墨田区 東向島 学習塾 ウエル学院平野進学教室からのお便りです。
親子間の愛。
あまり難しく考えない方がよいのかもしれませんが、3つほど問題を提起してみたいと思います。
1つは、親がいくら愛してる、愛してきたと自覚していても、子どもの側に愛されているという実感や手ごたえがなければ、親子間の愛は一方通行のままです。
子どもは親からの愛を能動的なエナジーには転嫁できず、消極性が目立つようになるかもしれません。
2つは、親の愛の内実が問われなければならないケースが出てきます。
「あなたのためを思って」 「あなたの人生が心配だから」と、例えば勉強に向かわないわが子にはっぱをかけるとします。しかし、そうした親は、“わが子のため”と言いながら、実は“親自身の自己愛を満たすため”の言動であることが少なくないように見受けられます。
親の満たされなかった夢からなのか、世間体や見栄なのか、支配欲なのか、いずれにしても親の自己愛の延長線上にある愛で、子どもへの健全なる愛とは呼べません。
こうした点にたつと、“わが子と向き合う”とは、親自身が自らのいたらなさやエゴと向き合うことに他なりません。
誰が言ったのでしょう、「教育」とはまぎれもなく「共育」、共に育つことであると。
さて、3つは、子どもを全面的に丸ごと引き受ける愛の大切さです。
勉強しない子、不登校の子、数々のいたらなさや欠点が目立つ子、どんな子に対しても「自分が自分であってOKなんだ」という安心感や子育て観がわが子に根強く伝わっているでしょうか。
テーブス海選手も言っていましたね。「100点取っても、0点取っても 『絶対愛してる』 と小さい頃から言われ続けて……」と。
どうしても親という存在は、日常的にわが子の言動や結果(テスト結果など)に対して、評価・称賛するよりも、もんく、叱責、注意、アドバイスが多くなりがちです。親として致しかたがないのですが、次の点をぜひおさえておいてください。
親からもんくや叱責などを受けるたび、子どもはそれらを素直に受け入れて、改めようとするよりはむしろ、“おまえはダメな子だ” “おまえは能力に欠ける” “努力しない子だ”と内面化してしまい、自己肯定感を大きく下げてしまうことになります。
親側にはそうした意図がないにもかかわらず、子ども独特のプリズムを通ってしまうことによって、「自己否定」そのものを強化してしまうことにもなりかねません。
だから、「0点を取っても、絶対愛してる」という幼き頃からの愛の子育て観は、ひと言 “神”なので
す。
子どもの“自立・自律”が子育ての最終目標です。そこにどんな愛の力を注いでいくのか。
あと1か月もするとクリスマス。キリスト教はまさに“愛の宗教”と位置付けられています。
抽象的ですが、愛についての考えを深めてみてはいかがでしょうか。
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