墨田区 東向島 学習塾 ウエル学院平野進学教室からのお便りです。
希望者が増え、特別支援学級がその多さに追いついていけない現状のようです。
各分野の専門の先生が足りず、教育上の条件整備も十分とは言えないとの報告があがっています。
ミサイルやドローンの購入より、まず子どもたちにわたし達の税金を遣えと言いたい。
さて、前回のブログでは、ことの本質を隠ぺいするネイミング、用語についてふれさせていただきました。
今回は、差別感丸出しの用語について見てみます。
「特別支援学級」は20年ほど前までは、「特殊学級」と呼ばれていました。
この「特殊」という名称に当時の文科省の役人は何の違和感ももたなかったのでしょうか。
特殊と普遍は、論理学という学問において重要な概念なのですが、日常生活の中では「特殊」はやはり差別感がただよいます。
「最初の特殊学級」は、1890年(明治23年)にまでさかのぼるそうです。
長野県の尋常小学校に設置された「落第児学級」 または「劣等児学級」が始まりとされています。
この名称も子どもやその家族への配慮がまったく考慮されない人権無視の用語ですね。
日本に「人権」が紹介されたのが明治に入って間もなくですから、致し方がないと言えばそうなのですが、それにしても教育的な寛容力のない差別用語です。
当時、日本人の人間観のひとつなのでしょう。
すなわち、社会的な弱者へのいたわりのなさと決めつけ。
日本における最大の差別のひとつ、「部落差別」。
その歴史や内実について知らなくとも、「穢多」 「非人」という名称は聞いたことがあると思います。
何たる言葉なのでしょう。
「穢れ(けがれ)多き人」
「人に非ず(あらず)」
人間は慈悲ある存在である一方、きわめて残酷・残忍な生き物です。
たまたまそこに生まれただけで、こんな言葉で差別され、蔑まされるとは。
学生時代から部落差別に関する本は結構読んできました。
以下の小説、あまりに有名な作品ですが、ぜひ一読をおすすめします。
住井すゑ 『橋のない河』 (新潮文庫 全7巻)
7巻と長いのですが、知らぬ間に読了するくらい名作中の名作です。
ウエルの生徒にもすすめます。
本日もお読みいただきありがとうございます。
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