時間、小学校教員の34%、中学校の58%が80時間を上回っています。部活を含め、授業時間外の仕事(授業準備、行事運営、研修、トラブルの対応、会議、事務作業等々)に忙殺されています。

 “KAROSHI” (過労死)はいまや国際語。日本発の造語となってしまいました。働く者をとことん酷使して、残業代さえ払わない企業も後を絶たない。ホシュを自認する国会議員の皆さん、これもまた日本の「伝統と文化」ですか!? こんな日本をだれが愛することができますか!? アベチャンの唱える「働き方改革」はどうなっているのでしょう!? 教員の精神疾患が高止まりのままで、政府・文科省は見て見ぬふりをしています。

 さらに考えられないことは、これだけの過重労働にもかかわらず、新しい学習指導要領では英語、プログラミング、そして「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング=AL)などが導入されることになっています。教えるべき知識量はそのままで、英語やALを持ち込むなど無理難題そのもの。ALは相当の学習と経験を積まないとものになりません。AL自体は意義のある学習法として認めますが、片手間な授業準備では授業として成り立ちません。新学習指導要領の方向性は間違っていないと思いますが、それらを実現するための条件整備、特に教員の時間的、精神的な余裕をいかに作り出していくかが検討されなければなりません。子ども達の有意義な学校生活のためにも、教員に大いなる自由を与えていかなければならないのです。 

 さいたま市では、その目指す子ども像の1つに「クリティカル・シィンキングのできる子ども」を掲げています。様々な定義がありますが、「物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること」位の意味でとらえてください。

 

今の時代、『思考停止』が最も危険です。勉強面でも、思考停止気味の子は成績が伸び悩む。子どもたちには、クリティカル・シンキングの見本を日々提供していかなければなりません。まず子ども自身に『自分の頭で考える習慣』を意図的にも身に付けさせたいですね。

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