2年ほど前でしたでしょうか、足立区の自民党区議がこんな暴言を。
「レズビアンやゲイが足立区に完全にひろまったら、子どもは一人も生まれない」 「LだってGだって法律で守られているじゃないか、なんていう話になったのでは、足立区は滅んでしまう」
今回は政府中枢、それも首相側近の秘書官が。
「(性的少数者や同性婚に関し)見るのも嫌だ。隣に住んでいたらやっぱり嫌だ」 「同性婚なんか導入したら、国を捨てる人も出てくる。首相秘書官室全員に聞いても同じことを言っていた」と発言。
岸田さんも「家族観や価値観、社会が変わってしまう」との発言に見られるよう、同性婚の法制化には後ろ向きです。それにしても「秘書官室全員」が反対なんて、どういう人選なのでしょうか。
LGBTQ法制がないのは先進7カ国(G7)で日本だけ、議長国としてお恥ずかし限りです。人権意識に関して日本は半世紀遅れています。
「性のあり方はグラデーション」といわれています。段階的に色調が変化する様子がグラデーション。性別や性差も同様に、「男と女」ときっぱり二分されるものではなく、人により異なります。生物学的にみれば、染色体は男がXY、女がXXですが、少数であってもXXYなど様々な形態があることも明らかになっているそうです。
生徒がいたずらっぽく「ゲイ」だとか「ホモ」などと口走るとき、「よし、わかった。今日はこれについて話をします」と、ホワイトボードに大きく『性』と書きます。
にたにたする生徒もあれば、えっと息を飲み込む生徒もいます。
専門家ではありませんので、教科書的なレベルの話しかしてあげられませんが、授業前に話した内容をご紹介します。
性というのは4つの視点から考えられています。
1つは、『身体の性』。先生はオチンチンをもって産まれてきたので男という性。生物としての性をセックスと呼びます。
2つは、『心の性』。自分が感じている性のこと。オチンチンがついていても、自分のことを女性であると認識する人もいます。ごく自然なことです。
3つは、『好きになる性』。性的な志向といって、自分の恋愛感情が男性に向くか、女性に向くか。どちらに向いてもそれは個性的な志向で、まったくの自然な愛といえます。
最後は、『表現する性』。しぐさや服装、言葉遣いなどが男性的であったり、女性的であったり、個性的であったりします。
これら4つの組み合わせは様々で、人によって違ってきます。この違いこそが個性であり、その人のありのままの姿であり、大いに尊重しなければいけません。愛や性は実に多様なものです。これだけは忘れないようにしましょう。
自らの性のあり方や、社会とのギャップに悩み、苦しみ、自らを傷つけたり、命を絶った方もいます。そうした人たちに寄り添い、機会あるたび性の勉強も広くしていくようにしよう。
『同性婚を認めないのは憲法違反』という判決が出たことも付け加えておきます。
秘書官の暴言は人権侵害甚だしく、まさしくいじめであり、精神的虐待であり、許されるものではありません。生徒達には「言葉の暴力」について考える機会をもたせました。
学校の勉強以上に大切にしなければいけないものがあります。わたしはそんな時、積極的に生徒たちの前に立ち現れることにしています。
ベテラン塾長のおせっかいトーク、塾の役割を逸脱していますが、これもウエル学院です。
生徒達の真剣なまなざし、人として学んでおかなければならないこと、おおいにトークしていきます。
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