墨田区 東向島 学習塾 ウエル学院平野進学教室からのお便りです。
愛知・名古屋アジア競技会は、日本勢の大活躍のうちに閉幕しました。
想定を超す参加人数や経費削減のために広告代理店の介在を見送ったせいなのか、トラブルが相次ぎました。
なかでもわたしが目を引いた運営上のミスが、「豊臣秀吉の登場」なのです。
クルーズ船の歓迎行事に「秀吉」を出演させて、韓国側から大抗議を受ける羽目になりました。
高市総理が予算委員会という公の場で、台湾が有事になれば「存立危機事態になりうる」と発言してはならなかったのと同様に、韓国・北朝鮮の人たちの前で豊臣秀吉を英雄扱いして語ってはなりません。
わたしが仮に運営に携わっていたならば、“秀吉は絶対にタブーです!”と意見していたことでしょう。
話は戦国時代にさかのぼります。
1592年以降、秀吉は朝鮮半島に延べ30万もの兵士を派遣して、明・朝鮮連合軍と戦い、自らの権威の絶対化を図ろうとしました(いわゆる文禄・慶長の役)。
この戦いのさまが、まさに戦前の日本軍による中国や朝鮮に対する「植民地支配」そのものだったのです。
戦いに参加した武将・毛利輝元(豊臣政権下の五大老の一人)さえも、次のように書き残しています。
「しきりに命乞いをする者まで、片端から切り捨てた。酷いことだ」
国政の主導的な役割にあった柳成龍も、「日本軍は、通過する先々で、家を焼き、人々を殺した。朝鮮人を捕まえると、ことごとく鼻をそいで、恐れさせた」と。
捕虜だけでなく、女性、子どもなども無差別に殺戮し、敵兵の首を切り、耳をそぎ、職人・技術者だけでなく慰安婦として女性たちを連行し、文化財、宝物の略奪と破壊を繰り返し、最後は火攻めにして……。
歴史は語り継がれ、消し去ることはできません。
まして足を踏まれたほうは、永遠にその痛みを忘れることはできないのです。
踏んだほうは何の痛みも感じることなく、殺戮やレイプという重罪行為さえ、その認識はうすく、やがて忘却するのです。
日本政府も文科省も、都合の悪い歴史的な事実を隠蔽し、修正し、無きものにするという策動を繰り返し行ってきました。
歴史教育の不備が歴史認識の甘さにつながって、今回のような軽々しい「豊臣秀吉の登場」となったと、わたしは読み取っています。
どんな不都合な歴史的事実であっても、直視しなければなりません。
いや、不都合な歴史的な事実ほど、友好や友情のためにも学校教育の中で語り継ぐべきなのです。
運営側の無知がいらぬ軋轢を生み、韓国側に不愉快な思いをさせたこのトラブル、わたしたちはあらためて“歴史の重さ”について考えを深めていかなければなりませんね。
本日もお読みいただきありがとうございます。
秋季生 募集中‼
お気軽にお問い合わせください。
お問い合わせ
0120-630-133
友だち追加