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”愛と美の伝道師” 美輪明宏氏逝去

2026.07.01 塾長ブログ

墨田区 東向島 学習塾 ウエル学院平野進学教室からのお便りです。

 

“愛と美の伝道師” 美輪明宏氏がお亡くなりになりました。91歳。

 

 

もう40年以上も前のこと。

はじめて観た美輪氏のステージ。

その迫力に“どぎも”を抜かれました。

労働歌「ヨイトマケの唄」、反戦歌、被爆者への鎮魂歌など、心揺さぶられる演目ばかりでした。

 

このコンサートは、『ノー・モア・ヒロシマ コンサート』と呼ばれ、大学教授であった芝田進午氏(故人 哲学・社会科学)によって企画されたものですが、美輪氏に打診したところ、快く受け入れてくれて、それこそ手弁当で参加してくれたのです。

美輪氏とはこういう方です。

 

以下は、2023年3月25日のブログです。再録になりますが、美輪氏への感謝と哀悼の意を込めて紹介させていただきます。

 

ここに登場するヨイトマケの母親。なぜか魅かれるのです。

わたしの亡くなった母親とも重なるところがあるのでしょう。ぜひ味わってみてください。

その前に、若い読者の方もいらっしゃるので、ヨイトマケの意味を記しておきます。

「建築現場などで、地ならしのために大勢で一斉にロープを使って太い丸太を上げ下げすること、また、それをする人。土方(どかた)などと蔑むひともいる。」

 

美輪明宏氏の自伝 『紫の履歴書』(水書房 1992年 412頁~)からの引用です。水書房さんから直接許可をいただきました。

 

 

確かあれは、小学校二年のときだったと思う。父兄の参観日で、子供達は自分らの母親達が着飾って来ているのが嬉しくて、そわそわとしていた。

 

教室の後方で、実に巧みなほどの盗み見で、互いに服装を上から下まで値ぶみをしている浅ましい母親達の姿に、僕はぼんやりとした失望を感じていた。その中で一人、後から遅れて入ってきた母親があった。半天を着てモンペをはき、手には慌てて頭から外した手ぬぐいをしぼるようにして握りしめ、大きな体を一番隅で、小さく縮めて立っている。

 

教室で一番汚くて出来の悪い子のお母さんだった。休み時間になると子供達は自分らの親や兄弟のそばへ寄る。出来が悪いわりに腕白なので、皆に嫌われ、いじめられていたその子の母親は、どんな人だろうと、皆いじわるそうな目で見ていた。

 

軽薄に着飾ったほかの母親達の目つきは殊にいやらしかった。僕のお母さんは、簡単な普段着のワンピースを着てすんなりとやわらかかった。それで僕は安心した。

 

あの母子は、どうしているだろうとみると、寄ってきたわが子の鼻をたらした顔へ母親は顔をつけて、いきなりその子の鼻を吸い、ベッと器用に庭に吐き出した。

 

おお汚い。僕は顔をしかめたが、まわりの目などは一切お構いなしに、今度は手にした手拭で子供の汚れた顔を拭いてやっている一生懸命な母親の姿を見ていると、ちょっと動物的でもあるが、何だか言いようのない感動で釘づけになってしまった。

 

ほかの着飾った母親達より、その子のお母さんが一番母親らしい姿に思えて、みるみるうち心が教室一杯に拡がっていくように思えた。

 

その日から僕は、友達のいないその子をいじめるのを止めた。ときどき連れ立って学校の帰りに、その子の母親が働いているところへ行ったりもした。

 

家を建てるための地ならし。それはめでたい祝いごとなので、よいとまけのおばさん達は家を建てる人への心意気を示して、せめてものことをしているのだろう、日焼けして真っ黒な顔に、白粉をはたき、下手に口紅を塗り、頭は自分で結ったらしい小さな丸髷に真新しい手拭をかけている。黒い肌にはたかれた白粉で、何だか顔が妙なねずみ色に見える。

 

しかし皆は明るい。祝いの振舞酒を飲んで、ワイワイ、ガヤガヤ笑いを交わしている。

その子のお母さんは、わが子にやっと友達ができたのを喜んでいるらしく、僕達がゆくと、

「おう、坊や達来たね」

とやっこらさとやって来て、メリヤスの腹巻きから、古くなった酒屋の前かけを直して作ったらしい財布を出した。そして僕達に五十銭ずつお小遣いをくれる。

(あらぁ、こんなに貧乏な人からお金を貰っていいのかしらん)

と思いながらも、つい嬉しくて貰ってしまう。

 

仕事が始まると、よいとまけのおばさん達は、地ならしのための重しを引っ張るため、いったん高い木組に上がった数本の縄を互いに分け持ち、威勢のいい掛け声と共に綱を引く。互いに自分の番が来ると、即興で思いついた歌を歌い、最後の締めに、誰それのためならエンヤコーラーと力一杯叫ぶ。

 

その子のお母さんは、にっこりとこっちを見ながら、「ヨシオのためならエンヤコーラー」と、やった。何だか僕は、そのヨシオ君が羨しくなって、ほのぼのと彼の汚い顔にうなずいた。

 

 

 

大ヒット曲「ヨイトマケの唄」(1966年)のきっかけになった出来事だそうです。

作詞も作曲も美輪氏です。ところが放送禁止歌とされ、長らく歌われませんでした。

2012年、『NHK紅白歌合戦』で日の目を見ることになります。美輪氏の熱唱で、再ブームが起こりました。

 

美輪氏の筆力には脱帽です。

一方の母親には「実に巧みなほどの盗み見で、互いに服装を上から下まで値ぶみをしている浅ましい母親達」、もう一方の母親に対しては「半天を着てモンペをはき……大きな体を一番隅で、小さく縮めて立っている」「ちょっと動物的でもあるが、なんだか言いようのない感動で釘づけになって」「その子のお母さんが一番母親らしい姿に見えて」と、その時の様子が手に取るようにうかがい知れます。

 

子どもの鼻を吸ってペッと出す。やっていましたね、昔のお母さん。おでこを付けて熱のある無しを確かめるのは日常でしたが、「ペッ」までは。今は、鼻チューブという便利なものが出てきました。

 

それにしてもこのお母さん。今だったら不潔、場違い、下流階級などと蔑まされて、排除の対象にされてしまうのでしょう。

でも、何か魅かれませんか。

胸にジーンと来るものがありませんか。

正直に、一途に、あるがままの姿で子どもを愛しつくすこのお母さん。

 

外見、外聞、体裁、世間体などにしばられて生きるわたしたちより、よっぽど自由で、自然で、より人間らしく生きている。

 

人としてどちらが「上級」でしょうか。 

 

「よいとまけのおばさん」

現代人が忘れかけているたいせつで、しかも人として本源に当たる何かを教えてくれているのではないでしょうか。

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

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