塾長ブログ

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話題作『妻のトリセツ』を読んでみました

2019.05.22 塾長ブログ

今年の咳は長かった。処方薬も吸入薬も全く効かず、難儀しました。5週間も悩まされました。

そんな咳き込むわたしを見て気の毒に思ったのか、小学4年生の女の子が、塾に来るたびに飴をプレゼントしてくれるのです。棒付きキャンディ、チュッパ・チャプス1本、次の日は8個入りまるごとしぼったりんごのど飴、また次の日はチュッパ・チャプス1本……。

 

満面の笑みを浮かべて手渡しに来てくれるのです。これがまたかわいすぎる!自分の娘でしたらチューして、ギューして、そのまま抱え上げていました。飴ひとつの心づかいに塾長はメロメロです。ありがとう!

この4月と5月、わたしは「クラスづくり」にかなりの意識を注いでいます。

 

塾に、それも少人数なのにそんなもの必要かと問われるかもしれませんが、この1年を実りあるものにする上で非常に重要になってきます。けじめあるシャキッとした雰囲気のクラスをつくり上げたいのです。そのために徹底するのが、第1に時間の管理です。不用意な遅刻をさせない。欠席については保護者が必ずメールする。時間にルーズな子は、他の面でもだらしなさを露呈します。成績も下降するのは見えています。人からの信頼を失います。私の口癖のひとつ、「時間とお金にルーズな奴は嫌い。軽蔑する!」生徒の前でも強く言い放ちます。

第2は宿題と課題テストへの真摯な取り組みの徹底です。

宿題がいいかげんであれば、帰宅させてきちんと作業させます。課題テストで合格点に達しなければ、授業日以外に来室させてリテスト(再テスト)を受けさせます。ウエル学院の“うり”のひとつは、金曜日以外毎日開講されている『質問教室』です。午後7:20から9:50まで優秀な先生が待機しています。マンツーマン指導が受けられます。

 

逆に言えば、ウエルの生徒はかわいそう(!?)。

「わからなかったので、できませんでした」という言い訳が通用しません。 塾長:「わからなかったらどうするの?」 生徒:「質問教室に来て勉強する」 こんなやり取りが常になされています。

たった一人の宿題忘れが、クラス全体の士気に関わるという自覚を持たせなければなりません。一個人のルーズさが、知らぬ間に集団に対して負の影響をもたらすという現実を学習させます。

 

要は、人は一人で生きているのではなく、皆に支えられながら、皆に迷惑をかけながら生きていることを学んでほしいのです。自分の行動には責任が伴うという意識付けを徹底します。

とりあえず第1学期は、①時間の管理 ②励ましの声かけ ③愛情光線の照射、この3点を大事にしてみてください。

あの本読みました。

37万部を突破した話題作『妻のトリセツ』(黒川伊保子 講談社+α新書)。

「脳科学の立場から女性脳の仕組みを前提に妻の不機嫌や怒りの理由を解説し、夫側からの対策をまとめた、妻の取り扱い説明書である」と筆者自身が述べている通り、妻とのコミュニケーションの取り方に悩んでいる男性諸氏にはかなり役立つかもしれません。特に昭和的な威張った夫には必読書として推薦します。ただし、脳の性差など科学的な根拠に乏しい内容を扱っている点には、目をつぶりましょう。「夫婦関係に関する(いち科学者からではなく)いち女性からの助言集」として読み進めたらいいかもしれません。

 

例えばこんな感じです。「『察してなんぼ』の女性脳にとって、『言ってくれれば、やったのに』というセリフは、察することを放棄した言葉であり、『僕はあなたになんの関心もない』『あなたを大切に思っていない』と同義語なのである。(中略)このような場面で言うべきなのは『気がつかなくてごめん。僕がやるべきだったね。』だ。察したい気持ちを伝えるこのセリフは、ときには愛を伝える言葉にもなる。」

 

その通り!とお母さん方は留飲を下げたことでしょう。我々鈍感な男連中はまだまだ対女性学習が足りませんね。反省!

この黒川伊保子氏、人工知能研究者を名乗ってTVのコメンテイターなども歴任していますが、私の書棚にも1冊ありました。『家族脳~親心と子心は、なぜこうも厄介なのか~』(新潮文庫 2014年)。

やや長くなりますが、以下に引用します。ひとりの母親が脳科学者、経営者、教育者、カウンセラー、ファシリテーター(子どもの人生の先導役)など、何役もこなしていることに気づかされます。子ども3人を東大に入れたという○○ママ同様、良くも悪くもインテリ母さんの典型です。

我が家の息子は、日ごろから本当に、私を大事にしてくれる。頼まなくても自主的に家事を手伝ってくれ(私が台所に立つと、「何かすることない?」と声をかけてくれるのだ。お嫁さん並み(微笑))、荷物を持ってくれ、ドアを開けてくれ、悩みを聞いてくれ、ダンスパーティーにタキシード姿でついてきてくれ、ロックコンサートに連れて行ってくれる。あからさまな息子自慢でみっともないけど、欠点もたくさんある我が家の息子なのだが、ここだけは非の打ちどころがないので、ご容赦ください。
私は、具体的にそうしてくれと言ったことはない。けれど、そういう関係になれるように、彼が幼いころから、私が気を付けていたことがある。「○○しなさい」と「なんで、○○できない!?」を言わない。一人前の人間として尊重することだ。
そもそも、赤ちゃんの頃から、たとえば、離乳食をべっと口から出したときも、「口に合わないの? ごめんなさいね」と声をかけた。話が通じる、大人を相手にするように。これは、ことばの発達のためだ。成熟した関係性を物心つく前から知っていたほうが、後に、コミュニケーション能力が高くなる。
小学生の時、だらだらする息子にも、「勉強しなさい」とは言わなかった。「どうして、勉強する気になれないのかしら。ハハに協力できることはない?」と尋ねるのである。寝坊が続くときも、「申し訳ない。あなたがうまく起きれないのは、ハハのマネージメントが悪いからだわ」とあやまる。これは百パーセント正直な気持ちだ。だらだらするのは、脳内ホルモンの分泌が悪いからで、食事か生活習慣が原因だからね。
すると息子は、共に考え、率先して善処をしてくれる。叱るより、ずっと楽。で、あげく「ハハは、いっつも、おいらのことを思ってくれてるんだね」と言ってくれるのである。
こうして、「勉強しなさい」→「なんで勉強しないの!?」では、けっして作れない親子関係が出来上がる。その上、子ども自身に、他人を慮って(おもんぱかって)ことばを紡ぐ癖ができるので、自然に「大切にされる人」に育っていくのである。
家族は、互いをアシストする関係だと私は思う。私は息子のサポーターであり、マネージャーであり、人生のプロデューサーだから、なじる暇はない。ともに戦略を考え、戦術を遂行するのみ。夫に対してもそうでありたいと願っているし(これが非常に難しい。夫は妻に対して素直じゃないからね)、ひいては、関わり合うすべての方たち、たとえばクリニックの受付のお嬢さんに対してもそうでありたいと思っている。

 

いかがでしょうか。見事なものですね。生まれた時から、いや生まれる以前に子育ての戦術と戦略が練りあがっていたようです。インテリ母さん、おそるべしですね。

 

ただ、昭和生まれの「察すること」が不得手な塾長にとっては、どうもついていけません。100人の親がいれば100通りの子育て論があって当然なのですが、あえて突っ込みを入れれば、まず、この息子自慢がいただけない。母親の悩みを聞いたり、ダンスパーティーに連れて行ったり、これって“大人の世界”に子どもを引き込むことですね。自慢している場合ではない。親子でも、いや友達同士でも、両者には超えてはいけない一線や固有のテリトリーというものがあるはずです。

「私は息子のサポーターであり、マネージャーであり、人生のプロデューサーだから」……

おいおい、いいかげんにしてくれ!と息子であるわたしは支配的な親から逃れるため、家を飛び出し、一人暮らしを始めます。

 

「人生のプロデューサー」などと言い切れる女性脳とははたしてどんな脳なのでしょうか?こうした自負心の塊のような母親をアイロニーを込めて「インテリ母さん」とわたしは呼ぶのですが、これまで何度か紹介させていただいたアドラー心理学の「課題の分離」(親が子どもの課題に踏み込んではいけない)という視点が欠落しているように感じられます。

 

子どもの課題には踏み込まず、自力で解決できるよう見守り、子どもから何か言ってきたら相談に乗り、最終的には子どもの中に“自分で解決した”という実感が残るように仕向ける、これが理想です。

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