前回のキー・ワードは「親子の密な会話」「親からの高い期待」「身体化した生活習慣」の3つでした。
ひきつづき、本多由紀氏の論文から、結論部分を抜き出してみます。
〈2〉「家族とのコミュニケーションの密度が高い者ほど、対人能力が高い」
「対人能力が高い者ほど学校適応の度合いも強く、進路不安も少ない」
「対人能力と学力は、片方が高ければ他方も高い傾向があり、片方が低ければ他方も低くなりがちである」
家族間のコミュニケーションの密度は、学力、対人能力、学校適応力、進路不安等を規定する重要な要因となっている、という指摘です。
母─子が円滑であっても、父─子がバランスを欠く場合、家族コミュニケーションはとれていない、と見るべきでしょう。
もちろんその前提には、夫婦間の愛情、信頼関係がなければなりませんが。
親子間のコミュニケーションの「密度」、その質と量について、今一度、振り返ってみましょう。お忙しい毎日ですが、時間がとれないのなら、とれないなりの工夫を考えてみてはいかがでしょうか。量より質です。
〈3〉「母親が勉強や仕事についてうるさく言う場合は、女性のコミュニケーションスキル(技術)は低下し、ネガティブ思考(消極的心性)が強まる」
「厳しい、あるいはうるさく言うなどの、圧力的な親子関係は、青少年のライフ(生き方)スキル形成に対して阻害的に働く場合がある」
「共感的な親子関係は、総じて諸スキルを高める方向での影響を及ぼしている」
「他方で女性では、母親がやさしくてあたたかいことが、むしろネガティブ思考を強める結果になっている。母娘一体的な関係がむしろ不安要素として働いている」
私流にまとめれば、「親」と「子」という両者の立場をわきまえた上で(「友達親子」などは論外)、両者に人格を認め、尊重し合う相互関係、別言すれば双方向の共感的なコミュニケーションを円滑に進めていくことの重要性が強調されています。
「親子関係」とか「子どもとの関わり」と呼ばれているものに対し、あまり難しく、神経質に考えないほうがよいでしょう。わたしが要約した点のみに意識を集中するだけでよいと思います。
思春期の子どもは確かに扱いにくい。しかし、幼少より双方向の共感的な関わりをしてきた家庭にとっては、「扱いにくい」というよりは、「もう1人の大人が増えて、より深みのある力動的な家族」が形成できるのです。
わが子の心や考えていることに寄り添い、受容的な親になるべく、努力してまいりましょう。
「強圧的な父」「権威主義的な父」、時代錯誤もはなはだしい。あまり見かけなくなりましたが。いまや、パワハラオヤジとして訴えられますね。
「いばったオヤジ」とともに、「しゃべり過ぎ」の親も少なくありません。
親の意見や考えなど後回しでいい。
まずは我が子の感じた事、考える事を吸い上げてほしい。引き出してほしい。
Education(教育)の語源はラテン語のeducate,「引き出す」だそうです。
子どもの考えを引き出す、子どものありのままの個性を引き出す、子どもの潜在力を引き出す。
引き出すのではなく、親の強制力によって引きちぎる、摩滅させるでは困りますね。
子どもの自由なる自己表現が、始終飛び交う家庭を目指していきたいものです。
本日も貴重な時間を使ってお読みいただきありがとうございます。
今晩8強入りをかけたクロアチア戦。
わたしの推しは断然、前田大然。
保育園、小学生時代を通して野山を爆走していたそうです。
あの身を挺した献身、しびれます。
皆さん、暖かくして応援してください。
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