読書に勝る学力形成なし!とは私のキャッチコピーです。よく「頭が良い・悪い」といった言葉を、大人も子どももよく使います。脳科学の世界では、これを「前頭前野」の発達と言い換えられます。いかに前頭前野を鍛えるか、多くの実験がなされています。特に老人医療(痴呆医療)において急務の課題となっているそうです。
脳科学の第一線で活躍する川島隆太氏は次のように述べています。
「創造力をたくましく鍛える効果を出すためには、多くの本を読書することをお勧めします。…『考える力』…『感じる力』…『想像する力』…『表現する力』、脳を鍛えるための十分条件が詰まっています。これらの力は読書以外の活動では、なかなかバランスよく身につけることはできません。(こうして)鍛え上げられた前頭前野という脳の器から、卓越した閃きが生まれるのです。」
言語能力は親子の「会話の質と頻度、そして読書量」と何度となく強調してきましたが、親子間の会話についても、同じ著作の中で次のような指摘がなされていました。
「会話は、音読や計算、手芸ほど前頭前野を使わないのかと思っていたところ、また違ったデータも出てきました。今度は小中学生を使った実験の結果です。「今日、学校で何があったの?」「べつに~、授業を受けて、部活して…」こんな他愛もない親子の会話で、子どもの前頭前野が左右の脳とも大いに活性化したのです。今、私は、家族と話をすることが、子どもたちの前頭前野を大いに活性化するとの仮説を持って検証している最中です。家族というのは、どうやら脳、特に前頭前野にとって、特別な存在なのかもしれません。」(川島隆太『天才の創りかた』講談社インターナショナル、2004年11月。氏は、出版して9ヶ月間に180万部を売った『脳を鍛える大人のドリル』の著者です。ちょっと胡散臭い書名(『天才の ─』)となっていますが、脳科学の入門書としてはすぐれものです。興味ある方には一読をお勧めします。)
読書習慣は乳幼児期の読み聞かせから始まります。私の感覚からしますと、個人差は当然あるのですが、小学校3・4年生位まで、継続してよいのではないかと思われます。この裏には、「もう、小学○年生だから、自分で読めるでしょ」と急に読み聞かせをやめてしまうと、読書から離れてしまう子が実に多い、ということにあります。小学3・4年生に本を読ませると(もちろん例外的な子もいますが)、読むことばかりに心が集中し、本の中身、おもしろさが半減してしまうのです。ならば、お父さんが、お母さんが読んであげればよい。自分で読み進めたいという意志が芽生えた時、読み聞かせを卒業すればよいのです。「本はおもしろい!」という気持ちをまず大切にすることです。「小さい頃、よく読み聞かせをしてあげたのですが、今はまったく読書しません」、こう嘆くお母さんは、卒業のタイミングを誤ってしまったのかもしれません。
さて、読書嫌いにはどう対処しましょうか。まず、お父さん、お母さんが読書している姿を見せつけることです(「模倣」の論理)。次に、我が子の興味ある人物、分野に関する“簡単な”書物を与えてみることです。年に何回かは大書店へお出かけ下さい。読書は我が子の財産として永遠に残ります。
余談をひとつ。お母さん方、あわてる必要はありませんよ。私などは、中学卒業時まで、まったく本を読まない体育会系の少年でした。幼い頃の読み聞かせの経験も皆無です。やはり、学校の成績も伸び悩み状態です。中3、夏終了後に受けた上位私立高校対策模試では、国語は40点位、英語は70点、数学はなんと0点でした。中学時代、国語の授業はほとんど“いねむり”です。部活(バスケット)をやって、夜は小学4年生から始めていた空手の道場に3回ほど通い、いずれも昔ながらの部活、武道でしたので、クタクタ状態の毎日。活字に親しむといった時間的、文化的な余裕などどこをさがしてもない環境にいました。
ところが、高校入学後、ある一人の友人との出会いが、私の生活を一変させてくれました。いわゆる「文学青年」との劇的な邂逅です。彼に勧められるまま、日本文学を次々と読破していきます。文学から随筆、評論、詩,哲学書等々、大いに鍛えてもらいました。日記も書くようになりました。
まさしく、読書の成果なのでしょう。私は第2補欠でやっとの思いで入学できたのですが(300名中、290番前後?)、高3終了時にはどんなテストでも、評定平均値でも、上位10%以内を確実にキープしていました。学力の向上の土台は読書量!私自身のつまらぬ体験からも説明できそうです。
繰り返しておきましょう。
“読書に勝る学力形成なし!”